
三月のある日にふと思った。
桜の散る音はオーディオではどう聞こえるのか。
誰が風を見たでしょう、と童謡にも詠われていたが、よその装置では音楽がどのように表現されているのか聴いてみたいと思うものである。
このあいだもあるところで、エバンスがメロディをラファロに受け渡す一瞬の静寂のあとのフレーズにびっくりした。そこで家に帰っては、なにかをしてみるのがマニアのさがであるが、200Vから100Vに変圧するトランスを、とっておきのものに変えてみたら「ソーホワット」だって、それがどうしたのと言えない変わりようだ。チェインバースがブッビビン、ブビビンと盛んに背後から煽り、とうとうソロを取ってあのベースがのっしのっしと迫ってくるタンノイ特有の、あまりの格好良さにコーヒーカップを持ち上げる動作さえも空中で止まる。
だがここで格好いいだけのジャズに終わらせたくない。それがタンノイを鳴らすという事である。フレーズとフレーズの陰影が申し分なく聴こえると、どうしてこんなに嬉しいのであろうか、はたして夢まぼろしの音を求めて名人宅を尋ね歩く。そのオーディオ道に非常に感銘を受けたのが、これまで記録した方々の装置であった。
◇
メンがわれていないというのは、とてもベンリだ。「T」は同業者であるところの先輩のジャズ喫茶で一関駅前の一等地に隠然たる勢力をめぐらすツウのための店である。友人に「ちょっと偵察して来い」と頼んだら、ヘビィスモーカーの彼は灰皿を出してもらえなかったと泣いて帰ってきた。やるな、なかなか。
次に常連さんを送り込んだら相手にされなかったと悄然と戻ってこられた。うーむ。この目で聴いてくるしかない「T」のジャズである。
昔、「八戸市のジャズはわたしが仕切っています」という旦那風のお客が夜にRoyceにみえたことがあった。和服を召されたマダムを同伴してこられて、さすがに会話もジャズである。こちらもそれに習って秘書を同伴してみたが、マスターはしきりにテーブルやイスを清掃しておりまだ店は開けないという。しかたなく大町界隈で時間をつぶしてから、再度のトライとなった。「T」のマスターはどこか迷惑そうでさえあったが、とにかく席に付かせてもらえてそれだけでほっとする。見ると驚いた。アルテックの大きなホーンのついたフロアースピーカーが一台堂々と中央の上席からあたりを睥睨している。ジャズはおいしい時代がほぼモノーラルレコードであるから、この一台モノラルという選択は正しいが、勇気がいる。アンプはと見るとうーむ、これは問題作である。
あきらかにコリコリの回路で、取り付いている部品がウエスターンの業務用アンプを思わせる渋い造りだった。
「これは、名のあるアンプでしょう」というと、知りあいに造ってもらったと、それだけで、何の薀蓄がきかれるわけでもないのは、わかるやつにはわかる、宗旨の違うやからはムダと思っているのだろうか。
ジャズボーカルが流れているので、マスターはコーヒーの豆を挽こうとしてややためらってからアンプのボリュームを静かに下げた。ボーカルは止まってかわりに豆を挽く音がブイーンと鳴った。「T」のマスターは、充分沸騰したお湯を糸のように細く豆の中央に注ぐ。
「なにか聴きますか」とリクエストをきかれて、今日はついてると思った。目の前にレコードジャケットが出されてカウンターのトップと縦横をきちっと合わせて置かれると、さながら一品の料理のように見える。ソウルトレーンを聴かねばならない。
「きょうは、タッド・ダメロンを聴きたい気分ですね」とヤボな注文をつけるとマスターはせっかく取り出した青と白に上下に割れたジャケットを棚に戻した。代わりにレコード棚から抜き出した凄い早さに唸る。古今の名演の在処はすべて頭に整理されているらしい。
後日わかったことであるが、MJ誌でおなじみあれが有名な館山「コンコルド」の当主の製作になる「佐久間アンプ」そのものであった。真空管プリメインアンプでボリュームつまみが中央に一個あるだけのいたってシンプルな外観がかえって気を引く。その隣のアンプもこれがワンセットでプリメインアンプとなっているそうであるから、世の中油断がならない。マスターはスピーカー一台で「レコードを聴く分にはこれで良い」と、迷える子羊に啓示をたれてくださった。
佐久間氏のセレクションを聴く機会はめったにないので、これがただの一台のスピーカーと思って聴くとえらいことになるのだが。
「T」の名前にゆかりのタル・ファーロウのレコードを、仙台の「バークリーレコード」さんにお願いしてやっと五枚集めていただいたので集中ヒアリングしてみたが、ウエスやバレルと違ったサウンドで、「いつもステーキを食べているからきょうはフレンチ料理」と友人に言ったら返事がなかったので見当違いか。どうも「T」のマスターのジャズは深い。
2006.3/23