
以前、メーカーオーバーホールから戻った『オースチンTVA-1』を聴いて、
淋しく変貌した音に泪した。
それゆえ、修理で戻ってきた『WE300BPPアンプ』を当のSA氏の前で鳴らし、
万一、泪など出てはと鳴らさなかった。
SA氏は非常に良い人で、磐乃井の生酒に舌鼓をうって、
ご友人と3人で四方山話のあと
「まあ、あとで音を聴かれた結果をメールででも教えてください、
もうしばらく迫市におります」
と帰られた。
昨日、メインの『845アンプ』から『WE300BPP』にいよいよ繋ぎ替えて
音出ししてみたところ心配はまったく杞憂におわり、
新しい発見のある良い音に仕上がっていた。
SA氏はやっぱりすばらしい技術者である。
アンプの出会いは数々あるが、是枝アンプのことを思い出す。
気仙沼市に、めずらしい是枝アンプを使っている人が居ると、
静かなウワサがRoyceに聞こえていたが、前触れ無く登場された客人、
MS氏がその人であったので大変驚いた。
『是枝アンプ』とはいかなる物か、岡山県の『オーディオマエストロ』という工房の制作で、
個性的な一徹の製品が耳目を集め全国に静かにフアンを広げている。
1.かつての究極のテストレコードCBS-STR120が製造中止になっては、何十万円もする価格のカートリッジは一体どうやってその性能を確認しているのでしょうか。
2.何のためにプレーヤを作るのと問われれば管球フォノイコライザを作るためと答えます。
3.創作意欲を掻き立てる真空管がないことには良いアンプは生まれません。
4.最近は管球フォノイコライザの開発に熱中しており、間もなく完成するでしょう。
技術雑誌でこうのべられた是枝氏だが、
自身で納得された稀少部品で、少数台こつこつと造られる貴重品であるらしい。
受話器を握って直接岡山の是枝氏の耳に、
「なにぶん、どうかよろしく」
聴いたことも触ったこともない高額な一品制作品に大枚をはたかれ、
枕の下に写真をしのばせて完成を半年待たれるような、
半端な情熱ではないマニアぶりも怪しい人である。
『是枝アンプ』の同じ製品を発注した九州のKU氏が、
「クリスマス試聴プレゼントです。差し上げるわけではありませんが」
と送ってくださったことがあった。
KU氏は、大変高額な製品をご自分よりさきに当方に送ってくださった希有の存在、
ご厚意にもかかわらず、当方の技倆物量及ばず、ついに、
腰を抜かすような再生音は再現できなかった。
「いったい、どんな音がしています?」
若干の危惧の念を持つこちらの視線を軽く受け流して、
RoyceのソフアでくつろぐMS氏はおだやかに言った。
「Royceさんでは是枝をパワーアンプだけ試されたと思いますが、当方では、対になるプリアンプも発注してあるのです」
な、なんてこった。
すごい入れ込みであるが、万が一、上手く行かなかったときの経済的反動は、
大丈夫なのかと下世話な心配までするほどそれは高額だ。
こちらの気持ちを察したかわからぬが、MS氏は左右の眉をピクピクと、
二度ほど上下されて、細かなところまで打合せをしたそれはカスタムメイドである。
自信たっぷりに申された。
話は、それで終わらなかった。
「これまで使用していたローサーのスピーカーは英国製で、髪の擦れる音も聞こえるような装置ですが、なにぶん箱が小さく低域が十分ではありません。
そこで、Royceさんの低音の好みも考慮に入れ他のスピーカーに替えておきますからすべてが揃うまで、しばしお待ちください」
自信ありげに言われた怪しいMS氏であった。
半年も経った若葉の5月であったが、MS氏は、
「いつでもおいでください」
一枚の地図を書かれ、ついに門を開かれた。
いったいそこで鳴っている音は、どのような音なのか、
イギリス好きのこちらのことまで考慮したという、組み合わせている
スピーカーのことも興味津々である。
ぜひ遠征して拝聴しなければ。耳の穴を揉みほぐして気仙沼へ出発した。
一関から東に国道284にのって太平洋側に50キロ行くと、
宮城県境の港町、気仙沼市がある。
トンネルを抜けるとMS氏のお宅は市街地から山沿いに少し入ったところにあって、
絶好のロケーションである。
坂道を降りて迎えに来られていたMS氏の後について二階の八畳の和室に案内されると、
大きな三つのソフアと見慣れぬスピーカーがあった。
『ダリ』のグランドというスピーカー、デンマーク製はトールボーイ型で、
座ると丁度耳の位置に高音がある。
結論を急ぐようではあるが、この音を聴かされて腰が抜けるほど驚いた。
箱の大きさからまったく想像もつかないほど伸び伸びと堂々たる迫真の音が鳴っている。
ホーンスピーカーのような金属的重質量をも伴って、
腰のある中高域をこれでもかと聴かせてくる。
低音も立派だ。
このような音を出すエンクロージャーは見かけより相当重量がありそうである。
タマの音、対するトランジスタといったデバイスの傾向を意識させない音であると聴こえる。
八畳の空間でこのような堂々とした音が聴けるものかと驚いた。
「ビル・エバンス」の〈ビレッジバンガード・ライブ〉も、どうかな?
と耳をたてると、ブルブルと地震で家が揺れているかのような極低音がして、
問題の地下鉄の通過音がたっぷりと再生され、感激した。
ご本人にうかがうと、とぼけておられるのか
「ハウリングだと思います」
といわれたが、これはオーディオマニアのあいだでは通行手形に書かれてある。
念のためニューヨーク地下鉄の音がズバリ収録されているキャピトルレコードを
聴き比べたが、その経験からいって、やはり地下鉄の音。
ジャケットを見ると、デビィのシルエットの印刷色が黒色のこれは、
小鉄盤モノラルカッティングのほうだが、ひょっとしてモノラル盤のほうが
たっぷり入っているのかや?
わけがわからず陶然として唸った。
いったいこのような音は、スピーカーの力かといえばそうではなく、
意外にアンプの性能だと思う。
あまりにも部屋とアンプによって音は変わりはてるので、真のスピーカーの音は
永遠にナゾと言いたいくらいオーディオは不可解だ。
初めて見た是枝プリアンプはこれまで想像していたどのイメージとも違い、
アールデコのようなツマミが視線を誘う。
昔、彗星のように現れて消えたオーディオデバイスというメーカーがあったが、
形状が似ていて、電源ユニットのメータも意表を突く外観だ。
パワーアンプとセットで聴いた期待に違わぬ音は、さては
このアンプが出しているのかと恐れ入って、
二つのユニットに別れた形容しがたい不思議なデザインをしみじみ眺めた。
ラインに繋がれたカートリッジも、ダイナベクターといえば、記憶のかなたに
消えつつの商品名と思ったが、現在もニュータイプが月産数個、
ゆっくりしたペースで造られていた。
このカスタムメイドのカートリッジの出す音は、伸び伸びとしながら引き締まって、
トランペットの切り裂くような音でも危なげなく、ラッカー盤もかくや、
と思わせる音ミゾに溶着したようなトレースだった。
帯域を伸ばした是枝アンプにはこのようなカートリッジがベストチョイスなのかもしれない。
1個20万という性能を誇示する値段に、ご丁寧に専用ヘッドアンプをあわせて
使っておられるMS氏の、オーディオに見せた静かな迫力である。
驚かされたMS氏の音に、朦朧としかけた気を払って部屋を見渡すと、
所狭しと立てかけたレコードジャケットが床の間から溢れ足元まで
さざ波のように迫って来ていた。
何十年もかけて選び抜かれた名盤揃いの垂涎のコレクションだ。
ブルーノート1500番の100枚の厚みは32センチ。
モノサシがわりに両手を広げてその巾ざっと600枚と数えるが、
眼で計って二千枚はありそうで、MS氏のこれまでの彷徨を語っていた。
夜道を一関に戻りながら『ダリ』のジャズが、しばらく頭に鳴り止まなかった。
2006.2/25
