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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

是枝アンプ

2020年08月31日 | 訪問記


以前、メーカーオーバーホールから戻った『オースチンTVA-1』を聴いて、
淋しく変貌した音に泪した。
それゆえ、修理で戻ってきた『WE300BPPアンプ』を当のSA氏の前で鳴らし、
万一、泪など出てはと鳴らさなかった。
SA氏は非常に良い人で、磐乃井の生酒に舌鼓をうって、
ご友人と3人で四方山話のあと
「まあ、あとで音を聴かれた結果をメールででも教えてください、
もうしばらく迫市におります」
と帰られた。
昨日、メインの『845アンプ』から『WE300BPP』にいよいよ繋ぎ替えて
音出ししてみたところ心配はまったく杞憂におわり、
新しい発見のある良い音に仕上がっていた。
SA氏はやっぱりすばらしい技術者である。
アンプの出会いは数々あるが、是枝アンプのことを思い出す。
気仙沼市に、めずらしい是枝アンプを使っている人が居ると、
静かなウワサがRoyceに聞こえていたが、前触れ無く登場された客人、
MS氏がその人であったので大変驚いた。
『是枝アンプ』とはいかなる物か、岡山県の『オーディオマエストロ』という工房の制作で、
個性的な一徹の製品が耳目を集め全国に静かにフアンを広げている。
1.かつての究極のテストレコードCBS-STR120が製造中止になっては、何十万円もする価格のカートリッジは一体どうやってその性能を確認しているのでしょうか。
2.何のためにプレーヤを作るのと問われれば管球フォノイコライザを作るためと答えます。
3.創作意欲を掻き立てる真空管がないことには良いアンプは生まれません。
4.最近は管球フォノイコライザの開発に熱中しており、間もなく完成するでしょう。
技術雑誌でこうのべられた是枝氏だが、
自身で納得された稀少部品で、少数台こつこつと造られる貴重品であるらしい。
受話器を握って直接岡山の是枝氏の耳に、
「なにぶん、どうかよろしく」
聴いたことも触ったこともない高額な一品制作品に大枚をはたかれ、
枕の下に写真をしのばせて完成を半年待たれるような、
半端な情熱ではないマニアぶりも怪しい人である。
『是枝アンプ』の同じ製品を発注した九州のKU氏が、
「クリスマス試聴プレゼントです。差し上げるわけではありませんが」
と送ってくださったことがあった。
KU氏は、大変高額な製品をご自分よりさきに当方に送ってくださった希有の存在、
ご厚意にもかかわらず、当方の技倆物量及ばず、ついに、
腰を抜かすような再生音は再現できなかった。
「いったい、どんな音がしています?」
若干の危惧の念を持つこちらの視線を軽く受け流して、
RoyceのソフアでくつろぐMS氏はおだやかに言った。
「Royceさんでは是枝をパワーアンプだけ試されたと思いますが、当方では、対になるプリアンプも発注してあるのです」
な、なんてこった。
すごい入れ込みであるが、万が一、上手く行かなかったときの経済的反動は、
大丈夫なのかと下世話な心配までするほどそれは高額だ。
こちらの気持ちを察したかわからぬが、MS氏は左右の眉をピクピクと、
二度ほど上下されて、細かなところまで打合せをしたそれはカスタムメイドである。
自信たっぷりに申された。
話は、それで終わらなかった。
「これまで使用していたローサーのスピーカーは英国製で、髪の擦れる音も聞こえるような装置ですが、なにぶん箱が小さく低域が十分ではありません。
そこで、Royceさんの低音の好みも考慮に入れ他のスピーカーに替えておきますからすべてが揃うまで、しばしお待ちください」
自信ありげに言われた怪しいMS氏であった。
半年も経った若葉の5月であったが、MS氏は、
「いつでもおいでください」
一枚の地図を書かれ、ついに門を開かれた。
いったいそこで鳴っている音は、どのような音なのか、
イギリス好きのこちらのことまで考慮したという、組み合わせている
スピーカーのことも興味津々である。
ぜひ遠征して拝聴しなければ。耳の穴を揉みほぐして気仙沼へ出発した。
一関から東に国道284にのって太平洋側に50キロ行くと、
宮城県境の港町、気仙沼市がある。
トンネルを抜けるとMS氏のお宅は市街地から山沿いに少し入ったところにあって、
絶好のロケーションである。
坂道を降りて迎えに来られていたMS氏の後について二階の八畳の和室に案内されると、
大きな三つのソフアと見慣れぬスピーカーがあった。
『ダリ』のグランドというスピーカー、デンマーク製はトールボーイ型で、
座ると丁度耳の位置に高音がある。
結論を急ぐようではあるが、この音を聴かされて腰が抜けるほど驚いた。
箱の大きさからまったく想像もつかないほど伸び伸びと堂々たる迫真の音が鳴っている。
ホーンスピーカーのような金属的重質量をも伴って、
腰のある中高域をこれでもかと聴かせてくる。
低音も立派だ。
このような音を出すエンクロージャーは見かけより相当重量がありそうである。
タマの音、対するトランジスタといったデバイスの傾向を意識させない音であると聴こえる。
八畳の空間でこのような堂々とした音が聴けるものかと驚いた。
「ビル・エバンス」の〈ビレッジバンガード・ライブ〉も、どうかな?
と耳をたてると、ブルブルと地震で家が揺れているかのような極低音がして、
問題の地下鉄の通過音がたっぷりと再生され、感激した。
ご本人にうかがうと、とぼけておられるのか
「ハウリングだと思います」
といわれたが、これはオーディオマニアのあいだでは通行手形に書かれてある。
念のためニューヨーク地下鉄の音がズバリ収録されているキャピトルレコードを
聴き比べたが、その経験からいって、やはり地下鉄の音。
ジャケットを見ると、デビィのシルエットの印刷色が黒色のこれは、
小鉄盤モノラルカッティングのほうだが、ひょっとしてモノラル盤のほうが
たっぷり入っているのかや?
わけがわからず陶然として唸った。
いったいこのような音は、スピーカーの力かといえばそうではなく、
意外にアンプの性能だと思う。
あまりにも部屋とアンプによって音は変わりはてるので、真のスピーカーの音は
永遠にナゾと言いたいくらいオーディオは不可解だ。
初めて見た是枝プリアンプはこれまで想像していたどのイメージとも違い、
アールデコのようなツマミが視線を誘う。
昔、彗星のように現れて消えたオーディオデバイスというメーカーがあったが、
形状が似ていて、電源ユニットのメータも意表を突く外観だ。
パワーアンプとセットで聴いた期待に違わぬ音は、さては
このアンプが出しているのかと恐れ入って、
二つのユニットに別れた形容しがたい不思議なデザインをしみじみ眺めた。
ラインに繋がれたカートリッジも、ダイナベクターといえば、記憶のかなたに
消えつつの商品名と思ったが、現在もニュータイプが月産数個、
ゆっくりしたペースで造られていた。
このカスタムメイドのカートリッジの出す音は、伸び伸びとしながら引き締まって、
トランペットの切り裂くような音でも危なげなく、ラッカー盤もかくや、
と思わせる音ミゾに溶着したようなトレースだった。
帯域を伸ばした是枝アンプにはこのようなカートリッジがベストチョイスなのかもしれない。
1個20万という性能を誇示する値段に、ご丁寧に専用ヘッドアンプをあわせて
使っておられるMS氏の、オーディオに見せた静かな迫力である。
驚かされたMS氏の音に、朦朧としかけた気を払って部屋を見渡すと、
所狭しと立てかけたレコードジャケットが床の間から溢れ足元まで
さざ波のように迫って来ていた。
何十年もかけて選び抜かれた名盤揃いの垂涎のコレクションだ。
ブルーノート1500番の100枚の厚みは32センチ。
モノサシがわりに両手を広げてその巾ざっと600枚と数えるが、
眼で計って二千枚はありそうで、MS氏のこれまでの彷徨を語っていた。
夜道を一関に戻りながら『ダリ』のジャズが、しばらく頭に鳴り止まなかった。
2006.2/25



三迫川の旅 2 

2020年08月30日 | 訪問記


お客が重なって店内も混み合ってきたので腰をあげると、
「どうぞ、スピーカーを見ていってください」
ご主人はお客をそこに残したまま立ち上がった。
別棟のご自宅に案内してくださるというので大変恐縮した。
さすがに解っておられるかたである。
車にとってかえし、秒5コマ連写の仰々しい二重モードラを附けた
コンタックスを掴んでご主人の後を追った。
一面の大きな壁を背に少し宙に上げてセットされた2S305の端正な配置から、
これまでも無窮の至福をうかがえて、うらやましく思った。
階下の方から、ご主人を呼び求める新たなお客の声がして、
後ろ髪引かれる思いで早々においとました。
おぼろげな記憶ではあるが、オーディオアンプやテクニクスPS-10プレーヤー、
クローゼットの中央に一枚のポートレートが有り、あれはRivieraの風景だ。
ニースの紺碧海岸を背景に美女と肩を寄せて撮影された記念の一枚である。
最初の話に戻れば、俳人芭蕉はなぜ江戸から遠い平泉までやってきたのか?
一説には、仙台伊達藩の瑞厳寺の城構えを調べるための幕府隠密説があり、
時代を四百年遡る歌人西行の歌枕を偲ぶ旅であったと言う人もいる。
歌枕には、人を引き寄せる秘密がある。
芭蕉は晩年に「かるみ」という枯淡の心象風景を弟子に語っているが、
するとジャズでは、オーディオの枯淡とは、それは侘びの風趣を聴かせる粋な音か。
五味康佑氏の言う無音のタンノイか。
或る日のこと、夢の中でついに最高のオーディオ装置の音を聴いた。
それはなるほどこれがそうだったかと納得のいく、まだ聴いたことのない音であった。
目を覚まして、夢ではなく確かに聴いたと何かに刻みつけたかったが、
やはりそれは夢だった。
無粋となっても76センチウーハーを正面に装備したロイヤル76で、
バックロードと合わせた風を、頬に受けてみたい。
2006.2/20


三迫川の旅 1

2020年08月30日 | 訪問記


芭蕉が平泉をめざしはるばる白河の関を越えて、
奥州路に分け入ったのは元禄2年春である。
いよいよ平泉という一歩手前の一関で、磐井川のたもと
『二夜庵』に投宿し旅の疲れを休めたのは、5月14日とされている。
二夜庵とジャズのメッカ喫茶・Bは目と鼻の先だ。
現代の芭蕉達も、夜にちょっと旅籠を抜け出して、
一杯やりながらジャズを楽しんでいる。
磐井川は、市街地から望む遠くに雪をいただく一番高い山、
標高1627mの須川岳を源流にして、
山を流れ下りRoyceのそばをかすめ、
喫茶・Bの傍を流れて北上川に合流し、
ついには太平洋にそそいでいた。
先日、二人のお嬢さんを伴っておみえになった宮城の客人は、
おなじ須川岳を源流とするもう一方の南の川、三迫川の袂で、
骨董店と喫茶店を経営されている旧家のご主人である。
「ひさしぶりにオーディオらしいオーディオを聴きました。やはり継続は力なりですね」
符丁を発しながら次々お話になったご様子で、
三菱の2S305を御自作の真空管アンプで鳴らされている。
音好きの衆で、日本を代表したスタジオモニター2S305の名を知らない人はいない。
以前モニター仕様でないサランネット仕上げのものを、
中野のジャズ好き杉浦氏宅で聴かせてもらっていたが、
アンプによって音の印象は違ってくるものの、
落ち着いたバランスの風格のある音がする。
昔、冷蔵庫を購入しに道玄坂のYに出かけたときのこと、
どこからともなく良い音が聴こえてきた。
音をたよりに狭い売り場の端にある階段をどんどん昇っていくと、
三階ほど昇って最上階とおぼしきリビング家具の並んだフロアの一角で、
静かな音量でありながら腰の強い音を階下まで響かせていたのが2S305であった。
階段を三階も吹き抜けて静かな音を浸透させる力は小型のスピーカーには無い。
客もめったに上がって来る様子のない天使の売り場に、
2S305をセットして鳴らしているマニアがこの店に居る。
あらためて三菱2S305を聴いたあの日が重なった。
休日、骨董と御茶を嗜むことにして、初めて沢辺の町を訪ねてみた。
地図をいただいていたので三迫川と旧街道の交差するところに、
『OM』を訪ねあてることが出来た。
時代を経た門構えを敷地に残すモダーンな板張りの喫茶店であった。
しゃれたデザインだ。
一抱えも有る壺の並ぶ入口から店内に入ると、
落ち着いた板張りの、天窓の大きくとられた中央にカウンターがあり、
壺や皿の陶器、和箪笥、大和絵など、骨董もびっしり陳べられている。
この店内にスピーカーは置かれていない。
快活なご主人は骨董についてさまざまの経験を披瀝されて、
楽しい音楽のように会話が店内に流れる。
カウンターにて一筋の湯気の立ちのぼるカップを前に、
小鼻を膨らませてコーヒーの香りを喫すると、
一瞬、思考の中心で何かがはじけるような気分がする。
中世の羊飼いが野性のコーヒー豆を焚き火にくべて始まった
ブラックコーヒーだが、ブルーマウンテンに、砂糖を加えた場合の味を
ちょっと試したくなってスプーンを貸していただくと、
手触りもどっしりした真鍮の曲線を描くスプーンだ。
懇意の職人に作らせたものであるそうで、
「よかったらどうぞお持ちください」
由緒を尋ねた秘書そっちのけで喜んだのは申すまでもない。
2006.2/20



T氏のJBL

2020年08月30日 | 訪問記


関が丘下にお住まいのT氏はご自分の装置のことを、
「ジャズ喫茶・Bと同じ構成です」
といわれたのでびっくりしたことを覚えている。
いつかは立ち寄らせていただきたい「歌まくら」である。
ところが、一関から仙台に通勤されておられるそうで、
なかなかスケジュールが合わなかった。
T氏は、ちょっとタルファーロウに似た紳士であるから、
そこからご自宅のサウンドをある程度想像することができる。
はたして、Bと同じ装置とはいかがな音のものであろうか。
いよいよ音が聴けるとあって、朝から微熱状態であった。
土曜の夜7時は黄昏時をやや過ぎて、家並みは闇に隠れようとしている。
T氏の家は、一品デザインのおちついた堂々たるシルエットで我が前にあった。
玄関脇のオーディオルームは十畳のスペースで、一枚板削り出しの床に白い壁、
天井は二階部分まで吹き抜けのオーディオのための豪華な造りである。
設計は盛岡の専門家がおこない、主要な木材はご自分で秋田杉を、
買い付けにいかれたそうであるから木の厚みもすばらしい。
JBLは堂々たる威容をオダリスクのように床に横たえて眼前にあるが、
ライトグレイに塗装されたウーハーエンクロージャーも非常に美しかった。
喫茶・Bの店内は照明が落ちているので装置の全容を記憶できる人は、
その道のマニアであるが、T氏の明るい部屋では、レーシングカーのコクピット
のような座りの良さに、手に取るようにジャズを楽しまれている。
かたずをのんでJBLの第一声を聴く。
一聴して、やかましい音が無いのに驚く。
これはどうしたことか、あらゆる部分を吟味すると、このように透明な音になるのか。
喫茶・Bの音とはまた違うシャープで造形の若々しい
もうひとつのジャズの世界を教えてもらった。
さすがに十畳の部屋といえどもこの装置の大きさで、通常のコンポの音像の比ではない。
聴取位置はユニットに近く、かえって演奏者に接近したライブ感を醸し出す。
この装置を喫茶・Bのような土蔵造りに据えると、ドスの効いた
あのような音になると知っても、これにはまると、劇場型の聴き方に
かえって違和感を持つかもしれない。
途中、T氏は行方不明になられてしばらく部屋にお戻りにならず、
お忙しいのかと思っていたところ、
手に湯気の立つフラスコが握られていて感激した。
たっぷり時間をかけて淹れてくださった美味しいコーヒーであった。
2006.2/14



ジャズの地平線 2

2020年08月30日 | 訪問記


「後藤さん、いるかな」
腹ごしらえもすんで外に出るとSU氏は、
ジャズの名所『いーぐる』に向かって歩き出した。
待ってました!いよいよ硬派のジャズ喫茶にくり出すのである。
四谷の広い交差点を渡って、地下の入口の、
カンバンのところで記念写真をパチリとやる。
我が『Royce』の前でも遠来のお客はよくやっておられるが、
これは神社仏閣に千社札を貼るに等しい、お参りしましたという気分だ。
さて、階段を下りて、思いっ切りバターンと轟音を出してドアが閉まると、
そこは『いーぐる』だった。
後藤マスターはモルツのシャツにエプロンのいでたちで、
カウンターに忙しくして居られたが、オッ!とSU氏を見て、
親しく旧交を温めておられる。
こちらは地下の長椅子のフロアーに陣取って、
歌枕『いーぐる』のサウンドに両耳全開で浸る。
のびのびとスケールの大きいサウンドである。
「ドラマーは、演奏旅行でシンバルだけは持って行く。シンバルは命」
SU氏はのたまって、シュパーン、チチチーンと飛んでくる高音は、
マークレビンソンとJBLのコンビネーション特有の、手で掴めそうにリアルだ。
さすがにこの命のかかったシンバルは、
英国耳にもタンノイの及ぶところではない。
低音もブン!と風圧があるのは箱を壁面に埋めて一体バッフルとしているからか。
JBL4343にデンオンのカートリッジは、
七十年代のジャズを次々と快調に轟かせている。
曲を繰り出すお弟子さんの交代の時間らしく、
また屈強なお弟子さんが現れて、後藤マスターの睥睨する店内に。
思いおもいのスタイルでジャズを楽しむ客にスインギーな時間が流れた。
耳をかたむけているSU氏から折に触れ、
ピッピッと短いコメントをいただくのがツボにはまってこたえられない。
そこに練達の大先生のジャズのセンスが隠されている。
まったく突然、何十年も前のことになるモノクロテレビ時代に、
ジャズのクイズ番組の様子を思い出していた。
数人の解答者が目の前のボタンを見つめて気を張り詰めている。
出だしの数秒を聴いてジャズの曲名を当てる一瞬の神業に、
一人の青年が優勝を攫った。
やがて後藤マスターは我々のテーブルに来られて、親しく歓談してくださった。
後藤氏とSU氏に対峙したジャズ的に謎の男、すなわち自分であるが、
このさい両先生におまかせし、竹光を決して抜くまいと沈黙を決め込むと
「ロイスとは、綴りはどう書きます?いずれから取ったか名前の由来は?」
など心使いしてくださった。
あくまで遠回しに答えたつもりだが、これを聞いたSU氏と後藤マスター、
なぜか身を引いてやや無口になってしまわれた。
新参モノが申しわけありません。
マスターは、カウンターに戻るとみずからクリス・コナーの名盤をかけてくださり、
ありがたくも鞘を払って刀を抜いてくださった。
「へえぇ、いーぐるでこの盤がかかるとはね」
SU氏は、ぽつりと漏らす。
白モノというセンスに、めったな符丁を繰り出して馬脚をあらわしてはならない。
さきごろRoyceに来られた客が、入ったばかりのベイシーで、
ものすごく良い曲がかかりイモな振る舞いはできぬと、
「泣く泣くレジで金を払いつつ傍のジャケットを盗み見て記憶し、外に出てからタイトルをメモしました」
これは!というデスクがかかれば、プライドと天秤のジャズの刹那だ。
客人が飛ばしてきた手裏剣、気仙沼港の捕れたてアワビの味が忘れられない。
都会的な思い出深い選曲の続いた『いーぐる』であったが、
なかでもウイントンケリーが、いつも聴いているタンノイとは
やっぱり違う聴こえかたでとても記念になった。
そのうえSU氏の口添えあらばこそ、記念撮影にも収まってくださり、
いささか男前である。
後藤氏の名著から受ける硬派のイメージと違って、柔らかな人である。
二人の大先生は、遠来の新参者にジャズの心をかいま見せてくださった。
2006.3/4
この話を聞かれた宇部市の名医が学会の途中『いーぐる』に寄られたそうで、
「男前でしたね」とご報告があった。




ジャズの地平線 1

2020年08月30日 | 訪問記


姪のY嬢の慶事で上京することになって、千葉の大先生に連絡すると、
「四谷においしい鯛焼きの店がある。ぜひ行きましょう」
と言ってくださった。
二年ぶりでお会いしたSU氏はジャズの大先生だが、
剣の達人ほど,剣を抜かないという。
ブルーノート1500番台の某名盤をリクエストした時のこと、
傍にいたSU氏「プッ」と吹いたので、チッ!1500台じゃイモ扱いか、
いささか気分が引いた事があった。
ケリー・ブルーなど人の寝静まった夜にこっそり聴くイタになってしまったか。
SU氏と昔、一緒に川向うの『B』を訪問したことがある。
奥の丸テーブルでマスターはSU氏の前にグラスを据え、
トクトクッと赤ワインを注いだ。
そのとき古いとっておきの名盤がかかっていて、
そこでSU氏は独り言を聞えるようにもらした。
「このレコードは音が悪いと言われているけど、やっぱりそんなことなかったね」
おーっと、これは『符丁』だ。
マスターはポーカーフェイスで、ピクリと耳が動いた。
「自分はジャズはシロウトであるが、ジャズ喫茶で作法はあるのか?」
以前Royceに来られた真面目なお客に、そうきかれたことがある。
本を読んではいけないとか、しゃべるなとか、そういう作法も良いが、
あの『符丁』を発するセンスこそ、一番の作法かもしれない。
さて、鯛焼き屋に行ってみると行列が出来ていた。
この鯛焼きは皮がぱりぱりと薄くて、ほとんどアンコだけの絶品であった。
おいしいものは人を無口にする。
「何個食べます?」
ときかれたときに二個と言わなかったことを、思わずくやんだ。
甘党の大先生は両手に鯛焼きを握りつつ、
懐かしそうに周囲の家並みを見回して回想してくださった。
御幼少のころ、四谷はこの近くに住んでおられたそうである。
次に昼食のため向かったところは「こうや」という支那そば屋であるが、
またまた行列の店であった。
いなせな男衆がどんどん客を捌いている。
大理石の床のひんやりした店内で、スープまでペロリといただくと、
汗が、ぶわっと吹き出した。
続く 2006.3/4


松島から仙台へ 5

2020年08月26日 | 訪問記


駅前でST氏とお別れし、四号線を帰途につくと、
どこに向かう車か、テールランプが延々と赤い帯となって渋滞する。
やがて、車もだいぶまばらになったところで『道の駅』という休憩所に入った。
大きな建物だがあまり人影はなく、ちょっと某所に電話を入れ再び車に乗る。
ときどき対向車線をトラックがすれ違って行くだけの静かな夜道に、U氏の話が面白い。
以前、同窓会の帰りにこの道を走ったことがあるそうで、
高速道から降り勢いがのっていたからスピードが麻痺していた。
「後ろから追跡してきたパトカーに停められまして」
やれやれ、違反キップか、と観念してハンドルから手をはなしたとき、
「ごくろうさん」
後部座席の同級生が、覗き込んだお巡りさんに声をかけている。
警官はしばらく顔を見ていたが、
「ハッ!失礼しました」
言い残して、パトカーは去って行ったと。
夜の闇、ヘッドライトに浮かぶハイウエイこそラウンド・ミッドナイトの映画の舞台だ。
さて聴きたい演奏は誰のROUND MIDNIGHTか・・・・。
2006.2/13

松島から仙台へ 4

2020年08月26日 | 訪問記


東一番町は、有名なBRICK M CLOTHINGさんの庭先でもあるが、
ST氏は思い出したように、
「ブリックさんの店はスーツで決めていかないと、ちょっと再びは入れません」
と申されて、どうやら訪問されたことのあるご様子だ。
シブいメンズファッションと眩いショーウインドーが脳裏をかすめ、
ウオルター・ビショップを思わせるヒゲを刈り込んだ店主の穏やかな横顔が浮かぶ。
「こちらにあった方が似合うでしょうから」
一枚の巨大なLPレコードをRoyceに持って見えたことがある。
大戦中、ボイス・オブ・アメリカの放送や各地の進駐軍、戦艦の艦内放送用
などにプレスされたレコード盤は直系40センチもあって、
EMT927の業務用大型ターンテーブルに針をのせると長時間の再生ができる。
ラベルには『デューク・エリントン・コンサート』と書かれてあり、
一枚をあえて残した人のセンスが偲ばれる。
ブルーノートオリジナルを凌駕するともいわれる盤の価値であるが、
SPのコレクションまで間口の広い博学の杉並S先生も
この四十センチLPはお持ちでないと電話で聞き、判定は宙に浮いている。
以前CDを流し聴きしているとき、いつのまにか音量がガクンとさがって、
アレッと思った。
「これはサボイレーベルでしょう」
耳を傾けていたB・メンズさんは、博識の一言をもらすと、
コーヒーカップをゆっくり皿に戻して、隣の女性と笑っていた。
さて我々は、新しい喫茶店も楽しませていただいて街路に出ると、
すれ違う人も薄闇にたそがれる夕刻であった。
(続く) 2006.2/13



松島から仙台へ 3

2020年08月26日 | 訪問記


松島町にてST氏のフェイバリットデスクを聴かせていただいた我々だが、
「そういえば最近、仙台の新しい喫茶店にアルテックのフラメンゴというスピーカーが入りました」
レコードを掛け替えながらST氏はニュースを話しはじめた。
つまりST氏のところにあった余分なセットの一部が仙台にお引越しなさったのだが、
一時的に貸与したところ、そのまま住みついたということである。
ST氏の後をついて、フラメンゴの音を鑑賞するため松島から仙台に向かった。
郊外の方とばかり決め込んでいたが、意外にも高層ビルの林立する仙台市街の中心に
3人の乗った車はどんどん分け入ってゆく。
「ほら、あそこです」
指し示されたところに、一角だけ大正時代が残っているような、
いまとなっては懐かしい木造建物がビルの谷に手つかずのままあって、
ガラス戸の入口をギュギュッと押し開いて入る。
左手に人の背丈ほどもある印刷機のようなボイラーのような不思議な機械があり、
これは珈琲豆の焙煎機であろうか。
店主はアーチストヒゲをぴしっと刈り込んだ青年で、生豆や焙煎豆の卸し以外に、
二階の空間に珈琲喫茶店も開業のはこびとなったのだ。
木製の手摺に掴まって階段を上がると、
昔の役場の事務室とでもいったなつかしい空間があった。
露出した木肌に素朴な加工がされて、コンクリートジャングルに住む現代人に
思いがけない和みがある。
営業初日のこと、店主が店を開けると、目付きのただならぬ男たちばかり
三々五々店内を占めて、一言の会話もなくただ黙々と珈琲を飲んでいたそうで、
異様な雰囲気をてまえかってに想像しジャズも一瞬うわの空になった。
が、これはどうやら噂を聞きつけて仙台各所から集まった同業の
喫茶店主の偵察行動であったらしい。さすが伊達ではない。
スピーカーの傍の席について、冷たい水を口に運ぶと、
付近のテーブルからかすかに聞こえてくる女性客の華やいだ声と、
『フラメンゴ』というスピーカーから聴こえる静かなジャズが都会を彩るオブジェであった。
ブラインドの隙間から外を覗くと、林立する高層ビルと喧噪の街、東一番町が見える。
それを眺めていたら、ときどきRoyceに連絡のあるBS氏のことが急に思い出された。
いま関東に住んでおられるBS氏が生まれたのはこの東一番町である。
鬼畜米英の仙台空襲のとき一関に疎開されて、
それから全国各地を転々と移り住まわれる鴨長明的な方である。
戦前幼少のころの街の変わりようにさぞ驚かれることであろう。
シャッターを押すと、音がパシャンと意外に喧しく響いた。
店主は、ジャズ喫茶風でなく、普通一般のお客にゆっくり珈琲を
楽しんでもらえる店にしたいと申されていたが、
ST氏のセッテイングだけあって水準以上の音である。
(続く) 2006.2/13

松島から仙台へ 2

2020年08月26日 | 訪問記


各地のジャズ喫茶や歌枕を飄々と訪ねては、その印象を
Royceにて手短にお話しくださるST氏であったが、そういえば先日も、
「ちょっと大槌の喫茶クイーンに行って来ました」
そのときの様子を興味深くうかがったことがあった。
大槌といえば、岩手で一番最初にジャズ喫茶の誕生した港町
といわれて『Q』がそれである。
これも以前Royceに登場した青年が話していたことだが、
この大槌のQに入店しポケットから『或るCD』をカウンターに取り出すと、
CDを見て驚いたマスターは入口にカギを掛けそうな勢いで、
「そんときはテレビドラマでやっている警察の取調べそっくりの目に合いました」
と、よほど緊張したのか、思い出して笑顔が消えている。
『Q』のマスターは、青年の取調べを終えると受話器を握って、
「いま、オレの店におもしろいヤツが来ている」
どこかに電話をかけていた。それが『B』であると思ったと、
繋がっている紐の先を推量した。
青年は車まで戻ってCDを取ってきてくれた。
いったいどんなCDかと考えてみたが、驚きである。
「カウント・ベイシーの権威と席を同じくすることもあるでしょうから、
これを一通りおさらいしておいたほうが良いでしょう」
二年も前のことになるが、千葉の大先生が届けてくださった同じCDが目の前にあった。
1937年から39年のベイシー演奏を網羅した完全盤といわれる三枚組CDで、
最後まで所在の解らなかったFare Thee Honeyの録音をイタリアの海賊版から探し当てたなど、
オリン・キープニュース氏とスタッフの献身的努力が実を結んでこの62曲完全盤は完成したそうである。
ST氏から『Q』のジャジーな雰囲気を聞くと、因縁のCDのことも浮かんで、
いつかぜひ訪れて、歴史の重みに浸ってみたいと思う歌枕である。
手元にいまから十年ほどまえ『鎌田竜也』氏が全国のジャズ喫茶にアンケート調査したマイフェイバリットデスク十選の記事がある。
そこには『Q』の選んだ10枚も書かれてあって、ベーシックな名盤の行列にはじめ驚く。
だが、この普遍的ともいえる選択はジャズの海を航海する後輩に六分儀の役をはたすのかもしれない。
次の頁に『ジャズ喫茶B』の選んだ10枚が目を引いた。
カウント・ベイシーを一枚、コルトレーンが二枚とは、そこに隠れた意味を思い、
選ばれたものより、選ばれなかったレコードの方を推理するとまた謎を呼ぶ。
『B』に入ったときの、天井から提がったシェードに明かりを避けながら
S氏の運んできた珈琲のカップに手を伸ばした情景が浮かんでくる。
あるとき「アイスコーヒー!」と注文したら
「無い!」
と返ってきたその間合いがシンバルを叩くステックのように決まって感心した。
しばらくあとに、さる御仁の付き添いで再び訪ねたときには
奥の丸テーブルに座らせていただいたが、黙ってアイスコーヒーが出てきたので
偶然とはいえ、有るじゃない!とびっくりした。
杉並のS先生も『B』がお気に入りで、
「これを見てください」
ごそごそ紙包みをほどいて見せてくれたのが今『B』から買ってきたという
名入りの珈琲カップであった。これは、わけてもらえるそうである。
次の項のジャズ喫茶『I』は、四谷見付の広い交差点を西に向かっていくと地下にあった。
マスターのG氏はその日店に居られて、JBL4343の鳴らすジャズを
共に聴くことができ幸運だった。
「いま、東京では七十年代以降のジャズがおもに鳴らされてますね」
同行の千葉の大先生は、『I』のテーブルでタバコをくゆらしながらそれとなく
時代の感覚というものを諭してくださって、浅学の当方ゆえに、
それがどうしたの?
こちらは四、五十年代どっぷりで恐いもの無し、楽しい思い出である。
(続く) 2006.2/13


松島から仙台へ 1

2020年08月26日 | 訪問記


アルテックでもタンノイでも、どこの愛好家の装置も同じようなジャズが鳴っているのか?
それを訪ねるのが『歌枕』の旅だ。
松島町アルテックA-7はマッキンC-22と275の銘器、高域を300Bアンプで稼働するST氏が
「ちょっとアルテック純正の球アンプに換えてみましたが申し分のない音が出ています」
パワーアンプを4台調達されて、ダイナミックで潤いのある音が鳴っているらしい。
そろそろ街道の雪も溶けた或る休日、片雲の風に誘われて
U氏とともに松島町の『歌枕』に向かった。
冬のなごりが見られる山野の風景は穏やかに開けて、
レッドガーランドのピアノトリオが聴こえてくるようだ。
「この近くにマンガ家石森正太郎の生家がありましたね」
U氏の記憶をたどってゆくと、土蔵を改築した立派な記念館があった。
道を隔てた所には石森氏の生家があり、訪ねた我々を受付の女性が快く招き入れてくださった。
いまも人が居住まいしているような内部を案内されると二人の先客が居り、
庭先にそって小川が流れていた。
それをテーマにしたマンガも描かれたそうであるが、
こちらの気を惹いたのは南部箪笥の上の管球ラジオである。
高校まで住んでいたという石森氏の勉強部屋は二階の通りに面したところにあった。
そこにマンガの落書きでも見つければ値打ちである。
煎茶をご馳走になって記帳をすませ、ふたたび車上の人となる。
街道沿いの商店街にさしかかると
「あの電気店には以前アルテックA-7がありました」
U氏はたいそう詳しい。
さらに市街地を抜けてしばらく行くと、風景の開けた崖地に
原生人の住居跡といういくつも穴の穿たれた洞穴群があらわれて、
車を停めてしばし魅入った。
陽が昇れば獲物を追い、夜は星の下で焚き火をする、
時の流れるままに暮らしたご先祖の生活に思いをはせる。
夢の跡 巌の庵や 蕗の薹
本歌取りであるが、下手な演奏ではかえって失礼か。
急に空腹を感じて、上海風と書かれた看板に吸い込まれるように車を入れた。
「食事は早い方でしたね」
ポツリと申されて、ヨーイドンではじめたわけではないが、
終わってみると同時に箸を置いて涼しい顔のU氏であった。
駐車場から出発のとき、親切そうなワゴン車の運転手に道を尋ねると、
正反対の方向を示され仰天したが、あらためて交番で確認した
U氏の最短のコースは正しかった。
いよいよ松島町に辿り着く。
ST氏は玄関に我々を迎えて、二階の結界に招じ入れてくださった。
アンプはすでに交換されて真空管が赤々とヒートアップされ、
音楽世界はまた新たな展開をみせている。
目の前に2列並んでいるアンプはアルテックグリーンの塗装も眩い
1568パワーアンプ4台で、迫町の大御所SA氏の装置が記憶から甦ってくる。
さる知りあいの遊休ラインから一部を譲り受けることができて、
豪華なマルチチャンネルを実現されたそうであるが、
このように、人脈とは魔法の鉱脈である。
「あまり欲しそうにしましては、値段は上がるもので、自制の心が肝要です」
ジョークをつぶやいて笑わせる。
カウントベイシー「ライブ・アット・バードランド」のB面がバリバリと
空気を押し分けて眼前に音像が林立し、
普段冷静なU氏もスリッパの先でヒョイヒョイとリズムを取っておられる。
見事なアルテックの音が再現されてうっとりした。
「以前、マドリッドに上陸したことがありまして」
ST氏は船乗りをしていたころを話題に、マニタス・デ・プラタのLPを聴かせてくださった。
以前からジプシー村にまぼろしの『銀の手』といわれるギターの名手がいる
という噂があって、飛行機嫌いで村を離れることなくマスメディアと無縁の男に、
米コニサー協会が録音機材一式を揃えて現地録音を敢行した貴重な名盤である。
切れのよいジプシーのルンバが、ビリビリとホーンから吹き出すのを聴いて、
静かな名曲『ジャンゴ』が頭に浮かぶ。
(続く) 2006.2/13

いわてサファリパークへ

2019年04月12日 | 訪問記


1057年の11月に勃発した『黄海の合戦』は、一関から南に古道を
27キロ進んだ『藤沢』の黄海小学校近くの古戦場でくりひろげられた。
多賀城の国府軍と、陸奥の豪族安倍軍が領土をめぐって争い、
有名な河崎柵に近く、ぜひ拝見したいとかねがね思っていた。
しかし車は、おなじ藤沢の「いわてサファリパーク」に着いた。
はてな?
サファリカラーにペインテングされているバスが、何台も停まっており、
ゴールデンウイークには延々と車が数珠繋ぎであると。
女性乗客達が、エサをキリンやシマウマやダチョウや水牛、バッファロー、
日本で二か所しか居ないシフゾウのような動物に与えようと大騒ぎしている。
運転兼ガイド氏は見かねて、
「相手にも、選ぶ権利があります」
円熟のつぶやきがマイクに漏れて、高座の三平師匠で、笑った。
ライオンやピューマのブースでは勝手に窓を開けないように言われるが、
頼まれてもお断り、緊張してライオン様に差しかかると、
窓ガラスの傍10センチの休憩台にぞろりと猛獣の顔が眠っている。
昼間は、このように眠っているようにみせかける哲学的ライオンである。
眼が開いていたらとても恐ろしいことであろう。
この機会にしみじみ観察すると、2番目の奴のみけんに古キズが。
「カメラでこの近さでは口と鼻しか写りません」
運転も口もなにかと達者なひとであるが、ぽろっと当方が感想を漏らすと、
どうも聞こえているのか、すぐにジャズ的反応がある。
ライオンの糞は、畑作物を荒らす害獣に相当な駆逐効果があるらしく、
農家の人に喜ばれているそうで、
「無料ですか」
予定は無いが害虫駆除に、確認しておいた。
バスが通りすぎると、それを待っていたようにライオンどもがゾロゾロと起きて、
すかさずガイド氏、ギヤをバックにいれて、散歩をはじめたライオンに近寄っていく。
ライオンは大儀そうに身をかわしてバスをやりすごしているが、
ライオンの立ち上がった勇姿を我々に見せようというらしく、
タテガミライオンがタイヤを噛んでパンクさせた話など、
母屋のウサギ同様、自慢していると感じる。
そういえば『ライオンは寝ている』というヒット曲が昔あったが、
そのころビートルズもカバーしたThe Marvelettesの 「Please Mr. Postman」が、
新人とは思えないセンスでヒットチャート一番の激サビを思い出した。
手際のよいサファリパークは、順回路もコンパクトに設定されて、
安全の方式を備え、のぞめばゾウに乗ったり、レストランもある。
陸奥話記の古戦場探索は次回にして、北上川と金流川を越えて帰ってきた。
喫茶に戻ると、ひさしく面会していなかったシャコンヌ氏が登場され、
本領の授業で、三十人の生徒を訓導し録音したCDを御聴かせいただく。
「与えられた期間で、まだ満足の出来栄えではないかもしれませんが」
プッチーニの『トゥーランドット』の吹奏楽が、緩急自在にタンノイから流れてくる、
リズムとメロディの織り成す色彩の瑞々しい立体感に慄然とした。
―― だれも名を知る者はおりません。ですが御教えしましょう。
星星の瞬きの止まる明け方に―― 
音楽が極めつけのフレーズにさしかかると、
温和な御仁から想像できない、感動的なすさまじさがあった。
2014.7/16

桜吹雪の記憶

2018年12月14日 | 訪問記


桜の花吹雪が小路に舞散って、青い葉だけが残った或る日のこと。
「よし!」とW先輩は当方に何事かうなずくと、向野の校門を出た
二百メートル先の木影の食堂に先にたって入っていった。
学生服の先客の三人が、テーブルの湯気の立ち昇るどんぶりに
フーフーと箸を動かしている。
言われるまま着席して、いつも食事の手配にぬかりのないW先輩と、
ラーメンの匂いに寛いだ気分になっていたのだが。
突然、「隠れろ!」と声がして、ガバッ!と学生服の皆がテーブルの下に
低い姿勢になった。
オイオイ、何なの。
窓の外の通りを見ると、人文世界史のU教諭が、
何事か考えている様子で通って行くのが見えた。
大所帯の高校の風紀指導U教諭は、その存在を畏敬されている、
いささか迫力の漲るギョロ目の、しかし授業のおもしろい人だが、
校外の食堂に制服で入ってはいけないと、初めて知ったのである。
U先生という人物は、終業のベルが鳴っても、
「あと二、三分、合わせて五分で終わりますから、そのまま」
生徒の早仕舞いを制止して、めいっぱい話をする人であった。
論説の情念の根幹は、彼が二十代に遭遇した太平洋戦争の学徒出陣にあるらしく、
いまだ不条理に心の整理おさまらず、どこかで戦いが続いているような悲惨で、
しかしどこかこっけいな話が授業を修飾し、絵巻物を紐解くならいであった。
授業から二十数年が経って、たいていのことを忘れていた当方が郷里に戻った或る日、
突然、U先生から「顔を見せるように」と電話があったと母から伝言された。
はてな?と訝りながら、免許を取ったばかりの運転の車で、
指定された観光地の建築物を訪問してみたわけである。
受付嬢に用件を告げると、五階の社長室に案内された。
なんと、U先生は大きな社長のデスクに座って笑っているではないか。
先代からの稼業を継がれて、ホテルの社長に収まっていたのである。
「商売は、だいぶ儲けているそうで」
などと、こちらが閑古鳥の閑をもてあまして読書三昧の毎日を察知しているように、
これまで流れた二十年の回想が、授業の続きのように話されていく。
「先生の授業は今も憶えています」
というとU先生は、それがね、このあいだ大学に進学した夏子ちゃんに路で会って、
「先生がもっと教科書中心の授業をしてくださったらわたし苦労しませんでしたのに」
と苦言があったと笑って、
新館を建てて、はじめに迎えた若い二人組の女性客のことを言った。
「責任者は来てちょうだい!」
東京からの客が部屋で呼んでいるというので番頭さんと勇んで行ってみたら…
「私たちが風呂から戻るまでに、この飛んでいるハエを何とかしてちょうだいな!」
いやはや、どんなお褒めにあずかるのかと思ったが、それがこの仕事の始まり。
U先生は、クフン!と昔の授業そのままに鼻を鳴らしながら、インターホンに向かって、
ホテル自慢の昼食を社長室に並べさせ、当方に御馳走してくださった。
U先生の用向きというのは、御自分の戦争の体験である絵巻物を綴った原稿を、
「自分だけで満足してもどうもね、他人の印象は違って恥を書いてはいけないから」
やめたほうがよいのか遠慮なく感想をきかせてもらいたい、と申された。
U先生の歴史が原稿用紙の字になった束を預かったが、
授業で聞いていた絵巻物と印象の違ってシリアスなものであった。
太平洋の戦地で若い下士官であったU先生は、占領した半島に空を睨んでいる
対空機関砲を持ち場にして、二等兵たちと米軍のグラマン戦闘機相手に戦っていたが、
とうとう敗戦の玉音放送を知った。
大事に残していた貴重な最後の弾帯を機関砲にセットして、
海の向こうから悠々と現れた敵機に連射をあびせる時の葛藤や、
戦地からやっと実家に帰り着いた日の、痩せて紙のように薄くヒラヒラした姿の描写が、
忘れていた平和を語って圧巻である。
当方はカセットテープから流れる太平洋の向こうのジャズを聴いて、
酒店の店番をしながら原稿を読了し、ちょっと複雑な気分であったが、
上梓した紺色の表紙をながめ、とうとうU先生の太平洋戦争が終わったと思った。
ところであのころ、学生時代いつも御馳走にあずかっていた一方のW先輩は、
こちらも給料取りになって最初にお会いしてみると、美大に入ったあと画商に変身し、
さまざまの面白い体験を聞かせてくださった。
こんどはボクが払いますとレストランで言うと、「そうなの」と笑っている。
食事が終わって白山通りを歩いていると、彼は「じゃあこんどはボクが」と、
また一軒のレストランに入って御馳走を勧めながら、笑っていた。
H・モブレーはシルヴァーとしばらく共演していたので、セットで音色を憶える。
マイルスの『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』でサクスを吹いたとなれば、
どれどれとその腕前の程をタンノイに探してみたくなる。
2010.6/1


古川N氏のJBL

2018年11月16日 | 訪問記


写真を見て、だいたい音が想像できる人は世に大勢いる。
ところが、この装置はダイアフラムの修正や位相合わせが繰り返された効果なのか、
瑞々しい音像が聴こえて驚いた。
一方で、ジャズの場合、歪みも音楽であるとして、大向こうは一筋縄ではないけれど、
N氏は当然マーク・レビンソンの傾向も精査され、
かの有名な『川向う』にも足を運ばれて、
そのうえメーカーにてアンプの設計に携わった技術を効果的に投入し、
御自分の好みを極限まで追求した結果、
N氏の指向する瑞々しい音像が林立して鳴り響いているのであった。
当方のグリーン・オニオンカップと刀を合わせたかのように、
眼の前に置かれた1脚3万円の珈琲カップの深い色にゾクッとしたとき、
デューク・エリントンの強烈な演奏が眼前に展開されて、
キックドラムの最も低い重低音がドスッ!と鳴った。
そのとき、充分な厚みの木の床からはじめて足の裏にびびびっと来るのが、
にくらしいほど計算された効果だ。
これしきのことで、タンノイは驚いてカップを落としてはならぬ、か。
孫悟空は觔斗雲に乗って不老不死の音を求め、
地の果てに聳えていたのはお釈迦様の手のひらであるが、
N氏を遮るその手のひらは、はたして。
2009.6/10

迫SA氏の修理ピットに遠征

2018年11月13日 | 訪問記


天気のよい休日に『ディア・ジョン・C』を鳴らして、
修理の845アンプを積んだ車は4号線を南に向かった。
アルテック宮殿、迫SA氏の修理ピットを目指したこの日、迫区に入るルートは四本あって、
ドン・ペリニョンをJ・ボンドが嗜んでいる『007 Goldfinger』の、ゴルフ勝負のあと、
熔かした金塊で組み立てた車を運転して、ヨーロッパの工場に密輸するコースと、
同じ雰囲気を味わうことのできる道がある。
左側に森、右側に田園風景のひろがるコースは、スメルシュが金塊を熔かす工場を
隠し持つあたりさわりのないアスファルトの伸びるのどかな道に、
それらしい建物もおあつらえに見え満足であるが、そのとき前方に怪しい車が停車してい
追い抜くと、車は背後から突然全速で追いかけてくるのがミラーに映る。
ここまで役者のそろっているコースはちょっとめずらしい。
そういえば、前回の伊達藩遠征の四号線も天気が良かったが、
前方を走る大型四駆がスピードを加速したり戻したり、わりに軽快な足回りを見せて、
高い位置にある運転席に濃紺のツールドフランスの格好をしたドライバーが座っている。
「あれぇ?AK氏に似ているなあ」
それが聞こえたかのように運転者はソワソワはじめ、左右のバックミラーを見たり、
アポロキャップに手をやったり動作が活発になった。
このように、森羅万象を想像しながら安全運連すれば、居眠り防止になるわけであるが、
前日の深夜の走行では、前方にやっと車も無くなりヨシ!このへんでエンジンに活を入れて、
アクセルを踏んだとたん、前方の暗闇に電光表示板が見る間に大きくなって、
『スピードに注意』とあった。
さて、ところで訪ねた迫SA氏は、唐の都から3年で帰郷すると、
すかさずオーディオ・ルームをもう一部屋増やし、アルテック605など傑作装置を増設し、
新境地が噂の、期待と興奮に思わず武者震いした。
新しくタイヤをセットしてもらった快調な当方の車は迫川の橋を渡り、建物の横に停車した。
SA氏のご母堂が盆栽の手を休めて「先程から待っていますよ」と言葉をかけてくださった。
新しく聴かされた605バックロードなど音像の佇まいはすばらしい。
アルテックにしてはしっとりした奥行きを感じさせて、
やっと運転のハンドルを握っていた手が解れるころ、SA氏は、言う。
「これでいいかな、としばらく聴いていたのですが、何日もすると、
あの音の壁がドーッと迫ってくる大型装置がなつかしくなりまして」
次の部屋に珈琲を用意してあるというが、どうやらもう一つの部屋の方が、
謁見の間であったのか。
そこにはA-7を横位置に四台並べた4組のウーハーがあり、
ダブルスロートのセクトラルホーンとスーパーツイータが乗っている。
日本海軍の空母信濃といった豪壮さを漂わせているが、カウント・ベイシー・ビッグ・バンドも、
左右のセパレーションも分離する奥行きを聴かせて、見事な音像であった。
駆動しているアンプを探すと、大工さんの弁当缶サイズに2ワット出力の管を挿したような、
「これです」
と申されたが、思うにSA氏としては、研ぎ澄ました切れ味の全て見せるということではなく、
ハラハラと空を落下してくる懐紙を、ちょっと刀で横に払って見ました、という、
このうえどのような音が現れるか底が知れない。
そしてそのあと、思いがけない話を聞いた。
あのもう一方のアルテックの牙城、N氏の装置をSA氏は先日のこと早くも訪ねて、
奥の院に鎮座している噂の轟音に全身を浴びてこられたそうである。
以前、N氏のお話では、厳美の仙境で翼を広げている怪鳥『ウエスタン16A』を、
聴取のため訪問されたことを申されていたので、これらのことから思うに、
割拠している群雄が静かな緊迫感もひそかに随所に遠征行軍をかさねている様子だ。
2009.6/2