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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

阿吽の浄土庭園

2022年01月26日 | ライブ演奏を聴く


そういえばその後、各位の登場があった。
閉店間際に、見返り美人が後ろ姿で入ろうとしたり、
建築傾斜鑑定士というひとの登場もあった。
ROYCEの建物はビー玉が転がるほどではないが東に七ミリ傾いている。
SS氏から電話があって、いま稲刈りにいそしんでいるらしい。
やはり、まじめな人なのだ。
SS氏の作品で、当方が最終的に残した一枚がある。
この季節に眺めるにはいささか早いが、
冬の毛越寺庭園を静かに撮っている。
白い雪の景色をどうしたものか、
ひとつの答えが映っていた。
夏の盛りを阿形とすれば冬は吽形、
スフインクスの問いによる朝に四つ足夕べに三つ足、
あるいは夏の対角にある輪廻の情景というものであろうか。
タンノイロイヤルも、音を鳴らさなければそれなりに吽形であった。
2010.10.10

橋下の夏

2022年01月22日 | ライブ演奏を聴く


710年に唐の長安をイメージに造られた奈良の平城京は、
当時の住人約20万といわれ、なにかと神仙古代のよすがをしのぶ
あこがれのモデル都市であるが、東北にも平安京を偲ばせる謎の古都がある。
現存する金色堂の材木の伐採年代から、おおむね1100年に、
まぼろしの都市景観は完成した、住人15万というおそるべき巨大な
平安朝都市『平泉』であるが、戦渦に焼亡して、今はない。
昔、千葉のS氏が奥方と遊びに来られたとき、現在の平泉の核心、
金色堂にご案内したが、土地の者は国道の正門から月見坂に上らず、
車で途中まで登って、金色堂にすたすた歩いて行く方法を知っている。
さて、月見坂を登って金色堂を見たのか、バイパスしてぱっと見たのか?
後々おおいに、それが美の壺人生の岐路となるであろう。
月見坂の一番下から延々と歩いて登る体験をしてしまうと、
金色堂を見た時のありがたみは、疲労困憊のはての恍惚である。
それゆえ、天下の国宝にご夫妻を正しく案内せねばという責任感にとらわれて
つい、言ってしまった。
―― うえでお待ちしていますから、ここから登って来てください。
当方は車で登って待つことしばし、思いのほか特急で、
ふうふういいながら登ってこられたご夫妻は、
汗ひとつかかずゆうゆうと待っている当方を見て唖然としておられたが、
それほど月見坂は長い。
だが、西行や芭蕉が、京や江戸から長征した故事を思えば、
眼下の坂も踏み段のひとつにも能わず、車でバイパスするなど、
せっかく旅の楽しみに水をさす、無粋かと考えた。
当方が奈良の平城京を初めて訪ねたとき、距離がわからず
駅からタクシーに乗った。
運転者は「ハイ」と黙って乗せてくれたが、それから2キロも乗らないうちに、
どうぞ、とドアが空かれてびっくりした。
そこが原野の広がる当時の平城京趾であった。
大黒様の丘と土地の人に呼ばれていた土盛りが大極殿の跡であったように、
失われた都が、わずかに区画が守られて長い年月を経てきたが、
現在の平泉の都も、全容はまだほとんど土の中である。
あの時代に、15万といわれる居住規模は、木造の家屋が平らに並ぶ
様相を想像すると、日本列島に数えるほどしかない、空前絶後の
景色が広がっていたはずであるのが、そらおそろしい。
はたして、想像の都市は、現実の景観を再び地上に表すのであろうか。
できることなら、立ち並ぶ板葺きの町屋のひとつに、携帯タンノイを持って、
二.三日旅の仮住まいを楽しみたい。
チャーリーパーカーのサマータイムをのんびり聴きつつ、
きょうはやっと涼しくなりそうだと思ったそのとき、
「どうも 」
と現れた人物は、赤い自転車から降りてひさしぶりにみる、SS氏であった。
鍔広の帽子をぬぐと、白い長髪はどうされたというのか、
GIカットに整形された頭部が風を切って似合っていてびっくりした。
ピンクのシャツにアンモン貝のタイバーを下げて、貝の部分だけで五万両
というが、一般人に価値はわからないそうである。
以前にも、ユニオンジャックのストッキングで現れた客に驚かされたが、
武芸の心得のあるものこの周囲にうろうろしていて、先日もサドルの高い
組立て自転車が早朝に走って現れて「缶ビール一個」と、朝から楽しそうだった。
ともかくまあよろしいでしょうか、
彼はボンタンアメをこちらに勧めながら、
再び新しい写真の数々を拝見したのであった。
むこうのペースではあるが、それもジャズである。
2010.9.1
どうしてこういう味になったのか
それがうまくいったら隠し味だ

ヤツデの花と

2022年01月22日 | ライブ演奏を聴く


母屋の食卓で、奇妙な天気予報が
テレビで流れているのを聞いた。
「おだやかな日差しにヤツデの小さな白い花が
咲いています。お天気です」
みると、まじめな中年の男性アナウンサーが、毎回
たくみに地上のさまざまな風景の変容を、三十六歌仙が詠む散文のように
天候を織り込んで、時に、あぶなくこちらは、味噌汁を
よそうお椀を落としそうになったりしたが、
毎回聞いているうちに、城達也のジェットストリームを思い出した。
アナウンサーも永く勉めていると、確たる世界を持つ。
放送は岩手限定のようである。
この日めずらしく、温泉道楽の御仁が立ち寄ってくださった。
「昨夜はホテルで、エバンスの三枚組CDを聴いていました」
いったいどのようなけっこうな生活をされているのか謎であるが、
タンノイでベニー・グリーンなどを聴きながらお話に耳をかたむける。
「菊地成孔氏が上梓された本について、寺島氏の推薦書評が、
どうも本文を読まずに書かれている....」
といったジャズ的話題が、レコードの合間に煙のようにただよって、
時は過ぎていった。
2010.8.29

2022年01月21日 | ライブ演奏を聴く



スイカズラ くちびる乾く 大三元

夏の便りが届く。

プールサイドの礼装をさがして、早籠は一番丁へ

2010.8.1
仙台空襲まで両親はヒデコさんブンロウさんと
一番丁で暮らしていた。
現在、裁判所近く小さな公園になっている。

有害レコード

2022年01月10日 | ライブ演奏を聴く


有害な図書と指定する、健全育成条例のあることは、
知っている。
発禁本とか焚書と称されて『チャタレイ夫人』や『ライ麦畑』も、
意外に名の挙がった永い歴史に、『北回帰線』の著者を
知人の姉がエッチ・ミラーと言っていた意味もわかった。
では、ジャズのレコードで、有害指定はあるのか。
有害レコードを1枚考えておくということも、意味がある。
誰でも、1枚くらいある。
そのような夕刻お見えになった静岡焼津の
ライブ・クラブのオーナーは、アポロ・キャップを目深にして
「うちでは、コルトレーンは、ぜったいかけません」
―― えっ?
「だって、そうでしょう」
えっ? そうか、神様はいなくなったのか。
そういうことではないかもしれないが、深く尋ねることは、
タンノイから流れるモンテイやテディが遮っている。
客人は、面白いことをこちらに発して一瞬だけニコッと笑うと、
もとの不機嫌な表情にパッと戻るのが神業だ。
これとそっくりの映画監督、大島渚氏を思いだした。
客の来ない休日は、マグロを相手に沖で映画を撮っているのか。
お帰りの時、名刺をいただいたが、
「オレの♀ 」とでもいうように金髪女性の顔が
御自分の代わりに堂々と刷られてあった。
親指と人差し指でフチを押さえてお言葉を待っていると、
「ノーマ・ジーン。 モンローです 」
こともなげに、コレだからとでも言うように。
2010.4/23
思うにオーナーは、恵まれた環境で暮らしている。

ロケット

2021年09月15日 | ライブ演奏を聴く


そういえば昔、
当方は、ロケットらしきものを飛ばしたことがある。
小学校のとき、裏庭の物置に、代用ガラスに販売したというセルロイドの板が、
いくつも縄でくくられて棄ててあった。
だれに教わったかナイフで削って、鉛筆の
アルミキャップに入れ、端を石で潰す。
一説によれば、ジャンボジェツトは18万リットルのガソリンを積載し離陸するといい、
サターン・ロケットにおよんでは胴体が、ほとんど自重のために消費される
大掛かりなのに、こちらは素朴に積んだセルロイドキャップを、
二個の石コロの間に渡し、下のロウソクに点火、物陰に走って退避する。
NASAの偵察衛星が、正午の上空を横切るはずもない光景の、
ただならぬ胴震いを見せるキャップロケットの様子を窺っていると、
突然、膨張したニトロガスがプシュ!
という音を残し、目にも留まらぬ速さでどこかに飛んで行く。
これでは、楽しいよりオソロし。
記録映画のペーネミュンデ実験場のブラウンも、
同じように緊張して隠れている映像を見たが。

そのころ、ゴム動力の模型飛行機を飛ばす達人の噂が子供の間に流れ、
あるときついに遊園地の広場で、飛翔の瞬間に立ち会うことができた。
県大会で、滞空時間が二位だったという長身の人物は、
賞状と商品が保証している偉人である。
長い動力ゴムが、クルクルと充分に巻かれ、白い紙の貼られた竹籖の翼を
垂直に向けたロケットのような姿勢で、難なく手から離れて昇っていった機体は、
適当なところでパタと姿勢を変え水平飛行に移った。
風の停まった天空をゆっくり円を描いて、
澄んだ秋空に飛んでいるのを見た。
それから半世紀も過ぎたあるとき、たまたま出会った遊園地の近所という人に、
当時小学生のまぶたに焼きついた飛行機のことを話すと、
その人物はニッコリして言った。
「それは、私です」

続きの話
或る日、我々餓鬼ンチョがいつもたむろして遊んでいる小川の傍の門柱から、
着流しにメガネの男が出てきて、小学生の当方に言った。
「飛行機を作って上げようか 」
ペーネミュンデ遊園地の飛行機の会話が聞こえていたのかもしれない。
話したこともない人であったが、いまテレビ画面で探せば
コラムニストの神足裕司氏に似ていたような気がする。
数日して、帰宅している約束の夕刻に行ってみると、
竹ひごや薄紙や図面や接着剤の入った袋を開けてみせてくれて、
おばあちゃんが、炉にギンナンを焼いて皿に並べてくれた。
「あしたから作ろう 」
言われた翌日は日曜であった。
縁側で部品を広げ、竹ヒゴをロウソクであぶって
つばさの形に曲げていくのを見たが、図面にいちいち重ねて、
正確に整形する作業は精密であった。
ちょうど来客が縁側に回ってきたとき、
やあ!と気心の通じた間柄の笑顔を見せた。
「なに?それ」
「作ってあげる約束でね」
訪ねてきた男性も、一緒になって組み始めると、
メガネの神足氏は笑って言っている。
「先生が二人で作るのだから、相当なものが出来るのかね 」
濡らした手拭いに、翼になる紙を挟んで湿らせると竹ひごに被せ、
少しの余りもなく正確に切り取られていくのを見た。
数日して完成し、県大会の偉人がパフォーマンス飛行したと同じ、
ペーネミュンデ遊園地に、機体は持ち込まれた。
神足先生は、いつも言葉少なに含蓄の片言で済ませる人で、
メガネの奥の眼も柔和に、傍にいると緊張と安心が同居するというのか、
当方はおおむね神妙にしていた気がする。
機体はゴムを巻かれると、静かに手から離れ、ふわりと滑空した。
神足先生は、うん、いいねと笑うと、小学生の当方を残してあっさりと帰っていった。
2009.5/10


ジャズの風景

2021年09月07日 | ライブ演奏を聴く


ジャズの光景を撮りに三か所廻ることをアド筋からあらかじめきかされていたが、
カメラマンはROYCEに入ってくるなり、前掛かりにレンズを構え、仕事にかかった。
いいね、このジャズ的単刀直入。
しかしその前に、一呼吸おいて ナマエを名乗ったらどうです。
「これは失礼しました。
ドアを開けてスピーカーを見た瞬間、我を忘れてしまって.....」
名刺の裏に印刷された、風景の一枚を見た。
この季節の宮古の「新里」の雪渓は、
ごつごつした岩山から天に向かって幹を伸ばす
自然林に雪が降っている。
人の気配は感じられないどこまでもモノトーンの陰影に
対峙している者は、いったい誰なのか。
痕跡をおもわず探した。
撮影が終わってあとかたずけのとき、いかにも荒削りな三脚であるが、
―― それは『ジッッオ』ですか ?
「そうです、仕事の道具なので」
新しく届いた「究極秘伝プレミアム」珈琲を淹れてみた。
2009.3/4


My Funny Valentine

2021年09月02日 | ライブ演奏を聴く


「スズメがすごいですね」
定休日に玄関に廻ったお客が言っている。
見ると、冬枯れた木の枝に雀が大挙して、
何事かフル・コーラスをさえずっている。
玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ 青丹よし
ひなにはあれどそらにみつ すずめのうたの雨の下 
ここときけども みればかなしも
枝の下の路面は、客の帰った後楽園スタンドのように汚れている。
秋にも、柿の実に野鳥が群がるので、
下に停めた車が汚れてガックリだ。
車の上に繁ってあおい、ささやかな陽除けのアーチを満足していたが、
いささか激しい汚れに、この秋バッサリ切った。
しかし、スズメは大挙してかよってくる。
雨降りに、傘を差してゴシゴシ、デッキブラシを車の屋根に使いながら、
柿本人麻呂の歌をかさねるとどうか...。
到来したエリントンのMy Funny Valentineをタンノイで聴いてみる。
2009.2/17
うさぎに咬まれた

ローサーの客

2021年08月27日 | ライブ演奏を聴く


当方の位置から見る客人は、
ときに窓の逆光によってレンブラント・ライトのハレーションが、
バックロード・ホーン効果を思わせる。
読書に余念のない奥方と静かに並んでタンノイに耳を傾ける人は、
銀幕で探せば中井某ということになるが、言葉少なに話す。
「いま、鳴らしているスピーカーはローサーです 」
記憶によれば、まえはアルテックときいたが、
英国のヴィンテージを当方はいろいろと想像する。
そして以前には、
「SPUのモノーラルになぜリード線が4本あるのですか? 」
と言っていたような気もする。
「いま面白い真空管を手に入れて、組み立てています」
8417管かなにか、その時鳴ったリチャード・デイビスのベースに消されて、
聴き取れなかったが、中井貴一が静かにはんだごてを握って、
新しいアンプを配線している姿をふたたび想像した。
客人の部屋には、わびさびを纏った音の宇宙が、
結界のなかにあるのではないか。
黙して語らぬ婦人が、音を知っているのか。
2009.1/10


浅草橋の客

2021年08月15日 | ライブ演奏を聴く


冬の橋を渡るとき、一関も、川面で羽根を休める渡り鳥が見える。
ジャズで『橋』といえば、マンハッタンとブロンクスの
ウイリアムスバーク橋のロリンズ・スポットを、誰でも知っている。
ロリンズはそこでトレーン、オーネット、ドルフィー達のイディオム
『モード』の風を哲学していたと。
当方にとって冬の橋は、哲学するには寒い。
シベリアから、越冬に日本をめざし南下する鳥にモードを見た人々が、
朝も早くから渡りをつけ、ついに現在の群れ集まる磐井川の光景になった。
あるとき、小さい子をつれてエサを持ち、岸辺まで行った。
離れた流れにいる鳥集団にむけ、
「勢いよく!」
うなずいた子はおかっぱの髪を揺らせて放った瞬間、
勢いに完璧を期すあまり、エサごとからだも飛んでザブンと水に落ちていた。
うーむ......
隊列を組んで頭上近くをよぎっていく白鳥の、
羽根の風切り音がする胴体を見上げる気分は格別でいたとき、
いつか、それがあぶない、しばらく息を止めるのが良いという。
渡り鳥の運ぶ菌をわかっていたことだが、今年はいよいよ
撒餌を中止するまでになった。
ブレーズ・パスカルには、人間は考える葦であるが、
ハクチョウには、突然の理屈がわからないであろう。
春になると、葦の生えた岸から一斉に北を目指して離陸する白鳥も、
いずれ何事か考える葦になるのか。
1962年、ロリンズはイディオムの答えをRCAに録音して、
『The Bridge』 など6枚リリースした。
『下北沢のまさこ』に良く行きました、という浅草橋の
いなせな男女が登場して、タンノイでロリンズを聴く年の暮れ。
2008.12/31
好天に勇躍、盆のお参りすると、耳元を羽根がブルブルッ。


ホックニーのプール

2021年07月18日 | ライブ演奏を聴く



金ヶ崎のプールが忽然と消えてしまった今、
残されたプライベート・ビーチは『小松代海岸』である。
一関から東南にゆっくり二時間ほど車を走らせ、
山道を越え林の細道を縦断して、ついに辿り着くところにあるこの海は、
左右を岩磯に挟まれた一キロメートルほどの湾曲した美しい海だ。
芋を洗うように人が集まることもなく、かといって
淋しく人がまばらにというわけでもない。
そういえば、後楽園のアルプススタンドにジャイアンツ観戦したとき、
原がホームランを打った。いいぞ、原。
ちょうど弁当を食べて忙しい当方に、
ドッと立ちあがった隣りの家族連れのオヤジが横目でわざと
紙吹雪を上から散らしてくる。
あー、なにをする。一緒に踊れってか。
黄色のメガホンをきちんと準備して斜め前に一人座っている
原たいらに似た人物は、嬉しそうではあるけれど、周囲を
家族連れに挟まれて、やりにくそうなライブ観戦である。
行楽は、やっぱり、数人で出掛けるのがよいかな。
波打ち際から青い海は、沖にある岩が大波を遮って穏やかに寄せてくる。
手ごろな砂地にタオルを広げ、もらったパラソルなどを立て、
売店から調達したタコ焼きやビールを飲むころ、太陽もゆっくり真上にいる。
静かにカセット・ラジオのスイッチを入れたら、ジョージ・ベンソンが鳴った。
金ヶ崎のホックニーのプールがなつかしい。
2008.8/3

バッハ、無伴奏チェロ組曲

2021年05月14日 | ライブ演奏を聴く


銀座の小ホールにてバッハの「無伴奏チェロ・ソナタ」を聴いたのは、
知人のチケットのピンチ・ヒッターであった。
彼は多摩川べりに住んで、テクニクスの三段に重なった
当時最新理論の黒いスピーカーを早くも手に入れ、
ぜひどうぞ聴きなさいと招いてくれて、いろいろな音楽をたのしませてくれた。
そのときご馳走になったのも、カレー・ライスである。
舌鋒鋭く、剣の流儀でいうとフェンシングのように突っ込んでくる彼は、
ジャズを聴くかと思えば、チャイコフスキーのピアノ・コンチェルトを何枚も蒐めていた。
このような人の、ほどよく辿り着くスピーカーは、JBLでもアルテックでもタンノイでもないか、
今どのスピーカーを鳴らしているか想像もつかない。
彼の代わりに、銀座に出向いて日本人チェリストのバッハを聴いた。
ホワイトハウスでケネディをまえに『鳥の歌』をひいたカザルスが、
この曲を至高の演奏と聴かせていたので、
ライブを楽しむ心がけで聴かないと、不満が湧いたりする。
それまで『トルトゥリェ』の演奏をレコードで聴いて、
「気迫、精神力では随一」とか「豪気な英雄の風格」などと、当方の無伴奏チェロは
この一点に集約されかけていたときで、感想も辛口になったようだ。
そのうえ、松ヤニの粉が飛び散る録音と絶賛された『シュタルケル』の全曲を、
「圧倒的に自在の境地を聴かせる演奏」など評されるにつけ、
レコードの棚に手を伸ばすとき、どれにするか
一瞬の逡巡を持つようになったのがくやまれる。
あるときロン・カーターがブルン・ブン・ブンとベースを爪弾いて、
この難曲をあっさりと料理したところを聴いた。
ジャズの重要なシーンに存在する高名の人がバッハとはこれいかに。
彼はもともとチェリストであったと噂だが、
ジャズベーシストではミンガスやチェンバース、またホランドもいるが、
「ロン・カーターを聴かせてくだされ」といわれたとき、
ウーンと、いまいち定まらない有名人ではなかろうか。
ベルリンの壁が崩れたとき、瓦礫のそばでこの曲を弾いたロストロポーヴィチでさえ、
全曲録音にためらいをみせた難曲の盤を、
陽射しの雪に照りかえる冬の毛越寺庭園を散策するような
気分に聴かせるロン・カーターはえらい。
2007.11/17


ムジーク・フェラインザールの音

2020年09月25日 | ライブ演奏を聴く


「フェラインザールの向かいに3年ほど住んでおりましたが、
ありありと思い出してしまいました。まったくあのホールの音そのままです」
夏の盛り、仙台からお見えになった歌舞伎俳優のような御客は、
75年のニューイヤーコンサートが盛大な拍手で終わると、
そう申されて当方とタンノイを見比べている。
すると、東京からお見えになった客人は、
「ロイヤル以外のタンノイのスピーカーはほとんど使ってみましたが、ここの調整は、
高音から低音まで思い切りレンジを広げて、しかも中音部が濃く、
予想外の音ですが、なぜこのような音にしたのか、わたしはよくわかります」
核心を突いてきた。
当方の、はてな?という顔をみて一方の人が、東京からみえた人物を、
「この人は、いままでオーディオにマンション2軒分のオカネを使っています」
と、並ならぬ耳と情熱を保証された。
ジャズを聴くために『845球』を通電したが、
クラシックなら弦楽の余韻に『300B』が優っているかもしれない。
タンノイは一つの世界を確立したスピーカーだが、他人の装置を聴いて、
はたしてこのお客のようにサラッと適切な言葉が浮かぶものか、しばらく考えさせられた。
『千利休』は、何も削るものがないところまで無駄を省いて緊張感をつくりだした
「草庵の茶」を考案したが、ロイスのタンノイは「金屏風の茶」を標榜して、まだまだである。
2006.8/22

タンノイの音 3

2020年09月25日 | ライブ演奏を聴く


タンノイの音は、音それ自体にタンノイが有るわけではない。
まずせせらぎの音やバイオリンの音が先に有って、
それを録音したものを、タンノイのスピーカーで再生すると、
ほんのりタンノイの音が加味されて「タンノイの音は良いね」となる。
タンノイのスピーカーなら、みな『タンノイの音』なのだが、
タンノイにもいろいろなユニットがある。
中古市場で高額に取引されるのはほぼモニター・レッドと、モニター・ゴールドで、
この、製造終了になって手に入りにくい中古を、新品より高い値段で
求めるのはいかがなものか、「ストラディバリウス」や「アマティ」の世界なのか。
当方の『レクタンギュラー・ヨーク』に入っていた『モニターゴールド15ユニット』を撮影した。
芸術的気品を感じるこのユニットは、直径38センチ、8Ω、アルニコ磁石。
センターキャップの中に1キロヘルツより高音部を再生するホーンが仕組まれていて、
一台のスピーカーに見えても2ウエイの同軸ダブルユニットであるのが有名だ。
エッジ部分は最近のウレタンスポンジと違いハード・エッジといわれるもので寿命は永い。
同軸であることの功罪はあるが、すべてを呑み込んで『タンノイの音』は鳴る。
ただひれ伏すのみ。
2006.4/9


江刺の塾頭1時間氏

2020年09月08日 | ライブ演奏を聴く


「うーん、よいですね、これは」
奥州市の謹厳な塾頭氏。
「わたしですか?おもにピアノトリオを聴きますが・・・そのジャケット拝見」
『LIVE AT STORYVILLE』のJUNKO MINEは、
アトキンスンのベースにのって緩急自在な初海外ライブの熱唱に惹かれる。
といっても1977年のことであるが。
「ところでスリーブラインドマイス・レーベルは一旦解散とのことです」
とおしえてくださった。
一世風靡の日本レーベルが無くなるとは意外だが、
顧客データによると平均購買層は47才とか。
廃盤ということは、安くなるのか高くなるのか?
2006.5/8