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観たい映画だけしか観てません。今忙しいんでいろいろ放置

【LBFF_2013】『ふたりのアトリエ~ある彫刻家とモデル』 (2012) / スペイン

2013-10-14 | 洋画(は行)


原題: El Artista y la Modelo
監督: フェルナンド・トルエバ
出演: ジャン・ロシュフォール 、クラウディア・カルディナーレ 、アイーダ・フォルチ

第10回ラテンビート映画祭 公式サイトはこちら。

映画『ふたりのアトリエ~ある彫刻家とモデル』公式サイトはこちら。 (11月16日(土)より順次日本公開)


1943年夏、スペイン国境近くのフランスのとある村。二つの戦争を経験し、生きる希望を失っていた80歳の彫刻家クロスは、妻が連れてきた美しい娘メルセに心を奪われる。スペインのフランコ軍から逃れてきたというメルセに魅せられたクロスは再び創作意欲を取り戻していく。彫刻家とモデルの心の触れ合いや、光溢れる自然の風景を、モノクロームの映像美で描く。 (Movie Walkerより)


ラテンビート映画祭の作品紹介だけしか観てなくて、公開も決まってるしどうしようかと迷ったんですが、せっかくこの後に『チコとリタ』も観るんだからと思ってこちらも観賞。これがまたよかったー。書くのがだいぶ遅くなっちゃいましたけど。


今まさに劇場公開中の映画『ルノワール 陽だまりの裸婦』を先日観てきたばかりで、どうしてもタイミング的にそれと比べてしまうのだけど、『ルノワール』が色彩に重点を置いて画家の画風と映像を合わせ、ドラマ重視にしてきたのに対し、本作は陰影を強調するモノクロームとし、彫刻と合わせて来ている。内容的にも本作は芸術家論・モデル論にまで踏み込んでおり、対象的で非常に面白いので両者見比べてみるといいと思う。

絵画とは違って彫刻は立体感が全てで、光を生かしたモノクロの画面。彫刻家の求めるモデル、メルセに街で出会った瞬間、かつて自らもクロスのモデルとして活躍した妻リーは直感的にメルセの資質を見抜いたんでしょうね。ここで妙に嫉妬心を出さず、冷静に見極めるところが一芸術家のパートナーとして、あるいはクロスを支える妻として、リーが完璧に役割を果たしていることになる。この設定は現実的にも非常に有能で、現代でもお手本になるパターンではないだろうか。

リーが街で出会ったメルセはスペインから命からがら逃亡して来た避難民。舞台は1943年、第二次世界対戦末期、フランコ軍の時代ということで、この時代背景が映画と絡んで様々なストーリーを生み出している。逃亡者であるメルセと、思うような女性像がつかめずに自身の彫刻の方向性を見つけあぐねていたクロスとの出会いは、どちらにとっても必要でありラッキーでもあるが、最初から2人の息が合う訳ではない。そもそも生活できる場所があればいいメルセにとって、モデル業は金稼ぎの場であり、その何たるかなどはどうでもよい。しかしクロスはそのメルセから自身の女性像を見つけねばならない。この二人のギャップが、ドイツ占領下のフランス南西部山奥を舞台に、時に牧歌的にユーモラスにコケティッシュに、そしてしっかりと一本芯が通った日常として描かれる。

メルセは自身に課されるモデル業を、最初は戸惑いながらも、次第にクロスに対しての親近感も手伝ってか、彼の要求に応えられるようになって行く。ただ単にポーズを取ればいいというものではなく、かといって言われるがままになるだけでもないのがモデルであり、芸術家の言うとおりにしていたら一体どうしたらいいのかわからなくなってしまう。
芸術家の作品はモデルの模倣ではなく、またモデルも芸術家が作品を生み出すためのツールでもない。では芸術家とモデルの交差点とは何かと考えた時、クロスの「モデルとは自然との対象を相対化するもの」という言葉なのだろう。万物の自然が生み出せし人物像、特に裸婦を描く芸術ではインスピレーションを引き出すモデルの存在は不可欠であり、彼女たちの動作やフォルムを基に、芸術家たちは自然との交点を探って自らの作品に命を吹き込むのだろう。だから作品は決してモデルそのものの模造や模写にはならないのだが、モデルの中でそこまで達観できるものはなかなかいないことも事実なので、素人モデルに近いメルセがあのような反応を示してしまったのも無理もないのかもしれないが。

メルセは単にモデルをしていただけではなく、とある出来事をきっかけに彼女が本来持ち合わせている民族としての強い意志を示し、変化していくこととなる。そして老境に入り、恐らく不可能であると思っていた所に出会ったメルセの助けを借りて完成した作品を目の当たりにしたクロスも、ある決断をすることとなる。単に彫刻家とモデルとして出会うだけではなく、その相乗効果が予想外のさらなる展開を生んで行く。人が人と出会い、ずっと円満な親交が長く続くとは限らないのは常だからだ。
最後の解釈はいくつかあるとは思うが、思いもよらぬ結末を提示することは、監督が影響を受けたと語った日本映画のテイストも大いに関係しているのだろう。また才能ある人が行き着くところという解釈もできる。一期一会や茶道の侘び寂びといった、ひとつ所にとどまれないが故の無常も本作には感じられ、外観からは鉄の意志を持つように見える者の、脆い一面も見せている。自身の精神を結集させる結果が生み出す化学反応の計り知れない大きさと、留まることができない時の流れの虚しさを同時に感じとることができ、作品として非常にレベルの高い仕上がりとなっている。


★★★★★ 5/5点









上映後、フェルナンド・トルエバ監督のトークイベントがありました。 以下要旨。

・兄は彫刻家で、少年時代は画家になりたかった。
ピカソにも影響を受けた。彼は晩年アトリエでの画家とモデルというテーマを好み、性的な魅力と老いという相反するものに立ち向かった。

・キャストはどのように決めたか?
ジャン・ロシュフォールは当て書き。 重苦しく強く深く、でも脆い人物像だった。
クラウディア・カルディナーレはよく知っていた女優であり、スターでもあり、出演してくれたことに感謝している。彫刻家を知り、面倒を見る寛大な人物像というイメージにも合っており、お願いした。

・モノクロで撮った理由は?
シナリオを書く前からモノクロと決めていた。子ども時代の記憶にも似たものを作りたかった。

・自分は国境を信じていない。スペイン語よりも英語やフランス語を話して来た(それが本作の中にも出ている)。
人生のダークサイドも見て、この映画を撮るにふさわしい年齢になったと思った。
次回作はコメディ。普段の自分も真面目じゃないので。
初来日だけどまた日本には来てみたい。今まで日本は遠過ぎて他の星にあるんじゃないかと思ってたので(場内笑いに包まれる)


映画の中での、ユニークだけど深みのある役柄は、このような監督のお人柄にも依るものかなと思いながら観賞しました。











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4 Comments

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感じる。という作品だった (q うわ。素敵な描き方)
2013-11-30 16:44:09
スペイン語、わかんないのに
観てしまった・・・
そしたら、素敵だった
そしたら 老いと若い 静と動 清と醒 
って描いてた  と思えた (かな??)
鳥のさえずり、なめらかな彼女の肌の感
モノクロなのに 逆に 輝いていたし
ラストの前辺りから
 またテンションが変わって行く様な感も良い
クラウディア・カルディナーレに 天晴れ!
ジャン・ロシュフォールに 髪結い・・・と
ミスタービーン カンヌで・・・のウェイター役を
みょーに 頭から離れずにいた
qちゃん (rose_chocolat)
2013-12-05 11:07:47
モノクロで素敵でしたよね。
ラストも、侘び寂びを思わせる感じで。すごくこういうの好きなんですよ。そういうのもありかなあと。
こんばんは (ノラネコ)
2013-12-15 22:36:55
「ルノアール」は結局オーギュストじゃなくてジャンの話になっていたので、いまひとつ話のコアが見えなかったけど、こちらは良かった。
モノクロにしたのは正解ですね。
色が無いのに、凄く色彩を感じる。
モデルになったマイヨールは好きな彫刻家なので、余計に印象深かったです。
ノラネコさん (rose_chocolat)
2013-12-20 21:41:44
>色が無いのに、凄く色彩を感じる。
これはブランカニエベスもそうでしたけど、モノクロのほうがかえって生き生きと感じますよね。

ルノアールに比べると、作品の奥深さが断然違う。
私もこちらの方がいいと思いました。

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