◆ミリキタニの猫 (日米)
私のTIFF鑑賞作ラストとなった本作は、NY在住のリンダ・ハッテンドーフ監督によるドキュメンタリー。
'01年の1月、NYに住む彼女の近所をねぐらにする日系2世のホームレス画家の老人、ジミー・ツトム・ミリキタニと出会ったことで生まれた作品である。珍しいミリキタニ姓は、漢字で[三力谷]と書くらしい。猫好きだったリンダは、ジミーが絵の題材として多く猫を描いていたので、なんとなく声をかけた。彼は猫の絵をあげるから、かわりに自分の写真を撮ってくれと頼み、そこから彼らの交流が始まった。
日本の広島にルーツを持ち、サクラメントで生まれたこの老人とその絵を通して彼の来歴を辿っていく映画である。
ジミーは、10代の頃しばらく広島に戻ってきて教育を受けていた時期があり、その頃から既に芸術への道を志していた。そのために米国へ戻るのだが、そこで彼を待ち受けていたのは日米開戦による日系人差別だった。祖国の広島では原爆投下で一族の殆どを失ってしまう。一方で、ジミーたち日系人はカリフォルニアのツールレイク強制収容所に入れられ、以後米国人によって奴隷のような扱いを受けることになる。収容所では多くの日本人が亡くなった。ジミーを慕ってた少年も、病なのに医者にもかかれず死んでしまう。そして日系人たちは市民権放棄を強制され、ニュージャージーへ移送されたジミーは、以後アメリカ政府を信用せずに生きてきた。
しかし、己の画才への執着を糧に、80歳を過ぎる高齢となりホームレスとなっても尚、彼が絵を捨てることはなかった。
そんなジミー爺さんのキャラ立ちが素晴らしいので、社会派的要素がメインの作品なのに、実に面白い作品になってるんだよね。彼のような被写体と出会えたのは、監督的にもラッキーだったんじゃないかな(笑)と思うほど。勿論、元々の彼女の意図としては、NYに増え続ける高齢ホームレスに対する問題提起として彼をモデルに撮ることを思いついたらしいのだけど、9.11が起こって状況は一変する。有毒な空気にさらされたままストリートで暮らすこの老人を見兼ね、彼女は自宅で面倒をみることになる。そして彼の生い立ちを知ることは、彼女自身があまり知らなかった日系米国人の歴史を知ることでもあった…というわけ。
ジミーの言葉は、爆笑必至の名フレーズも数多いけど(グランドマスター、って自称するんだもんなあ)戦争に関する発言はやはり重みが違う。彼の中では、9.11の攻撃で噴煙を上げて倒壊していくツインタワーと、原爆を落とされた広島の姿は同じだった(彼の絵にそのことが表れている)。また9.11直後に巻き起こった中東~南アジア系市民に対する差別を、WWⅡ直後の日系人差別と重ね「same old story」と呟くのは、戦後の日本人としてもとっさには思い当たらなかったゆえに、ガンとくるものがある。
日系人の多い西海岸では違うようだが、それでもやはり多くの米国人は日系移民の歴史を殆ど知らない、とティーチ・インでリンダは語っていた。けれど、日本に住む戦後生まれの日本人にとっても、それは同じなんじゃないかな。だから日本でも、少しでも多くの人の目に届いて欲しい作品でもある。繰り返すようだが、基本的にジミー・ミリキタニ自身が頑固でエキセントリックながらも素敵なお爺ちゃんなので(笑)堅苦しさはまったく無く、74分というタイトさも観易くて、良く出来た映画だと思う。作中、在米のミリキタニ一族との再会や出会いの経緯も少し描かれるけど、必要以上にドラマチックにしなかったのも品が良くて好感でした。
ちなみにジミーの描く猫は、なんか招き猫系で不思議な可愛いさがある。他の絵も、私はその色使いがとても良いな、と思った(って素人目なのでよくわからんけど、私は好きです)。絵本の挿絵っぽい感じの作風が多いかな。 彼は現在も壮健で、NYに暮らしている。社会保障で住居も得られた。つい先日、シアトルで個展を開いたそうだ。映画と一緒に、彼の個展も日本で見られると嬉しいなあ…と思った。
◆分かち合う愛 (インドネシア)
インドネシアの若き女性監督ニア・ディナータの作品である。かの国では全人口の70%程が一夫多妻制を受け入れているそうで、そのことについて3つのエピソードで語る映画である。形式としては『アモーレス・ペロス』が一番近いかもしれない。笑えて、且ついろいろと考えることも出来る良質な女性映画で、見終わった後は実に気持ちが良かった。
のだけど。私が観た26日は平日昼間という時間帯もあってか観客が少なくて、それが残念だったな…。インドネシアの映画をもっとたくさん観てみたいな、と思える作品でもあった。
東南アジアの国々では人種が複雑に入り混じった社会が形成され、宗教背景も様々である。インドネシアで一夫多妻が多いのは、ムスリムが多いことも関係しているようだけど(イスラム教では4人までの妻が認められている)ムスリム以外の男性でも、複数の妻を持っている率が高いらしい。こうした家庭が多い背景には、第二・第三の妻となる女性たちの社会的位置も深く関係する。それはつまり貧困ということで、安定した生活との引き換えに、妻となることを余儀なくされるケースもあるそうだ。
そんな女性たちによる駆引き、あるいはそうした社会での女性のあり方・生き方を、通俗的かつナチュラルに描いた娯楽作品としても、良く出来ていると思う。世界の何処の国でも、1人の男性を巡る女たちの戦い(笑)のドラマは広く楽しまれている。こうしたドラマを見ながら、男性たちは戦々恐々とし、女性たちは共感するのだろう。本作も、インドネシア本国でかなりのヒットを記録したそうだ。
粗筋はタイトルにリンクしたサイトに詳しい。1つ目の政治家の第一夫人であるサルマの話も、3つ目のレストラン店主の愛人から第二夫人になりかけるミンの話もそれぞれに面白いのだが、この2つはある種ありふれた“本妻vs愛人”形式ではある(それぞれに立場は真逆だが)。
本作をユニークな作品にしているのは、2つ目の、叔父の世話で学校に通うつもりが第三夫人にされてしまった、シティの話なのだ。なぜなら、彼女が世話になる叔父の、同居する2人の妻のうちの1人・ドゥイと、シティは恋仲となり、駆落ちしてしまうのだから! 彼女たちがその後どのように生活していくのかはわからないけれど、2人(と、ドゥイの娘2人)で新たに幸せな人生を作るために、彼女たちは旅立っていく。つまりここに、レズビアンである女性への肯定的な視点があると思うのだ。彼女たちの存在は、奇異な性向の人々としてではなく、ごく普通に描かれ、不幸なことも起きない。2人が気持ちを通わせていく過程も丁寧に描かれているし、とても良いエピソードだと思った。
3つの話のヒロインたちの人生を、それぞれある地点で交錯させるのもお決まりとはいえ上手く見せてくれてる。また、どの話でもアチェ州の津波被害のニュースを見るシーンがあるのだが、その反応がほぼ同じなのが興味深かった。みんな、最初はニュースを食い入るように見つめ、現地の人々に同情を寄せる。しかし「あそこに救援という名目で駆けつけるのは、点を稼ぎたい政治家か目立ちたがりの芸能人だけ。皆、カメラがなくなったらさっさと帰ってくる」と、諦め顔で言うのだった…。
私のTIFF鑑賞作ラストとなった本作は、NY在住のリンダ・ハッテンドーフ監督によるドキュメンタリー。
'01年の1月、NYに住む彼女の近所をねぐらにする日系2世のホームレス画家の老人、ジミー・ツトム・ミリキタニと出会ったことで生まれた作品である。珍しいミリキタニ姓は、漢字で[三力谷]と書くらしい。猫好きだったリンダは、ジミーが絵の題材として多く猫を描いていたので、なんとなく声をかけた。彼は猫の絵をあげるから、かわりに自分の写真を撮ってくれと頼み、そこから彼らの交流が始まった。
日本の広島にルーツを持ち、サクラメントで生まれたこの老人とその絵を通して彼の来歴を辿っていく映画である。
ジミーは、10代の頃しばらく広島に戻ってきて教育を受けていた時期があり、その頃から既に芸術への道を志していた。そのために米国へ戻るのだが、そこで彼を待ち受けていたのは日米開戦による日系人差別だった。祖国の広島では原爆投下で一族の殆どを失ってしまう。一方で、ジミーたち日系人はカリフォルニアのツールレイク強制収容所に入れられ、以後米国人によって奴隷のような扱いを受けることになる。収容所では多くの日本人が亡くなった。ジミーを慕ってた少年も、病なのに医者にもかかれず死んでしまう。そして日系人たちは市民権放棄を強制され、ニュージャージーへ移送されたジミーは、以後アメリカ政府を信用せずに生きてきた。
しかし、己の画才への執着を糧に、80歳を過ぎる高齢となりホームレスとなっても尚、彼が絵を捨てることはなかった。
そんなジミー爺さんのキャラ立ちが素晴らしいので、社会派的要素がメインの作品なのに、実に面白い作品になってるんだよね。彼のような被写体と出会えたのは、監督的にもラッキーだったんじゃないかな(笑)と思うほど。勿論、元々の彼女の意図としては、NYに増え続ける高齢ホームレスに対する問題提起として彼をモデルに撮ることを思いついたらしいのだけど、9.11が起こって状況は一変する。有毒な空気にさらされたままストリートで暮らすこの老人を見兼ね、彼女は自宅で面倒をみることになる。そして彼の生い立ちを知ることは、彼女自身があまり知らなかった日系米国人の歴史を知ることでもあった…というわけ。
ジミーの言葉は、爆笑必至の名フレーズも数多いけど(グランドマスター、って自称するんだもんなあ)戦争に関する発言はやはり重みが違う。彼の中では、9.11の攻撃で噴煙を上げて倒壊していくツインタワーと、原爆を落とされた広島の姿は同じだった(彼の絵にそのことが表れている)。また9.11直後に巻き起こった中東~南アジア系市民に対する差別を、WWⅡ直後の日系人差別と重ね「same old story」と呟くのは、戦後の日本人としてもとっさには思い当たらなかったゆえに、ガンとくるものがある。
日系人の多い西海岸では違うようだが、それでもやはり多くの米国人は日系移民の歴史を殆ど知らない、とティーチ・インでリンダは語っていた。けれど、日本に住む戦後生まれの日本人にとっても、それは同じなんじゃないかな。だから日本でも、少しでも多くの人の目に届いて欲しい作品でもある。繰り返すようだが、基本的にジミー・ミリキタニ自身が頑固でエキセントリックながらも素敵なお爺ちゃんなので(笑)堅苦しさはまったく無く、74分というタイトさも観易くて、良く出来た映画だと思う。作中、在米のミリキタニ一族との再会や出会いの経緯も少し描かれるけど、必要以上にドラマチックにしなかったのも品が良くて好感でした。
ちなみにジミーの描く猫は、なんか招き猫系で不思議な可愛いさがある。他の絵も、私はその色使いがとても良いな、と思った(って素人目なのでよくわからんけど、私は好きです)。絵本の挿絵っぽい感じの作風が多いかな。 彼は現在も壮健で、NYに暮らしている。社会保障で住居も得られた。つい先日、シアトルで個展を開いたそうだ。映画と一緒に、彼の個展も日本で見られると嬉しいなあ…と思った。
◆分かち合う愛 (インドネシア)
インドネシアの若き女性監督ニア・ディナータの作品である。かの国では全人口の70%程が一夫多妻制を受け入れているそうで、そのことについて3つのエピソードで語る映画である。形式としては『アモーレス・ペロス』が一番近いかもしれない。笑えて、且ついろいろと考えることも出来る良質な女性映画で、見終わった後は実に気持ちが良かった。
のだけど。私が観た26日は平日昼間という時間帯もあってか観客が少なくて、それが残念だったな…。インドネシアの映画をもっとたくさん観てみたいな、と思える作品でもあった。
東南アジアの国々では人種が複雑に入り混じった社会が形成され、宗教背景も様々である。インドネシアで一夫多妻が多いのは、ムスリムが多いことも関係しているようだけど(イスラム教では4人までの妻が認められている)ムスリム以外の男性でも、複数の妻を持っている率が高いらしい。こうした家庭が多い背景には、第二・第三の妻となる女性たちの社会的位置も深く関係する。それはつまり貧困ということで、安定した生活との引き換えに、妻となることを余儀なくされるケースもあるそうだ。
そんな女性たちによる駆引き、あるいはそうした社会での女性のあり方・生き方を、通俗的かつナチュラルに描いた娯楽作品としても、良く出来ていると思う。世界の何処の国でも、1人の男性を巡る女たちの戦い(笑)のドラマは広く楽しまれている。こうしたドラマを見ながら、男性たちは戦々恐々とし、女性たちは共感するのだろう。本作も、インドネシア本国でかなりのヒットを記録したそうだ。
粗筋はタイトルにリンクしたサイトに詳しい。1つ目の政治家の第一夫人であるサルマの話も、3つ目のレストラン店主の愛人から第二夫人になりかけるミンの話もそれぞれに面白いのだが、この2つはある種ありふれた“本妻vs愛人”形式ではある(それぞれに立場は真逆だが)。
本作をユニークな作品にしているのは、2つ目の、叔父の世話で学校に通うつもりが第三夫人にされてしまった、シティの話なのだ。なぜなら、彼女が世話になる叔父の、同居する2人の妻のうちの1人・ドゥイと、シティは恋仲となり、駆落ちしてしまうのだから! 彼女たちがその後どのように生活していくのかはわからないけれど、2人(と、ドゥイの娘2人)で新たに幸せな人生を作るために、彼女たちは旅立っていく。つまりここに、レズビアンである女性への肯定的な視点があると思うのだ。彼女たちの存在は、奇異な性向の人々としてではなく、ごく普通に描かれ、不幸なことも起きない。2人が気持ちを通わせていく過程も丁寧に描かれているし、とても良いエピソードだと思った。
3つの話のヒロインたちの人生を、それぞれある地点で交錯させるのもお決まりとはいえ上手く見せてくれてる。また、どの話でもアチェ州の津波被害のニュースを見るシーンがあるのだが、その反応がほぼ同じなのが興味深かった。みんな、最初はニュースを食い入るように見つめ、現地の人々に同情を寄せる。しかし「あそこに救援という名目で駆けつけるのは、点を稼ぎたい政治家か目立ちたがりの芸能人だけ。皆、カメラがなくなったらさっさと帰ってくる」と、諦め顔で言うのだった…。