JIIN’S ブログ

寺院の住人が綴る、ジーンズをはいた時のような気取りなしブログ!

降臨?

2011年11月12日 | Weblog

もともと 年回のご法事の時には ご門徒は 僧侶が読経している間、
ただ 座って 意味もわからぬお経をただ聞くばかりだった。

しかし、昔と違って 誰でも 字の読める時代になったのだから…と
父の代から 西楽寺では 経本を持参して お参りのみなさんといっしょに
読むようになった。


それは 概ね好評であるが、最近になって僕が思うのは
いっしょに「読むお経」も大事だけど
ただ じっと座ってお経を 「聞く」時間 も 大切ではないか…ということ。


そこで、最近は 人数・お参りの方々の年配や構成によっては
「今日は お経本を配りません。 聞いていて下さい」
と言って 僕一人で おつとめをすることがある。

その時は 西楽寺の報恩講などで 僧侶方が10人以上で 勤める
声明(しょうみょう=節のついたお経)の作法を 僕一人で おつとめする。

       


すると、皆さん 意外に よろこんで下さり、そのじっと聞く時間が
「わが身を法の中に置く」こととなり、「有難い」という声をいただくことが多い。

 

先日は 「五会念仏作法」という 声明(おつとめ) を させてもらった。

        
すると、終わったあとで、60才すぎの女性が

「ごいんげさん、今日のお経は 有難かったですよ。ホント。
 聞かせてもらってる間に ジーンときて、なんだか 亡くなったオジさんが
 その辺りに フワフワと 降りてきた
ような気がしました!」

…だって。   ^_^;


こりゃ、ちょっと 有難すぎたようだ。
僕は 決して霊媒師では ありませんから…念のため。


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7 コメント

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Unknown (タケダ)
2011-11-17 23:18:48
声明はお荘厳ですね。
以前、「住職さんのお勤めの声を
聞くと亡き方を思いだして自然と
手が合わさるんですよ」と言われ
「はっ!」とした事があります。
丁寧にお勤めすることを忘れては
いけませんね♪
Unknown (凡愚)
2011-11-18 09:12:59
えええ、霊媒師じゃなかったんですかぁ~(笑)
● タケダさん: (ONSAI)
2011-11-18 09:34:13
そうですよね。おつとめが ちゃんとできる…
なんて、僧侶として当然のことなんですが、
心を締めて 大切に「つとめ」なければ…と思います。
● 凡愚さん: (ONSAI)
2011-11-18 09:35:04
むむっ!
こらっ、ナイショだって いったでしょ!(笑)
ちょっと反論 (破旬)
2011-11-18 18:20:34
自分のブログは全く更新せずに、onsaiさんのこのところの更新ぶりに よし!といっている怠け者です。
お経は漢音にしろ呉音でも、やはり外国語です。お互いに共通して使用している漢字の文を読みながら聞いているなら多少(かなり)は分かったような気になりますが、声だけを聞いているとやはり 呪文 にしか聞こえないのでは・・・。でも肉声と拝読している僧侶を見ていると伝わるものはたしかにありまするね。
以前、我派の本山報恩講に今お勤めしているところをモニターでカラオケのように文字反転して知らせてはどうかと提案したことがありますが、なしのつぶて(大派はこれが得意)でした。御堂にいても訳もわからずつまらないので門前の仏具屋さんにショッピングに出かけてしまっているのが現状であります。まあ、仏具屋さんはありがたいでしょう・・・?
文字を目で追いながら拝聴するのがベターと思うところです。
● 釋破旬さん: (ONSAI)
2011-11-22 21:30:47
> 文字を目で追いながら拝聴するのがベター

僕もずーっとそう思ってました。
ただ、最近 ふと 「ただ聞く」ことの大切さを思い、
あえて文字(自分の認識)抜きに お経に遇うことって
案外大切なんじゃないか…そんな気がしているんですよね。

理屈じゃなくて…。
ちょと反論の反省 (破旬)
2011-11-23 22:04:17
たしかに、私もそう思うときもあるのですよ。
梵天が釈尊に勧請したように、かすかな期待も捨てきれませんけどね

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