■ あとらんだむ「日日あらたに」 №18
昨日の記事で、Boumoriと 映画に行ったことを書いてたら、思い出したので
あとらんだむ「日日あらたに」 です。
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私の青年時代、若い男女のデートの定番といえば「映画」だった。
だが、私には どうして映画なのか、不思議でならなかった。
なぜなら、せっかく二人でいるのに、何時間も黙って椅子に
座っている映画など、無意味に思えたからである。
私なら そんなことしない。
同じ時を過ごすなら、二人で運動するとか、喫茶店で話をする方が、
ずっと二人の出会いが深まる、と考えた。
だが、残念ながらそれを実行する相手がなかっただけのこと。
数年前、boumori と二人で映画を見た。
その後、喫茶店でお茶を飲みながらの話である。
「あの場面での主人公のあのまなざし…。よかったぁー」
「ほんとだね。それから、その次のセリフ…。」
「そうそう♪」
…と二人で盛り上がった。
もしも、どちらかだけが映画を観て、その感動をどれほど詳しく説明した
としても、 「ふーん、そうなんだ」 で終わりだろう。
二人が、時を重ね、同じ方向(映画)を向いていればこそ、
一言でそれ以上に通じ合える世界が生まれたのだ。
かつての恋人たちは、同じ方向を向くことの素晴らしさを
きっと、無意識のうちの心得ていたのだろう。
こうして私は、「向き合う」、「出会う」…ことも大切だが、同じ方向
を向くこと の素晴らしさを考えさせられた。
因みに、現代の家庭ではどうだろう。
とても家族が同じ方向を見ているとは思えない。
テレビにしても、昔なら一台のテレビをチャンネルの奪い合いを
しながら同じ番組を見ていた。
でも、現代は一人に一台。別々の部屋で異なる番組を見ている。
みんな違う方向を向いている。
思うに、現在の家庭で唯一 同じ方向を向ける場があるとすれば、
それはお仏壇である。
仏さまにお参りする時には、みんな同じ方向を向いている。
そして、いのちの行方も、同じ将来(浄土)を持っている。
そのお仏壇さえも ない現代の家庭は、家族は、いったいどこを向いて
いるのだろうか。放言御免。