JIIN’S ブログ

寺院の住人が綴る、ジーンズをはいた時のような気取りなしブログ!

蓮如上人なごり香の旅(その2)

2009年05月27日 | Weblog

蓮如上人の残り香の薫る道場での ご法縁の後は
同市内の S寺さま へ 他地区から参詣の
ご門徒さんと共にお参りした。

ご住職と坊守さまの暖かいお人柄が 滲み出ているこのお寺には、
親鸞聖人のご生涯を10㎝ほどの紙粘土製の人形で偲ぶこと
のできる 「立体ご絵伝」 がある。

その立体ご絵伝を目線を移動させながら拝観していると、3D空間の
中に溶け込み、その場面の中にいる自分を「実感」できた。


そして 夕食は そのS寺のMご住職が ご用意下さった
御清水庵 遊福 へ向う。

その席には、Mご住職・JINEI さんに加え、昼間の法座にお参り下さった
S寺ご住職senpuku さん、真宗誠照寺派G寺ご住職Nさんが同席下さり、
何とも「超豪華キャスト」による 宴のひとときなった。

senpuku さんの絶妙のトークと Mご住職の穏やかな受け応え。
洗練された会話と粋を凝らした店構えに洗練された料理に時を忘れる。

そして、その 時空を貫く美酒。
なんとも 心地よく ほろ酔い加減にさせていただいた。


翌日は 朝一番で JINEI さんのお手次寺 勝縁寺さまへ お参り。

         

ご住職さまはご不在でも、とりあえず お御堂に参拝ほど…
という気持ちで 飛び込みでお参りしたところ、ナント
ご住職さまも坊守さまおそろいでお迎えくださり、結局お茶まで頂戴する。

ご住職が 僕と同い年ということと 坊守さまの笑顔についつい甘えて
勝手に心安く くつろいでしまう (^^ゞ

突然のアポ無し参拝者に対して、こんなにご親切な応対をいただき
勿体無いことでした。有難うございました。

その後は、一路 京都へもどり、正午から 大谷本廟で ご門徒の納骨法要。

午後2時半からは、本願寺で御影堂大修復完成法要の行事の一環として
行なわれた五木寛之氏の記念講演をお聴聞。
 

結局 温泉津へ帰ったのは午後10時過ぎ。

だけど、帰路の運転は 鯖江G寺ご住職Nさんから頂いた法縁CDのおかげで
あっという間の時間だった。

あれほどのCDがあれば、福井~島根を4往復くらい
できそうです。有難うございます。>Nさん


それにつけても、(←「越後」訂正)の皆さんは、みんな
 とても元気! とても暖かい! とっても熱い!

どこかしら蓮如上人のお流れを感じさせられる。
これまた土徳なのだろうか。

いやはや 濃密かつ尊い2日間のご縁でした。
JINEI さん、大変お世話になりました。

そして、お出遇いさせていただいた皆さま、ほんとうに有難うございました。


蓮如上人なごり香の旅(その1)

2009年05月26日 | Weblog

この度、京阪神地区ご門徒宅への
「年に一度のお参り(報恩講)」からひと足延ばして、福井県へ。

いつも大変お世話になっているJINEIさん河久保道場 さまへ
お参りさせていただいた。


というのも、いつもCD・DVDを通してさまざまなデジタルお取り次
ご縁を下さる JINEI さんのお心配りに対して、僕なりに何かご報謝が
できることはないものかと、つねづね考えていたのだ。

そのうち、山間地の道場では、日ごろはCDやDVDのご法話のほかには
なかなか ナマのお取次ぎ(法話)のご縁 が少ないことを察知。

よぉし! それなら、及ばずながら 僕が足を運ばさせてもらえば、
全国に名を馳せる布教使ではないけれど、
「生のお取次ぎ」…ということだけは お届けできるかもしれない。

そう思えばあとは動くだけ。

ご案内(召集)もないのに、こちらから志願して一座のご縁を結ばせて
いただくべく 押し掛け自主志願布教を決意した。

JINEI さんに その旨を伺うと 二つ返事でご快諾。
ということで 僕の勝手な都合にあわせていただいて今回のご縁となる。


河久保道場のすぐ近くには、蓮如上人が吉崎から布教に出向
かれる途中に 大雪に道を閉ざされて 逗留されたという場所が 
ご旧蹟として遺されていた。                 

その碑文の前に立つと、まるで  蓮如上人のぬくもりがそのまま伝わって
くるような気がした。(今日の上の写真)

ちょうど、僕が若い頃、インド・無量寿経の説かれた霊鷲山に登ったときに
2500年という時間を越えて お釈迦さまの声が聞こえてくるような雰囲気を
感じたことと重なった。

そして、いよいよ山あいのお念仏道場へ。

僕は この道場にいつもお参りされる 地元の皆さんと車座になって
膝突き合せてのささやかなご法縁…と想像していた。

ところが、ところが! …である

JINEIさんの お計らい(ご案内)で、ナント 有縁のご住職・坊守さん方々
それにそのお寺のお同行まで 道場にお参りくださり、膝突き合わすどころか
一般寺院のご法座と変わらぬ(いや、それ以上かも)賑々しいご法座となる。

             
             (JINEI さん撮影:雪国の道場らしく、堂内には囲炉裏が2箇所)

後から聞いてわかったのだけど、お参り下さったお寺さんには
次のような方々が…。

僕が、9年前にお寺のホームページを開設しようときから
そのサイトつくりの素晴らしさに リスペクトして止まなかった
「自分さがしの仏教入門」の 管理人  goshin さん

福井でバイタリティ一杯に大活躍、りんどうホールのある
S寺
ご住職 senpuku さん

JINEさんも尊敬されるデジタルお取次ぎの真宗誠照寺派鯖江のG寺
ご住職Nさん

さらには、道場ご近所のH寺ご住職Sさん、そして真宗仏光寺派S寺ご住職さん

初めての北陸でのご縁。初めての「道場」でのお取次ぎ…。
その上にこの想定外の状況に 僕はただただ… (^_^;)
まるで「教育実習生」状態の心境。

控え間で お念仏。なんまんだぶ。なんまんだぶ。

そうそう、いい格好することない。
阿弥陀さまは ちゃ~んとお見通し。

(おご)らず、怯(ひる)まず、諂(へつら)わず…。
自分のまんま、そのまんま お取次ぎさせていただいた。

だけど、その感動は 未だ覚めやらず(つづきは 次回)


※ おまけ
道場へ向う途中でいただいた 「越前そば」
やはり は おススメは  おろし蕎麦

           
                                                        美味しかったデス。


命日を過ぎたら…

2009年05月23日 | あとらんだむ「日日あらたに」

 ■ あとらんだむ「日日あらたに」 №17   

年回法要の日取り相談のメールを いただき、その中で
「命日より 遅れては いけないの?」とありました。


そこで、すかさず、あとらんだむ「日日あらたに」です。
  

   この話のある場所
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スッタ問答

    >  8 法事は命日を過ぎたら、よくないといいますが


         *************************************

   
( スッタ 問答 =Sutta-Monda-u)


Q:年回の法事は、早くおつとめするのはいいけど、命日を過ぎたら、
    よくないといいますが…本当ですか?

A:よく問われる質問です。遅れたらよくない…と。

その、「よくない」っていうのは、どういう意味なんでしょう?

年回の当たっている故人がタタルとでもいうのでしょうか?

これはたぶん、「雷がヘソととる」と同じたぐいの言い伝えでしょう。
ところで、どうしてカミナリがおへそをとるか、ご存知ですか?

私の薄学な勉強によりますと、

カミナリが鳴るのは、寒冷前線の影響で、寒冷前線は通過した後で
気温が下がります。だから、子供たちにはオヘソ(おなか)を隠して
冷やさないようにさせなければなりません。

ところが、子供たちに「ただ今、寒冷前線が通過中につき、おなかを
冷やさぬように…」
なんて言ったって通じません。

だから、 「カミナリがおへそをとるゾ」 って教えたんですね。
つまり、迷信とかではなく、先人の智恵です。

これと、同じような言い方が、 「法事は遅れるのは、よくない」 …でしょう。

あるご住職から、こんな話を伺いました。

その年、ご門徒の親の25回忌が当たっていました。

ところが、命日は2月初めなので、なかなか寒い時期には、親戚も集まり
にくいということで、 春のお彼岸過ぎにお勤めすることになりました。

しかし、法事の日が近づくとその日は親戚の結婚式が重なっていることがわかり、
やむなく5月の連休中に繰り延べました。

すると、今度はその家の奥さんが怪我で入院しました。これでは、とても法事が
できる状態ではなくなり、奥さんが全快するのは盆過ぎだから、まあ涼しくなって
からということで、秋のお彼岸前に再々変更となりました。

で、結局どうなったかといいますと、秋のお彼岸前も差し支えが生じ、翌年に
法事をされたとのことです。

これじゃ、25回忌ではなく、26回忌です。
こんなふうに、われわれ(人間)の予定・計画は、あてにならないものです。


だから、大切なことは 先送りしないで早めにした方がよい という意味で、
「法事は命日を過ぎたらいけない…」となったんだと思います


3つのいのちが、6つのいのちを…

2009年05月21日 | 仏事/行事

先日(17日)の降誕会初日には、
この1年に生まれた赤ちゃんたちの「初参式」(初参り)があった。

といっても、近年は赤ちゃんを案内しようとしても、過疎化・高齢化の中で、
「該当者なし」… という淋しい年もある。

だけど、今年は 3名の赤ちゃんの お参り。


そして、さらに嬉しかったのは、その赤ちゃんに付き添って
それぞれのご両親(パパ・ママ)が お参りしてくれたこと。

何故か 今までは パパの都合がつかない場合が多かった。

だから、こうして3名の赤ちゃんに 3名のパパ、3名のママが
そろって阿弥陀さまの前で 合掌する姿が とても有難く眩しかった。


親は 子を持つことによって 初めて「親になる」…
言い替えるならば、子どもによって「親にしてもらう」のだ。

そして、その子を通して、わが身に はたらきづくめの親心に
気づかされる。

ご両親(パパ・ママ)は、赤ちゃんを連れてきたつもりでいらっしゃる
かもしれないが、実際は 赤ちゃんが ご両親を お寺まで連れ出し、
仏さまの前に座らせて阿弥陀さまの教えを聞かせてくれた

のかもしれない。


ようこそのお参りでした。
大切にお育てください。


1日遅れの”祥月命日”

2009年05月19日 | Weblog

いつの頃からか、結婚記念日のことを
「祥月命日」 (しょうつきめいにち)と呼んでいる。

命日とは、今生のいのちの終わった日であると同時に、
浄土で限りなきいのちを恵まれる日でもある。

ということで、独身が終わった日であり、夫婦として
誕生した日は、やはり「祥月命日」である。


さて、僕たち夫婦は、「何も言わなくても分かる」という
日本的な夫婦ではない。

「言わなきゃ、何も分からない」と思って、とことん話をする。
話をしているから「言わなくても分かる」ことができてくる…と思う。

しかし、遥か300kmも離れた実家から島根に嫁いできてくれて、はや24年。
カルチャーショック的な戸惑いも たくさんあったろうに、今では僕以上に
温泉津に詳しいことさえあるから、頭が下がる。

そして、今年は結婚24年目だから 24回 である。
来年は25回(銀婚式の一年前)で年回が相当する。
(祥月命日を年次で迎えると やはり「〇〇回」 になる)

25回喜(24周年目)と銀婚式(25周年)… どっちにポイントを置くべきか…。
ふむ。… どっちも 大切にイベントしよう!

そして、50回喜(金婚一年前)まで、いっしょに元気で出来るかどうかは
わからないが、せめて「喜」の字が「危」の字にならないようにしよう。


ということで 今年の24回喜・祥月命日イベントは、あのスッタモンダの
最中だったので、1日遅れ。


子どもたちが 留守番をしてくれたので、ささやかな贅沢をさせてもらい
二人だけで近くの海辺のレストラン ラウで ディナーだ。

       

まずは 夕映えのテラスで乾杯。
(画像は 店の人にとってもらった ONSAI & Boumori)

その後は 室内テーブルで とコース料理。
こんなに ゆったりとした 会話とお酒と食事は 久しぶりだ。

                          

満足した帰り道、ワインの匂いに包まれて 夜風がとても心地よかった。


**********

な~んて!、こんなことを書いていると

なんだ!ドタバタしてたという割りには ちゃんと すること してるじゃん!
心配して損したぞ…

って言われそう  (^^ゞ

はい。どんなに大変なときでも 一杯飲むことと 大切なことは
決して忘れぬONSAI であります。


東京へ

2009年05月15日 | Weblog

怒涛の3週間の第2週目は 関東方面への
「年に一度のお参り」だった。

9日は、都内在住のU家のご主人の年回法要。

        

お勧めしてミニ仏壇がキチンと飾られて
マンション内のリビングにしっかり馴染んでいた。

10日は、あきる野本願寺 本堂をお借りして
I 家の年回法要。

見事に設えられた本堂・施設を みるとき、
場所を借りたついでに 法要も別院の職員(僧侶)に依頼された
ならば、ことなく 仏事を済まることできるのに、
こうして 西楽寺からのお参り便にあわせて下さることは
本当に 勿体無いことだと思った。

         

都会地でのご縁では  いつも 思うのだが、おつとめは もちろん
のこと、その後のご法話に聞き入られる姿とその反応(感想)が
半端じゃない。

砂に水を打つように 聞き届けてくださり、些細なひとことに
しっかりと思い留めて味わって下さる。

お取次ぎ(お話)させていただいたこちら側が 痛み入る。
お取次ぎは 発信機より受信機が 大事だな…と思う。


風が見えた

2009年05月13日 | Weblog

あれやこれや…書ききれない程のご縁(出来事)があり、
事務的なネット接続は できても、お気に入りのブログを
巡ることもできなかった スッタモンダの3週間。

振り返れば 7都府県を東奔西走・七転八倒。

「どうしたの?」
「大丈夫?忙しいの?」

更新されないブログを見てだろうか、 思わぬ人たちから
僕を気遣って下さる メール・言葉を いただいた。

ご心配、有難うございます。
どうやらこうやら、8割方「いつもの」状態になりました。


この間に教えられ、気づかされた思いを トータルして言葉に
するならば…。


あの時、あのことがなければ…。
こんなはずじゃなかったのに…。

       こんなふうに
      「今まで(過去)」が引受けられないでいると、
      「今」も 受け入れられない。


あの時、あのことがあったからこそ、
こうして 今の自分がある。

      こんなふうに
      「過去」を引受けることができたとき、
      「今」もまた  たしかに 受け容れられる


直接的に お念仏が どうのこうのと言うつもりはない。

だけど、常々 仏さまの智慧のお話を聞かせていただいて
いるからこそ、素直にうなづいて 気づかされたのだと思う。

いま、たおやかに  わが身を引受けていける自分が
有難い。


〔今日の画像〕
西楽寺から西へ車で15分ほどの海岸線に並び立つ風力発電機。
青空の下、大きな空気の流れが 見えた。