25年ぶりくらいに、かつて暮らしていた街の老舗料理店へ行ってきた。
店先にはお品書きが置いてあり、目当てのカニ釜飯があるか、期待に胸を膨らませながら探していく。
釜飯で・・・どうしたことか、その料理名がない。
かつてなかった種類はあるものの、定番に等しいそれがないなどにわかに信じられないけれど、せっかく来たからには何かしら美味しさの片鱗を感じたくて暖簾をくぐった。
店内は今様に改装されて、客の入りも順調だ。
席に通されて、お店の人に尋ねてみた。
すると、少し前はカニ釜飯をやっていたけれど、リニューアルしたときにメニューも刷新してしまったとのこと。
とても残念ではあったが、時の流れの中ではそういうこともあるのだと、今を受けて楽しもうと気持ちを変えた。
さて、それでは今を楽しめたのか。
自分の好みにはあたらず、思い出のよい上書きはならなかった。
これと同じようなことは、今までにも何度か経験している。
今から13年前に訪れた、パリの中華料理店”リド”の「エビ団子スープ」が、かつての繊細さを失っていて、大いに落胆したことだ。
オーナーや、料理人が代われば、味もメニューもそのまま継承されにくい。
老舗が味を変えないで存続できるご時勢でもない。
思い出は個人的なことで、それでとやかく言えるなんておこがましいが、寂しい気持ちはどうしようもない。
だから、どんなときも当たり前に素敵な経験が出来るわけではなく、出会えたことは得がたいのだと心にしっかり刻み込もう。
思い出の終止符は、でもやっぱりちょっと辛かった。