rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

甘いだけの炭酸には飽き飽きだ

2013-08-25 21:16:59 | 食べ物たち
我が家の男ども、家人と中くらいの人は炭酸飲料、我が家の通称”ジリジリ”が大好きだ。
新製品が出るたびに買ってきては、テイスティングしている。

今日、「〇〇サイダーグリーンレモン」を買う。
製品の表には「〇〇サイダー最高に酸っぱい」とあるので期待していたが、酸味を打ち消すかのようなくどい甘さで、残念ながら次回はないという結果に終わる。
特にこのメーカーの炭酸飲料、家人が申すには、近年甘さがきつくなっているという。

あと、これはどのメーカーにも言えることだが、ダイエットやトクホ(特定保健用食品)などと、カロリーオフやカロリーゼロを謳って人口甘味料で甘みをつけたものが多く出回っている。
もともと炭酸飲料だけでなく、清涼飲料水など、飲みすぎは健康によくなく、よいイメージを付加されたものに安心してはいけないのだ。
だからこそ、誤魔化しのない甘味料の砂糖やブドウ糖で甘みを付けたものを意識して飲みすぎることなく愉しむのだ大切だ。

それにしても、我が炭酸愛飲者達は、甘みの強い炭酸飲料が多いことに辟易している。
これだけ多くの種類を出しているのならば、甘みを押さえたドライな炭酸飲料も欲しいところ。
もっともいまでは、純粋な炭酸水や、わずかにレモンなどのフレーバーをつけた炭酸水も売られるようになっている。
しかし、その中間的炭酸飲料がないのが残念なのだ。
ときどきこれはと思う製品が出て歓喜していても、なぜか定番化しない。
単に、我々の嗜好がマイナーなのか。

食が多様化しているように見えても、上手い=甘いの構図がいまだ根強く残っている味覚の基準。
もう少し待てば、甘すぎず炭酸の効いたジリジリの市民権が出来るかもしれない。
楽しみに待ってみようか。



ロッキー山脈の麓、大自然に抱かれたデンバー

2013-08-24 23:27:57 | 街たち
「にじいろジーン 地球まるごと見聞録」アメリカのコロラド州の中心都市デンバー。
4000メートル級の峰峰が連なるロッキー山脈の麓、1600メートルの高地にあるデンバーは、日本の軽井沢のような夏でも冷涼で過ごしやすい土地。
隣町のボルダーは、マラソンの高地練習で有名だ。
パイクスピーク・コグレールトレインは、1891年から走るレトロな車体でロッキー山脈を走り、4300メートルの頂上まで行くことが出来る。
3000メートルを超えたあたりから眼下には雲海が広がる。
壮大な自然と共にある街には、天然の音響効果を持つレッドロックス野外劇場があり、明るいうちにはコンサート、日が暮れると岩山がライトアップされ映画が上映される。
この恵まれた環境の劇場は、多くの有名アーティストがこぞって演奏したがり、ジミー・ヘンドリクス、ビートルズ、マライヤ・キャリーらがいた。
インディアン・ホット・スプリングスは、ネイティブアメリカンが発見し、1869年から洞窟温泉として人々の憩いの場となる。
鉄分を多く含む泉質で、ネイティブアメリカンたちはここでキズと疲れを癒していたという。

かつてこの土地を闊歩していたバイソンは、ネイティブアメリカンの貴重な蛋白源になっていた。
そのせいか、バイソンの肉は今でもこの地で食べられている。
バイソンステーキは、少し甘みのある柔らかい肉質、低脂肪でヘルシー。
バイソンのミンチで鶉の卵を包み油で揚げたバイソン・エッグは、唐辛子とラズベリーソースで食べる。
ビールの醸造も盛んで、ワインクープ・ブリューイング・カンパニーでは、ロッキー山脈から湧き出る水を使ってつくられる15種類ものビールを味わえる。
レイヤードエールに代表される全米ナンバーワンを幾度となく獲得したこれらのビールを堪能できるが、どのビールにするか決めかねる人のためにテイスティングタンブラーで3種類のビールを味わえるサービスも用意してあるらしい。

ショッピングでは、カウボーイが闊歩していたこのあたりらしい店の「クライ・ベイビー・ランチ」がある。
伝統的ウエスタンをモダンにアレンジし、しかもほとんどがハンドメイドというところがいい。
また、ブラウンパレスホテルでは、そのロビーにおいて年一回開会される牛の品評会も、土地柄といったところか。
1945年、ある牧場主がこのロビーで自慢の牛を披露したことがきっかけとなり、今では全米各地から牛が集まるほどだという。

雄大な大自然の懐で繰り広げられた幾多の人の営み。
ロッキー山脈は、良しも悪きもじっとそれを見てきたし、これからも見続けていくだろう。




色とりどり鮮やかな野菜たち、天ぷらに

2013-08-23 11:29:45 | 食べ物たち

サツマイモ・ジャガイモ・ナス・ピーマン・シシトウ 23/8/2013

見ても美しい自然の恵み、野菜たち。
鮮烈な茜色したサツマイモ、大地の色のジャガイモ、同種のシシトウとピーマンのぱっとした緑、黒と見紛うばかりの濃い紫のナス。
ジャガイモ以外は、先ほど畑から採ってきたばかり新鮮そのもの。
小さい人が、こうして並べてある様子を見て感動する。
「なんてきれいなんだろう!」
これらは今夜、天ぷらになる。

畑から採ってきてすぐ調理し食べると、野菜の命をそのまま頂いている感覚になれる。
命は他の命を繫ぐ糧。
野菜といえども生きていたのだから、大切にありがたくその命を頂こう。

さあ、夜は天ぷらだ。

心痛止むことなし

2013-08-22 11:40:05 | つぶやき&ぼやき
シリアの内戦で、化学兵器使用によって新たに千人を越える犠牲者がでたらしい。
エジプトでは、前大統領のモルシ派を制圧するのに軍が強硬手段を用いて多くの死者を出している。
わが日本の福島の原子力発電所では、高濃度の放射能汚染水がタンクから流出し、海に流れ込んでいる。
これらは、地球で起き続けている人災内で目立っているもの。
天災や緩慢な人災を加えたら、いたるところ災難だらけ。

内戦も環境汚染も、いったん収束したかに見えてその実は深いところで病理となり、数十年にわたって人々を苦しめていく。

特に内戦は、日常的にあるほんのちょっとした差異が生む小さなわだかまりが澱のように沈んでいるところに、ある意図を持った、ほとんどが己が利益を追求したい外部の者たちが、その澱を取り出して見せ火種とし、攪拌して争いに持ち込まれて作られる場合が多い。
戦争は、一大消費イベント。
他国で繰り広げられる戦争は、単純な大消費地として歓迎する者たちがいる。
また、火事場泥棒よろしく漁夫の利でもいい、自分たちに利のある勝ち組をたてることで資源の利権やその後の消費ルートの獲得もでき、一粒で二度美味しいのだ。
やれやれ、植民地や奴隷は形や手法を変え有史以来連綿と続いている。

まったく、人間てろくなもんじゃない。

原発事故に対する対応も、年金問題や健康保険問題、税金から予算まで、根底には合い通じるものがあるように見える。
事態が深刻になるのをわかっていながら、あまりの事の重大さに当事者たちは「見ざる言わざる聞かざる」で、なんとなく先送りできればと思っているようだ。
だいたい、不手際をしでかした当事者たちだけでことの収拾に当たらせるのは、目隠しをした者が目隠しをした者を導くに等しいだろう。
少しでも公正中立な立場をとる専門の機関に陣頭指揮を願うのが、筋というものではないか。
現場で命を削って作業にあたっている方々の労は、水泡に帰してしまう。

憤慨を越して、なんとも悲しいものよ。

生きていける未来があると思っている子供たちの顔を見るたびに、すまない気持ちで胸が痛む。
「未来は自分で作るんだ」などと言っていいのは、安全に生きられる今を作っていると自負できる大人たちだけだ。
愚者の私は、子供たちが転ばぬ先の杖を持つ手助けをするしかできないでいる。




ガヴォットあれこれ

2013-08-21 11:16:54 | 音楽たちークラシック

Mischa Elman plays Gossec's Gavotte

ガヴォットは、フランスのフォークダンスに由来する古典舞曲。
ベルギー出身のバロックからロマン派にかけての時代に活躍したゴセック作曲の「ガヴォット」を聴いたことがあるだろう。
ドイツ出身のヴィットハウアーの「ガボット」もどこかで聴いた覚えがある。
バッハの《パルティータ第3番》BWV1006うちの「ロンド形式によるガヴォット」は、ことさら有名だ。
テンポのよい小曲は、聴きやすく印象に残りやすい。

腰を落ち着けてじっくりと聴く時間と気分でないとき、このような小曲は、気軽な音楽としてありがたい。
文芸作品のエッセイなど、それと似たような作用がある。
チョットだけ日常から離れたいことがある、そのような時これらの作品がトリップの橋渡しをしてくれるのだ。

そういえば、自分の音楽や本の収集傾向を見ると、3割近くエッセイや小曲集が占めている。
おやおや、いったいどれだけ現実逃避額のだろうか。
仙人度数は、かなり高いはずなのに。



Johann Georg Witthauer - Gavotte [David Ruzicka]


Segovia Plays Gavotte (Bach)