rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

アーノルド・ロベール「ふたりはともだち」、あるがままを受け入れること

2011-06-20 00:01:04 | 本たち
これもまた、小さい人に読んだ絵本のこと。
アーノルド・ロベール作「ふたりはともだち」は、がまくんとかえるくんが主人公。
わがままが目立ちうっかり者のがまくんと、彼に献身的に支える賢く優しいかえるくんは、大の親友。
こう説明すると、不公平な感じを抱く。
現に、全くの平等ではない。
それなのに大の親友なのだ。
たいていの話、がまくんに振り回されるかえるくんの姿がある。
なのにどうしてかえるくんは、がまくんと友達でいるのだろう。
それは、不器用なりに誠意を持ったがまくんを、かえるくんは「愛」しているからだ。
”おはなし”には、がまくんが真剣にかえるくんを思いやる姿が書かれている。
かえるくんの期待にこたえようとする、切ないくらい愚鈍に奮闘するがまくんだ。
そんながまくんの姿に、「愛」をかえるくんは見たのだろう。

「愛」、とても難しい行為。
好き・嫌い全てひっくるめて、あるがままを受け入れることだと思う。
利害などの入り込む余地はない。
その、「あるがままを受け入れる」ことの難しさよ。

がまくんは、自分にはとても出来ないだろうと思う難しいかえるくんの願いを、渾身の力振り絞って、自分に考えできることをしようと努力したのだ。
かえるくんの身になってみて、願いを叶えようとした。
そして、かえるくんは、がまくんの気持ちを汲み取って、たとえかえるくんの願いを叶えることが出来なくとも、その全てを受け入れる。
相手の立場にたってみるという「思いやり」が、ひいては「あるがままを受け入れる」、「愛」につながっていくのだろう。

単純な物語の中に、大きなものが詰まっている。
読むたびに、その中身が目の前に少しずつ現れ出てくる。
子供だけの物語としてしまうにはもったいない、どの世代にも通じる、心に湧きだす清らかな泉の源泉になるべき物語になるだろう。
これは、”がまくんかえるくんシリーズ”の中の一冊で、あと三冊ある。
愛に満ち溢れた、よい本である。



小川国夫「弱い神」

2011-06-19 00:39:28 | 本たち
小川国夫に出会ったのは、高校の教科書に載っていた短編だった。
さすがに、四半世紀前なので、題名を覚えてはいない。
しかし、この時以来、小川国夫のファンになった。
とはいえ、全ての作品を読んではいない、いい加減なファンである。

「弱い神」、この大叙事詩ともいえる遺作を、最近読んだ。
彼の故郷、静岡県の藤枝付近が舞台になっており、彼の祖母の代からの家族へのオマージュといったように感じた。
そして、キリスト教への信仰についても。
明治から太平洋戦争後にかけて、日本人の生活と精神は、激動激変した。
こんなに価値観が変わったのは、そう滅多にあることではないだろう。
最近、バブルで一つの基点となり、今回の大災害が新たな価値観への起点となりえるかの大変な時期に差し掛かって入るが。
時代の荒波がひどくなり、立て続けに人々を襲うような状態になると、人は何かしっかりとした支柱を求めるのかもしれない。
防衛本能ともいうべきか。
小川国夫の場合は、キリスト教であった。
舶来物で、神秘的だっただけではないだろう。
徳川時代、宗教の恐ろしさ、厄介さを見抜いた家康たちによって、仏教(もともと舶来の宗教)を頂くお寺に戸籍管理を任せ役所の一翼として、天皇を頂点とする神道も共生させるべく祭事を司る機関として、上手く民衆の生活に溶け込ませた。
さきの仏教においては、様々な宗派を適度な郡単位に分散させて、一台徒党を組まないようにし、人の生死を扱うから戸籍管理に適任だった。
現代の都市では、もうその面影を見るのは難しいが、人の流入のほとんどない地域では、いまなお徳川の治世の残像を見ることが出来る。
それは、地域単位でお寺と宗派が、くっきりと分かれているから。
そうだ、おそらくその徳川の影響もあって、”強い神”としての求心力に、精彩を欠いたのだ。
また、徳川での弾圧を受けて耐え忍んできたキリスト教信者に、明治が希望を与えた。
耐え抜いた信者のいる教えは、その求心力の強さに、心惹かれる人が多く現れても、不思議ない。
もちろん、かつての強い風当たりは、太平洋戦争時下では、またぶり返すが、宗教の持つ性質上、迫害はかえって信仰心に油を注ぐものだった。
そんな時代の空気を吸って育った小川国夫が、キリスト教者になっても、かえって内面に向かう人だからこそ、その道しかなかったのかもしれない。

彼が、青春をすごした時代から、随分と世の中が変わった。
交通機関の発達と、通信技術の目覚しい進歩で、世界はとても小さくなった。
必ずしも公正な真実ではないかもしれないが、世界各地で起こる出来事を瞬時に知ることが出来るメディアツールのおかげで、世界を俯瞰できる”神の目””神の耳”を手にいてることが出来た。
そうして世界を、人間を見ていくうちに、宗教の毒と薬の表裏一体にも似た性質を知り、自分がいずれかの宗教を信仰する可能性がなくなったことをあらためて思った。
もし、いまの時代に小川国夫が青春を過ごしていたならば、キリスト教者になったであろうか?
勝手な想像だが、ならない可能性が高いような気がする。
現在は、神も仏のない、殺伐と混沌とした世界が広がっているのだ。
いまいる神は、唯一神である“金”神様が、人の頭上に君臨している、そんな世界だ。

小川国夫が、大学を休学して私費留学した世界第二次大戦の傷が癒えきらない、1953年のヨーロッパ。
オートバイのヴェスパを駆って、ヨーロッパを歩き回った時には、まだ”金神様”の力はこれほどまでに強く浸透していなかったであろう。
その体験を基にして書かれた「アポロンの島」に薫陶され、自分もヨーロッパに行きたくなった。
物見遊山だけではなく、自分の”神”を見つけようと安易な野心を持って。
自分が行った頃のヨーロッパは、いくらか”金神様”がその力を出し切っていない頃であった。

アルプスに守られた街、スイス:ルガーノ

2011-06-18 00:37:32 | 街たち
「世界ふれあい街歩き」、イタリアとの国境に面した街で、ルガーノ湖のほとりにあるスイスのルガーノ。
街の北側にそびえるアルプスの峰峰が、冷たい北風から街を守る。
南から流れ込んでくる暖かい空気は、街を暖かく住み良いところにしている。
ルガーノは、自然条件に恵まれた穏やかな街だ。

スイスは、多言語国家。
イタリア語、フランス語、ドイツ語、ロマンシュ語の4つの言語だ。
ルガーノは、イタリアに接しているから、イタリア語。
そんな多言語国家ならではか、切手には”HELVETIA"(ヘルヴェティア)と書かれていた。
使用言語比率は、圧倒的にドイツ語が6割強と多く、ロマンシュ語にいたっては5分しかいない。
しかし、それぞれの言語表記を併記できない場合(硬貨や切手などスペースがないもの)は、ラテン語の”HELVETIA"を記述する配慮がなされている。
多言語・多民族国家、しかもラテン語という今では学術・専門・祭祀宗教にのみ使われている、いわゆる死言語を使う心憎い気配りではないか。

また、スイスは、早くから電気自動車導入を推進している国だ。
海に面した国々は、安易に汚染物質を海洋投棄できるが、この国ではそれがままならない。
そんな山岳地帯にある観光立国が、そういう選択肢を採らせたのだろう。
それで街には、充電器を設置し、年間使用量を収めると充電器の鍵を渡され、いつでも使用できる仕組みになている。
街によっては、ガソリン車禁止や自家用車を制限しているところもある。
自動車道路よりも、鉄道網が整備されていて、長距離の移動を、列車に自動車を積んでする。
こうした徹底振りでないと、自然と環境保護はできないのだろう。

徹底振りのサンプルに、ゴミ集積箱の地下埋設には驚いた。
確かに景観を保てる。
そのゴミ収集法にも、二度ビックリした。
一人の作業員がハイテクなゴミ収集車を使い、リモートコントロールで操作、クレーンアームを動かしてゴミ集積箱をつり上げ回収する見事さよ。
ゴミの日に、路上に山積みにされるゴミ袋、破れてゴミが散乱し、悪臭を放つ光景が日常化している日本とは、大きく違う。
どうやら、システム整備の観点が、根本から違うのだ。

この街には、19世紀の建物と現代建築がとても上手く混在共存している。
マリオ・ボッタという建築家の作品が、市内とルガーノ近郊のモンテ・タマロの山上などで、その魅力を放っている。
現代的な感覚を採り入れつつ、古いものと調和する精神を持って、建築する。
否定の上に前進するのがよいとされがちな昨今、彼の建築精神は、寛容である。

長生きの秘訣を答えた101歳になる老婦人は、「人と喧嘩せず、人のいう事を聞く寛容な心持で、自分をしっかりもっていたからだ。」と言った。
それは、「文化・文明は、先人たちの道を踏襲しながら、自分の信念を持って新しい道を模索なさい」と言われているような気がした。

生きているからには、時間の経過は無視できない。
過去を否定は出来ないのだ。
だから、過去と未来のどちらかに偏ってはいけないのだ。
過去を踏まえていきながら、未来に進んでいこう。
新しく生まれたにしても、過去を踏まえたうえでのことに回帰しよう。

ルガーノは、新旧交々交じり合いのたいせつさを、どうぞと気前よく見せてくれる街であった。

ギター音楽の虜、Francisco Tarrega: Gran vals

2011-06-17 09:22:06 | 音楽たちークラシック
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雨のしとしと降る日には、お日様の優しさを運んでくれる音楽を聴こう。
Francisco Tarrega: フランシスコタレガ: Gran vals グランヴァルス などは、いかがかな?
雨だけど、雨の雫がぽたぽたと天から落ちるように、音の雫がギターの弦から弾き出される。
そうだ、雨傘に垂れ落ちる、木の葉からの雨だれにも似た音がする。
ぽつ、ぽつ、たたたた、ぱらん。
カタツムリやアマガエルになった気分を味わうのも、雨の日の楽しみかもしれない。

フリッツ、フライドポテトは、ベルギーが発祥の地

2011-06-15 23:47:58 | 食べ物たち
家人の大好物は、フライドポテト。
ときどき、冷凍のフライドポテトを買ってきては、自ら鼻歌交じりに揚げている。
その後姿は、凛々しく活気に満ちている。

家人は、若かりし頃にベルギーに滞在していた。
少ない生活費からまかなう食事は、質素を通り越していたらしい。
唯一の楽しみは、GB(ジェーベー)ブランドのポテトチップス大袋を買って食べること。
ジェーベーとは、ベルギーの大手スーパーで、その自社製品は、日用雑貨から、食品などに至るまである。
そういえば、フランスでも大手スーパーのモノプリも、自社ブランドを展開していた。
もちろん、日用雑貨から食品、衣料に至るまで、なんでもありだ。
自分も大いにお世話になった、ありがたいサービスだ。
日本でも、今では当たり前のようにあるようになった。
横道にそれてしまった。
そのGBポテトチップス、20年前と5年前では、塩味加減が変わったらしい。
健康の為か、薄塩に変わったと、家人が驚いていた。
GBポテトチップスは、家人とときを同じくベルギーにいた、物理学者のTさんも愛好していた思い出の品。
2人で、いかにポテトチップスを愛しているか、熱く語った、今では遠い日のこと。
Tさんと、もうポテトチップスについて語らえる機会は、永遠に失われてしまったけれど。

ベルギーには、ブリュッセルとブリュージュを見た限り、町のそこかしこに、フライドポテトの屋台がある。
注文すると、揚げたてを、紙の容器に入れてくれる。
そして、トマトケチャップとマヨネーズ、どちらかまたは両方かを聞かれて、希望のソースを添えてくれる。
塩味だけというのは、ありえないらしいことを知って、驚いた記憶がある。
あと、マスタードもあったかな?

家人は、フライドポテトスタンドが、ヨーロッパのいたるところにあると思っていたらしい。
でも、おそらくベルギーだけだろう。
なぜなら、ベルギーがフライドポテト発祥の地だから。
確か、もともとは魚のフライを屋台で出していたのが、ジャガイモを揚げて出すようになったらしい。
経緯は、忘れてしまったけれども。
また、どこの家庭にもフライヤーが常備されていて、毎日のように食卓に上る、第二の主食といった具合。
そのくらい生活に浸透しているフライドポテト、その国に住んだめぐり合わせに、家人、赤い糸を感じたらしい。

そうだ、家人が物の好き嫌いや、好きの程度を表現するときに、必ずやフライドポテトを引き合いに出す。
最上級の表現が、フライドポテト、それに対してどの程度と言い表すのが、家人のやり方。
はじめは、冗談だと思っていたが、心底そう思っていることが歳月と共に判明して、人の不思議と面白さを再確認した。

さて、では自分には、そのような引き合いに出来る基準があるかと問われるならば、返事に詰まってしまう。
本当に、心底好きなもの、皆さんはありますか?