rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

空からの眺めー昼

2017-11-19 22:26:57 | 旅行
いつもは見上げる雲を、目線の高さで、または眼下に見下ろした。
雲の中では、窓ガラスに水滴が張り付いては後ろへと流れ去る。
時折、雲でできた壁を持つ部屋なども現れて、「ジャックと豆の木」よろしく、巨人がひょっこり顔を覗かせるのではないかと思えてしまう。
雲の上に出ると、照り付ける強い太陽の光に満たされた、上には真っ青な空が広がるだけの広大な空間が待ってた。
もしも夜ならば、すぐにでも手が届きそうなほどの星が瞬いていて、ボワンと見えない薄い膜を超えたならそこはもう宇宙なのだろうとときめいた。
見下ろす景色は、3層の雲の下に海や陸地が広がって、その形を見ながら、下北半島だ陸奥湾だ鳥海山だのと、手元に詳しい地図をおきながらもっと地形を楽しみたいと惜しみながら見る。
けれど、やや残念なものもあった、それは太陽光発電パネルが、各地に点在しては、景色をかなり変えていることだ。
中には、ダム湖よりも広い面積のところもある。
今はいいだろう、しかし、耐用年数を過ぎたころ、どうこれを処分するのだろうか。
この数年で爆発的にできたものだから、一斉に廃棄されるはずで、厄介な廃棄処理を厭んでの不法投棄や、単に埋めてしまうなど、きっと多くの問題を生みそうだ。
それでも、自然は坦々と移ろい、川は白金のその身をくねらせ、山々は赤や黄色で錦のように彩られていた。
地上が次第に近づくにつれ、モザイクのように田畑や家屋で埋め尽くされ、ところどころにゴルフ場やショッピングセンターがポイントを作り、道路はそれらを縫い合わすのだった。
列車はもちろんすきなのだけれど、いつもとは違う光景を、飛行機は私に見せてくれる。
旅は、行く先も楽しみだが、その道程も大いにいいものなのだ。

色があふれる秋

2015-11-03 22:07:50 | 旅行
日常の行動範囲から出れば、それはもう旅だ。
と言うことで、久々に実家へ車を走らせた。
昨日の雨で、大気中の塵は洗い流され、木々も埃を落として、きれいさっぱりと磨き上げられている。
空には白くところどころ灰色も混ざる大きな雲がどんと浮かんで、青い空とのコントラストが美しい。
家々の庭先や畑の縁などに咲き茂る色とりどりの小菊たち、濃い緑の葉を背景に白やピンクなどの山茶花に雑木に絡みつく朱色の烏瓜も、景色の効き色となって、それはもうあでやかな錦といった風情だ。
とにかく美しい秋の様相に見とれながらも注意を怠らずハンドルを握る。
出かけるときにはカメラを持とうと思っていたのに、家を出て3分で気が付いたけれど、すでに予定出発時間を30分もまわっていたので諦めたのが恨めしいほどの感動を、秋は私に与えてくれた。
日ごろ、通勤で走る景色には麻痺してしまったのだろうか、今日のような秋を見つけることはできないでいた。
明日からは、もう少し余裕を持って辺りを見てみよう。
日々移りゆく季節を見逃すのは、なんとももったいないような気がするのだ。

昨日の犬吠埼、一昨日の蝋梅

2014-04-03 16:50:24 | 旅行

犬吠埼灯台 2/4/2014


プレート 2/4/2014


白いポスト 2/4/2014


灯台より太平洋を眺める 2/4/2014


霧笛の施設 2/4/2014

チリで日本時間で午前9時前におきたM8.2の巨大地震が甚大な被害をもたらしたのを知らない我々は、家族で犬吠埼へドライブに出かけた。
穏やかな海を見てリフレッシュしていた頃、地球の裏側では天災に苦しむ人がいる。
だから、元気で無事過ごせていることがどれほどありがたいかをよく知らなければならない。


蝋梅 1/4/2014 


枝垂桜 1/4/2014


満開を過ぎた辛夷 1/4/2014

花たちもうかうかしてはいられない。
ここ連日の晴天と暖かさで一気に満開へと突き進んでいた桜に蝋梅も、未明からの降り続く雨が次第に強さを増してきて、花びらに試練を与えている。
予報では、夜半過ぎからさらに雨の勢いが増してくるらしいので、このまま散ってしまわないかと心配だ。

こうあって欲しいとは思っても、こうあるべきだとかこうあるはずだということは、自然はもちろんのこと自然の一部である人間にも当てはめることはできないと考えさせられる。
やわらかな理想を持ち追い続けながら、儘ならないことを知り受け止められる謙虚な心でありたい。







35年ぶりの犬吠埼

2014-04-02 23:45:37 | 旅行
桜が咲き誇る春の日、犬吠埼へドライブ。
35年前に行ったときとは、さすがに道路も道沿いの風景も変わっている。
臨海工業地帯の向こうには、風力発電の大きな羽がゆっくりと回る。
ドラッグストアやスーパーマーケット、コンビニエンスストアにフランチャイズのファストフード、地域によってその系統に差はあれど、今の日本のどこでも似たような街の構成だろう。
そしてところどころにかつて営業していたそのような店の名残りが打ち捨てられ、全国展開の店の波に飲み込まれた飲食店の遺跡が転がっていた。
最近この辺りの風景に加わったニューフェイスの太陽光発電をするソーラーパネル、黒く平らな顔を斜め20度くらいで空を見上げる。
利根川に架かる橋を渡り、銚子の街に入っていく。
ヤマサ醤油の大きな工場を眺め、道の並びに点在する煎餅屋の使う醤油はもちろん「ヤマサ醤油」だろうと話しながら犬吠埼へと車は向かう。
古くから栄えていたと思われる狭く曲がりくねりアップダウンの細かくある道を抜け、海岸沿いの通りに出ると、犬吠埼の白い灯台が見えてきた。
最後の坂を上って駐車場に車を止め、見晴台から海を一望し歓喜の声を上げる。
白い波が、古生代から中生代の地層が露出し斜めに地層が見える岩に打ちつける。
家族で記念写真を撮ってから、いよいよ灯台に登る。
99段の螺旋階段を上っていくけれど、子供たちは軽々とあっという間に上がってしまい、自分はまたしっかりと老いを感じる灯台見物。
灯台の展望台に出ると、地上では寒になかった強い風が頬を打ち、海抜から50メートルほど上がっただけでの変わりようにに驚く。
銚子沖は、暗礁が多い難所で、黒潮と親潮の出会う場は豊富な漁場をもたららすだけでなく濃霧も発生しやすい。
濃い霧に光が邪魔されても船の航行の安全を守るために、霧笛の施設が備わっていたけれど、開始後丁度100年の節目を迎える2008年にその役を終えたということだ。
灯台から眺める太平洋は、どこまでも広く、かつ今日は穏やかであった。
小さい人は海辺で磯遊びを楽しみ、私も同行したが、ゴロゴロと転がっている大きな石に砂岩が多く混じっているのを見て、これで何かを作ったら面白そうだと想像していた。
あとで家人も石の種類が砂岩であり大洗と違うことに驚いたといっていたのを聞いて、同じところに目がいくと笑いあった。
また、大学生の頃に来たときに気がつかなかったのは知識が自分のものになっていなく、そうなるには時間と余裕が要るのだろうかと話していた。
時を置いて再び訪れるということは、先日の茶臼岳の話にも出たがやはりいいものだ。
多くの場所を旅するのとは違い、過ぎ行く時間が場所と自分に深い考察の機会を与えてくれる。
35年、それにしてはちょっと間が開きすぎなような気もするけれど・・・

桜便りは突然に

2014-03-31 17:11:17 | 旅行

桜開花宣言2014年 31/3/2014


ミモザも忘れずに 31/3/2014


茶臼岳 31/3/2014

恒例の那須旅行、2泊3日に行ってきた。
初日と2日目とすばらしく晴れて暖かい陽気に恵まれ、黒羽の河原で遊びながら那須への道中を楽しみ、次の日は雪の融け切らぬ山道を軽くトレッキングした。
殺生石から「恋人の聖地」という展望台まで冬枯れのコナラなどが密生した傾斜地を登る。
ところどころ残雪が足元を悪くしているけれど、大人と変わらない背丈の小さい人はものともせずどんどん進んでいき、かえって体力が落ちてきた私が息を切らしていた。
今はまだ行き交う人もまばらな山道も、一ヶ月もしないで新緑を楽しむ人たちで賑わうことだろう。
バス停の何もなっている「恋人の聖地」展望台には、白く雪を残す茶臼岳や朝日岳、眼下に広がるパノラマに心を洗う人たちがいる。
4年前にこの場所で写真を撮ったのと同じ時期にちなんで、皆で記念撮影をする。
数年後、成長した子供たち、歳を重ねた自分たちを振り返るにはいいものだ。
それから、汗を流し筋肉の疲労を取るために、日帰り入浴で「大丸温泉」へ行く。
オフシーズン最後の週末とあって多くの利用者があったように思えたが、それでもゆったりと湯に浸かれ癒されたのであった。

帰りの日は、朝から雨が降っていた。
窓の外を流れる雨に濡れた景色を見ていると、どうやら季節が一気に進んでいるようだった。
家に帰り着いたのは日もすっかり暮れたあとで、庭の様子に気がつかなかった。
朝、カーテンを開けてみると、桜の気がほんのりとピンクに霞み、花がちらほら咲き出している。
東側の窓から見える桜はさらに花を開かせていて、すでに2分咲きだ。
旅行に出かける前はまだ小さなつぼみだったのに、たっぷりの陽射しと暖かな陽気が開花を促進させたのだろう。
一日といわず、季節は瞬く間に進んでしまう。
ぼんやりしていては見逃してしまう、これからの一ヶ月半は目と耳と心をしっかりと開けておかなくては。