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5月1日 「長崎の鐘」永井隆博士没後70年 -ロシアによる核兵器使用なきことを願う-

2022-04-30 17:10:25 | 持続可能な社会づくり

 長崎の原爆で重傷を負いながら救護活動に身を捧げ,「長崎の鐘」などの著書で原爆被害と戦争の愚かさを訴えた医師,永井隆博士(1908~51 享年43才)が亡くなって明日-5月1日-で70年を迎える。   
 -私は小学生の頃,映画「長崎の鐘」をみた記憶がうっすらとある。-

 

長崎の鐘-永井隆博士の”愛と平和・命の尊厳を訴えロシアの政治指導者のもとに伝わらんことを願う!!

 報道によると,ロシアのプーチン大統領は27日,ウクライナでの軍事作戦に関し,第三国が脅威を与えようとした場合は「電撃的な対抗措置を取る」と警告した。「ロシアは他国にない兵器を保有している。必要なら使う」として,核兵器使用も辞さない構えである。
 いま,「長崎の鐘-永井隆博士の”愛と平和・命の尊厳の訴え」-が,ロシアの政治指導者のもとに伝わらんことを切に願う。

 

長崎の鐘 作曲・指揮 : 古関裕而 唄 : 藤山一郎

 NHKの連続テレビ小説「エール」のモデルとなった作曲家,古関裕而さん。その代表曲の一つが「長崎の鐘」。サトウハチロー作詞,古関裕而作曲で藤山一郎が歌った。歌のモチーフになった鐘が長崎市の浦上天主堂の「アンゼラスの鐘」である。アンゼラスの鐘は浦上天主堂の正面右の塔の上部にある。朝昼夕に打ち鳴らされている。

 

▼絶景!「アンジェラスの鐘」の音が響く

 

  • 「長崎の鐘」の永井隆博士没後70年

  放射線医学の研究による白血病を患い、さらに長崎原爆で重傷を負いながらも自分の命を顧みず負傷者救護や長崎復興のため、最後まで医師としての使命を貫いた。また、病床に伏しながら、二人の子どもたちを愛しみ、命つきるまで執筆活動を続けた。科学者であると同時に文芸家でもあった博士は「この子を残して」、「長崎の鐘」などの著作を通し、「如己愛人」・「平和を」の精神を日本のみならず、世界に向かって訴え続けた。

  永井博士は松江市で生まれ,両親と飯石(いいし)村(現在の雲南市三刀屋町)に移住。長崎医科大を卒業して医師になり,37歳で被爆。白血病のため43歳で亡くなるまで「長崎の鐘」など多くの著作を残し,平和を訴える活動を続けた。

 1945年8月9日放射線専門の医師であった永井隆博士は,爆心地から700mの距離にある長崎医大の診療室で被爆。自ら重傷を負いながらも,被災者の救護活動に奔走する。その後,白血病で倒れ,この世を去るまでの6年間,多数の著書を通して愛と平和・命の尊厳を訴え続けた。

 

photo:永井隆博士 出所:ウィキペディア

>>>雲南市永井隆記念館がリニューアルオープン 平和訴えた功績展示

 永井隆博士(1908~51)のふるさと,島根県雲南市の永井隆記念館がリニューアルオープンした。老朽化して建て替えられ,映像や音声資料なども新たに追加。永井博士の生涯と功績を,より詳しく知ることが出来るようになった。

 新しい記念館は平屋建て約580平方メートル。総事業費は5億400万円。敷地内には,永井博士の理念や平和への願いを伝えるモニュメント「平和の鐘」(高さ6メートル)が,市民の寄付などで作られた。長崎の原爆で破壊された旧浦上天主堂の礼拝堂内部のシルエットや,平和の意思表示である「ピースサイン」をイメージした形という。

 展示室では多くの写真とともに永井博士の生涯や功績を詳しく解説。原爆で亡くなった永井博士の妻・緑の物で,焼け跡から見つかったロザリオの複製品のほか,映像での解説・音声資料も新たに加わった。絵にも親しんだ永井博士が,病床から子どもたちに描いた絵はがきや色紙も並ぶ。

 開館は午前9時~午後5時,月曜休館。入館料300円(19歳未満無料)。

 

雲南市永井隆記念館
〒690-2404 島根県雲南市三刀屋町三刀屋199-3
電話・FAX (0854)45-2239     E‐mail  un-nagai@bs.kkm.ne.jp

開館時間 午前9時から午後5時
休館日 月曜日、国民の祝日の翌日、12月29日から翌年1月4日
入館料 一般300円 (19歳未満無料)/団体(20人以上) 240円

◆◇◆◇◆◇  「この子を残して」  ◆◇◆◇◆◇

 長崎で原爆にあい,放射線を浴びて不治の原子病患者として床にふす父親と,二人の幼い孤児予定者。この三人が生きてゆく正しい道はどこにあるのか。父親が考えたこと,子供たちがしたこと,子供たちに話したいことを,あとで読んでもらうために書きに書いた父親の遺言書ともいえる感動の書。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 うとうとしていたら,いつの間に遊びから帰ってきたのか,カヤノが冷たいほほを私のほほにくっつけ,しばらくしてから,
 「ああ,……お父さんのにおい……」
と言った。
 この子を残して - この世をやがて私は去らねばならぬのか!
 母のにおいを忘れたゆえ,せめて父のにおいなりとも,と恋しがり,私の眠りを見定めてこっそり近寄るおきな心のいじらしさ。戦の火に母を奪われ,父の命はようやく取り止めたものの,それさえ間もなく失わねばならぬ運命をこの子は知っているのであろうか?

         『この子を残して』 5ページ 永井隆著

 

長崎の鐘 藤山一郎 昭和の歌
   https://youtu.be/z-000VudpMg

 

 

 

 

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