向田邦子はさん1929(昭和4)年、東京都世田谷区に生まれました。9歳のとき、保険会社につとめる父の転勤で一家で鹿児島に移り住み,2年余りを過ごしました。
実践女子専門学校(現・実践女子大)を卒業後、広告会社の社長秘書から映画雑誌の編集者を経てシナリオライターに。「時間ですよ」「だいこんの花」「寺内貫太郎一家」などの連続ヒットを飛ばす人気シナリオライターとなりました。 1975(昭和50)年、雑誌「銀座百点」にエッセイを連載。これをまとめた『父の詫び状』が、鮮やかな名文として話題を呼びました。
1980(昭和50)年,「小説新潮」に連作短編小説「思い出トランプ」を連載。この中の「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」の3編により直木賞を受賞。 向田邦子さん(1929年11月28日~ 1981年8月22日)は,取材旅行中の台湾で飛行機事故で51歳で急逝。東京に生まれの彼女は,保険会社につとめる父の転勤で家族とともにで鹿児島に移り住み,9歳から11歳の多感な少女期を鹿児島で過ごしました。 後に乳がんを患った彼女は,少女期の鹿児島での生活を想いおこし,『長く生きられないと判ったら鹿児島へ帰りたい。(略) 少女期の入口にさしかかった時期をすごしたせいか,どの土地より印象が強く,故郷の山や河を持たない東京生れの私にとって,鹿児島はなつかしい「故郷もどき」なのであろう。』と短編エッセイに記しています。それはど,思い出深いを鹿児島での少女期でありました。
終生,鹿児島を『故郷もどき』と呼んで愛し,作品にもしばしば登場しました。その向田さんの約9300点にも及ぶ遺品の大半は,母・せいさんの意思で鹿児島市のかごしま近代文学館に寄贈され,に所蔵されています。
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かごしま近代文学館(鹿児島市)で,向田邦子さんが草稿段階の作品を自ら朗読した録音が初めて見つかりました。推敲(すいこう)時に耳で聞いた感じを確かめたものとみられ,創作法を知る上で貴重な資料です。 向田さんはテレビドラマ「時間ですよ」などの脚本を手がけ,55年に直木賞を受賞。56年,台湾旅行中に航空機事故で51歳で死去しました。エッセーの中で,9歳から約2年間過ごした鹿児島を「故郷もどき」と表現するなど愛着を示していたことから,遺品約8500点が同館に寄贈され,その整理中にテープが発見されたものです。
⇒ ・鹿児島市城山町5番1号 TEL 099-226-7771 FAX 099-227-2653 ・アクセス:市電(朝日通)・バス(金生町)下車徒歩7分, カゴシマシティビュー(西郷銅像前)下車徒歩3分 ・開館時間 9:30~18:00(入館は17:30まで) 休館日 火曜日(祝日の場合は翌日) 一般 300円
向田邦子ふたたび (文春文庫) (文庫) / 文藝春秋/編 |