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ロシアに届け「長崎の鐘」 -永井隆博士 5月1日 没後70年-

2022-04-28 00:00:29 | 男ぷり

長崎の鐘-永井隆博士の”愛と平和・命の尊厳を訴え」が,ロシアの政治指導者のもとに伝わらんことを願う!!

 いま,ロシアのウクライナ侵攻により,民間人犠牲者の数は日に日に増えており,核兵器使用も懸念されている。こうした時世にあって「長崎の鐘-永井隆博士の”愛と平和・命の尊厳を訴え」-が,ロシアの政治指導者のもとに伝わらんことを切に願う。

『長崎の鐘』:由紀さおり・安田祥子

 

 

  • 「長崎の鐘」の永井隆博士没後70年

  長崎の原爆で重傷を負いながら救護活動に身を捧げ,「長崎の鐘」などの著書で原爆被害と戦争の愚かさを訴えた医師,永井隆博士(享年43才)が亡くなって5月1日で70年を迎える。

  永井博士は松江市で生まれ,両親と飯石(いいし)村(現在の雲南市三刀屋町)に移住。長崎医科大を卒業して医師になり,37歳で被爆。白血病のため43歳で亡くなるまで「長崎の鐘」など多くの著作を残し,平和を訴える活動を続けた。

 1945年8月9日放射線専門の医師であった永井隆博士は,爆心地から700mの距離にある長崎医大の診療室で被爆。自ら重傷を負いながらも,被災者の救護活動に奔走する。その後,白血病で倒れ,この世を去るまでの6年間,多数の著書を通して愛と平和・命の尊厳を訴え続けた。

 私は小学生の頃,映画「長崎の鐘」をみた記憶がうっすらとある。

photo:永井隆博士 出所:ウィキペディア

 いま,ロシアのウクライナ侵攻を巡り,民間人犠牲者の数は日に日に増えており,核兵器使用も懸念されている。こうした時世にあって「長崎の鐘」,そして永井隆博士の”愛と平和・命の尊厳を訴え”が,ロシアの政治指導者のもとに届くことを切に願う。

 

 

 

  「この子を残して」

 長崎で原爆にあい,放射線を浴びて不治の原子病患者として床にふす父親と,二人の幼い孤児予定者。この三人が生きてゆく正しい道はどこにあるのか。父親が考えたこと,子供たちがしたこと,子供たちに話したいことを,あとで読んでもらうために書きに書いた父親の遺言書ともいえる感動の書。
 

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 うとうとしていたら,いつの間に遊びから帰ってきたのか,カヤノが冷たいほほを私のほほにくっつけ,しばらくしてから,
 「ああ,……お父さんのにおい……」
と言った。
 この子を残して - この世をやがて私は去らねばならぬのか!
 母のにおいを忘れたゆえ,せめて父のにおいなりとも,と恋しがり,私の眠りを見定めてこっそり近寄るおきな心のいじらしさ。戦の火に母を奪われ,父の命はようやく取り止めたものの,それさえ間もなく失わねばならぬ運命をこの子は知っているのであろうか?

                     『この子を残して』 5ページ 永井隆著

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

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