りぞあかぶろぐ2
ココログで2006年から掲載してきたライフログ「りぞあかぶろぐ」の第2弾です。




 5期の記事が始まってしまったので、傾斜配分しながら執筆します。

 3つ目のスタンプポイントが七社神社。古くから西ヶ原の総鎮守であり、以前は古河庭園のあたりにあったとか。

 明治元年の神仏分離令により、現在地に遷座されたとのこと。

 左の写真の二ノ鳥居の扁額は、渋沢栄一翁の揮毫とのこと。渋沢栄一翁は、この神社の氏子筆頭だったとのことで、その寄付により大正9年に社務所が建築されたとのこと。

 ほかにも掛け軸なども保存されているほか、ここの神社のお守りなどは、渋沢栄一翁揮毫の書が使われているとのこと。

 渋沢翁の肖像が用いられる新札が待ち遠しいところでしょう。

 ちなみにこの神社の隣は、紙幣の印刷を行う国立印刷局東京工場です。

 二ノ鳥居を入ったところにある手水舎。

 この日は、天気もよく冬らしい日差しでした。

 本殿との間には、茅の輪が設置されていました。

 丁寧にくぐり方も説明されていたので、そのとおりくぐらせていただきました。

 茅の輪は、以前、奥武蔵の竹寺を訪れた際の記事で書きました。

 疫病除けという意味が本来あったそうですが、その基にあったのが、牛頭天王の蘇民将来伝説。牛頭天王は、日本の素戔嗚尊と同体とされているとか。

 この神社の御祭神には、素戔嗚尊はおられませんが。

 ここの御祭神は、七柱。

 伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)、伊斯許理度賣命(イシコリドメノミコト)、市寸島比賣命(イチキシマヒメノミコト)、仲哀天皇(チュウアイテンノウ)ー帯中日子命(タラシナカツヒコノミコト)ー、応神天皇(オウジンテンノウ)ー品陀別命(ホムダワケノミコト)ーとのこと。

  最近では、茅の輪は、お寺でも見かけたりした記憶もあります。ハート型だか猪の目だか知りませんが、そんな形の茅の輪も見た記憶があります。

 七社神社は、境内の中にある木々にもきちんと看板をつけています。

 見立てであってもそれが謂れとなり、なんだかありがたいものになるような気がします。

 腹籠の椎は、木の下部のコブを妊婦さんのお腹に見立てたのでしょうか。

 しめ縄が張ってあるということは御神木なのですね。

 そういえばWIKIPEDIAでは、ここの神徳は、子宝・安産・家庭円満とありましたが。

 この次の写真は、御衣黄という桜。

 なんでも緑色の花を咲かせるということです。

 開花時に見てみたいものですね。

 気が付かなかったのですが、本殿に向かってこの桜と左右に配置するような形で、福禄寿という桜が植えられているとのことです。

 御衣黄は、江戸時代に京都の仁和寺で栽培されたのが最初で、荒川堤でも栽培されていたとのこと。

 江戸時代末期にシーボルトが標本を持ち帰り、現存しているそうです。

 本来は高木のようですが、この木はそんなでもないですね。

 そしてその次の写真。境内の中央、高くそびえる願掛 公孫樹。

 この季節は、イチョウの紅葉が美しいですね。

 黄色い紅葉が冬の日差しに似合います。

 これだけの大きな古木となれば、神木としても納得ですね。

 イチョウの奥には、舞殿があります。

 昔、桧枝岐に行った際に見た桧枝岐歌舞伎の舞台を思い出しました。

 最近は膝の不安もあって、山にもスキーにも行っていないなあ。街中を歩いている分には問題はないのですがね。

 この神社は令和元年に遷座百五十年を迎えたそうです。

 記念に石見神楽が奉納されたとのこと。

 公式ページには、動画もありますので、ぜひご覧いただければと。

 面白いなと思ったのが、境内の片隅にあった孔子・孟子像。

 孔子も神格化されることもあるのでしょうが、「君子、怪力乱心を語らず」の儒教と共存する。まあ、日本の神道は、そういう柔軟なところがあるのが魅力なのかなとも思いますが。

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