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魔法が解けたそのあとで

結婚、出産、育児、介護、お仕事。来た球を打ち返す、毎日のつれづれをつづりました。

2歳児

2011-10-23 13:14:50 | 日々のこと

娘は2歳半になりました

今、「となりのトトロ」を観るのが好き。

わたしは「となりのトトロ」を自分の子供と一緒に観るのが夢だったのだけど、叶いました

引っ越してきてドングリが落ちてきて・・・というところが大好き

サツキとメイと一緒に「わ~~~~」と叫んでいます

DVDプレーヤーの操作も達者になって、好きな場面をリピートしてます

毎日新しいことばが増えてきて、鼻唄を歌ってる♪

今朝「バスのりたい」と言ってました。

2語が出るのは遅いほうだと思いますが、初めての2語は「パパ会社」でした。

まだたどたどしい娘、小さい娘。

「今が一番可愛いよ~」とよく言われますが、ほんとにそうかもな~って思います。

まだ抱っこしてもそんなに苦痛じゃないし(娘は軽い方かな。11キロないし)、ぺらぺらしゃべるまでいかないし。

わかってないんだろうな~と思っていますが、どうなんだろう?

娘はすごく活発で、気がつくとソファの背もたれの上に立っていたり、出窓からベッドにダイブしたり、キッチンのカウンターの上に立っていたりこっちははずみで蹴られたり、頭突きをされたり、眼鏡を飛ばされたり

先日もお風呂のふちに上って、ダイブしてきたので受けとめたときに親指を捻挫してしまった。

痛い・・・

湿布を貼ったけど、握れない。困った。

夜寝るとき娘に

「ママ怪我しちゃったよ。痛いからいろいろ出来ないよ。危ないって言ったらやめてね。わかった?」

と言ったら無言

「わかんない?」

と言ったら

「わかんない」

とはっきり言う。

ほんとはわかってんじゃないのか~~~~

子供はなんでも知っている・・・?

 

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婚約期間

2011-10-17 22:24:49 | 日々のこと

先日、夫の従兄弟が結婚するというので、お祝いをかねたお食事を一緒にすることになった

従兄弟は30歳、彼女は1歳下。

お話は聞いていたのだけど、初めて会った彼女はとても感じの良い人だった

待ち合わせにも先に来ていて(つくづく第一印象って大事だな、と思いました)、彼がさっと彼女を紹介したのが、とてもさわやかだった

娘がいたので、夫と入れ替わりで話をするような感じになったのだけど、とても礼儀正しく、気遣いが出来て、笑顔がステキな女性だった。

従兄弟は聴覚に障害があるのだが、唇を読んでコミュニケーションをするのだけど、話に理解が及ばなかった時など彼女が彼に伝えてくれて、それもとってもほほえましかった。

出会いや、お互いの第一印象を聞いたりしていたのだけど、彼女は

「会った時に『友達になりたいな』と思いました。この人から学ぶことがたくさんあるんじゃないか、と思いました」

と言っていた。

なるほど・・・

そして聞かれた。

「旦那様に初めて会ったときは、どんな第一印象だったんですか?」

・・・

「・・・わたしの一目惚れだったんですよ。(ええ、そうでした

 この人に会った時に世界がカラーになった、って思いました。(ええ、ある意味極彩色になりました)

 もうすっかり忘れてました聞いていただいてよかったです。思い出しました・・・」

(「この人と結婚できるなら、この地方で頑張ろう」と思ったなんて、とても言えなかった・・・)

 

「初心忘るべからず」とは、初心は忘れるからそう言うんだなあ、とつくづく思いました

そう、わたしも婚約中、夫の実家に初めて挨拶に行って、サービスエリアで星を見上げ、後ろから彼に抱きしめられていた時、

「わたしは世界で一番幸せだ」

と目が眩む思いをしたものだった。

ほんと、目が眩んでいたのだけど

ああ、あの時よく見ておけば・・・義理両親のことも、彼のことも。後悔先に立たず、これも後悔は先に立たないから(以下略)

 

婚約中、既婚者(×1含む)におしなべて言われたものだ。

「今が一番いい時よ」

その時は「なんでみんな、そんな悲しいことを言うんだろう・・・わたしはずっとラブラブで幸せに暮らすんだもん、プン」なんて思っていた自分が、いかに甘かったことか・・・。

 

あれだけ好きだった人をね・・・今はね・・・

そんなに好きだった人と結婚できてもね・・・

ひとの気持ちは変わるのよ・・・。

いや、たしかに、あの時、初めて会ったときの気持ちのままでいられたはずなのだ。あんなにいろいろなことがなかったら。

まだわたしが27だったときに、彼がわたしの気持ちに応えてくれて、結婚までいったのならば。

わたしはそのままそこで頑張っていただろう。

でも、彼にわたしは今までにされたことのない扱いをされた。自分に価値がないと思うようになるようなことをされた。

それも一度ではなく。

それからわたしも変わった。自信を取り戻すために自分を変えていったし、仕事も変えた。

だから。

今のわたしがある。彼への気持ちもひっくるめた、今のわたしがいる。

そして変わったわたしだから、彼は結婚したいと思ったのだ。

だけど、変わってしまったわたしは、初めて会った時の気持ちは、もうなくなっていた。

「あなたを、何においても欲しかったリツコは死にました」

夫に言ったことがある。

出会った時のまま、彼を好きなままのリツコで、なんでいさせてくれなかったんだろう。

切ない。

彼と彼の親、それがわたしを大きく変えた。

そのうえで、彼をまた大切に想える日が来るのだろうか?

それは本当に分からない。

とはいえ、若い2人にはキラキラした未来しか見えていないだろうそれでいいし、それがいいのだ。

幸せな人を見ると、こちらも幸せになる。何かを思い出す。

「まあ、ほんとうにいろいろあるから」としか言えない、結婚4年目の妻でした。

 

印象的だったのが、夫が彼女が

「彼の家に行って食事したりしますけど、食べている気がしないです、緊張して

と言っていたよ、と話してきました。

「まあそういうもんなんだろうなあ」

としみじみ言っていたので、激しく同意しておきました。

 

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一日。

2011-09-07 17:41:19 | 日々のこと

今日は午前中、ボランティアに行く日。

海外から移住してきた人たちが、日本語を学ぶ間、子供を預かるという託児ボランティア。

毎週行けないときもあるけど、できるだけ行くようにしている。娘も一緒でいいと言われて始めた。

車でGO

夫から「運転禁止」(ぶつけると嫌だから)だったが、交渉してなかば強引に乗っている。

だってこの地方都市、車乗らないとどこもいけない。行動範囲が狭くなれば、娘に与えられるものの範囲も狭くなる。

今は夫も、イヤイヤな態度が見えるけど、まあ認めている。

娘は今、助手席にジュニア・シートを取り付けているのでそこに私とふたりだと乗りたがる。

15分くらいだったら大丈夫になった。以前、後ろのチャイルドシートに乗せると大泣きでこっちがまいる

本当に楽になってきたと思う。

遅刻してしまったが、いつも預かっているジュリアちゃんは大人しくママの隣でお絵かきをしていた。

でも、ママから離れるとなると大泣き

勉強、ママできないから一緒に行こう、と階段へ。階段が好きなジュリアちゃん。

娘は率先して階段を昇っていく。ジュリアちゃんを抱っこしていると、たまに手を伸ばしてくるが、我慢できる。

大きくなったものだ。

ジュリアちゃんを「いいこ」と頭を撫でてあげたりしている。

2時間が終わり、帰宅。娘は「おんぶ」とせがむ。

よしよし、頑張ったね、帰ってご飯食べようね

ご飯の支度をして、食べ始めるも、娘、食べない。口に持っていってやっと食べる。

途中で手を合わせて「・・・さま」と言って椅子を降りてしまう。は~食べないんだな、これが。

それでも口まで持っていって食べさせる、逃げる娘。

自分のご飯を食べながら。しかしお腹がすいているときにこれをやられるのは参る

食事が終わったら、さっと片づけして夕飯の支度も少しずつやっとく。

昨日、初めて一時保育に午後だけ預けたのだが、1時間半お昼寝をしたりして、楽しく過ごしてきたようだ。

今日はお昼寝しないかな?と思ったけど、顔が眠そう。でもしない。

本を読んだり、おもちゃで遊んだりしている。ママも眠くなってベッドで横になりながら絵本など読む。

昨日は一時保育をしている間、ダッシュでベッドを移して模様替えをした。

他に本棚を移したり、地震がきても怪我をしないように、高い家具は寝室やリビングから洋室に移した。

突っ張り棒も見た目は悪いけどしないとな。

神戸の時は、食器がほぼ全滅だった。本棚から全部本が出たし、ものが多い家だったので玄関に出るまでにも大変だった。

今、いろいろなものを捨てて、いらないものは寄付したりしてものを減らした。

あとはわたしのクローゼットと和室の押入れ。

「ボランティア・プラットフォーム」というサイトで、被災者の支援物資を募っていて、程度の良いものはそこで譲って送っている。

今日も宅急便の集荷を頼んだ。

被災し、仕事も家も失った方だった。

夫は使わなくてもずっと持っている人なので、程度の良いものがたくさんある。

彼も、断捨離の本を読んでから、不要なものを分けられるようになった。

物が少ないから、ちゃんと把握できる。だから「あれがない」「これがない」ということがずっと減った。

忘れ物も減ったようだ。

大事な物も、そうでないものもごっちゃにしてディスプレイして埃が積もっていた彼の部屋も、すっきりしたので「携帯忘れた」とか「あれないんだけど、部屋にあるかな?見てくれる?」なんて電話もない。

早くこうすればよかった。そう思う。

あと、わたしの服でよいものをクリーニングして送りたいと思う。

良い食器でも趣味ではないものとか、なんとなく出番がないままだったものとか、そういうものも使ってもらえたらいいと思う。

たくさん、そういうものってある。そういうものをくっつけて暮らしていた。

もっとシンプルに、シンプルに生きたい。

 

宅急便の集荷が来て、買い物に出かけた。

市役所の支所に寄り、インクカートリッジと蛍光灯の回収をお願いしてくる。最近知ったので電気屋さんに行く手間が省けてありがたい。

児童センターに来月の使用の許可も貰いに行く。

以前、雪で行くところがなく困って、試しに児童センターに空いている曜日を聞いてみたら、運良くあったので毎月使用申し込みをして、知り合いで集まっている。そこでヨガも隔週でしている。

これから寒くなるので、本当にありがたい。

それからいつものスーパーへ。

娘はすぐ試食したがる。お刺身なんかも食べてしまう。

今日は魚と中華の旨煮にしよう。出始めた白菜たくさん使って、海老も入れよう。きのこも安くなってきた。

娘がまとめ売りのジュースを欲しがる。ううむ、これを買うとお金が足りなくなってしまうのですよ

こっそり気をそらして売場に戻す母。

いつも娘に声をかけてくれる店員さんが、今日も手を振ってくれる

母親とすると、こういう方がいてくれるだけで嬉しく、励まされるものだ。

娘はベビーカーに大人しく乗っていなくなってきたので、ベルトを縄抜けしたりする

お菓子を持たせて家路に着く。途中の公園に続く道を指すが、電車に気を取られてスルーに成功、ほっ

自宅のドアの前でまた縄抜け。その拍子にベビーカーが買い物袋の重みで後ろに倒れる。ガーン

卵入ってなくてよかった・・・。でも娘に怒ってしまう。いけないなあ・・・。

たまに嫌になるときがある。

本当に、あ~あ、と思う。

汚れた手でカーテンにいないいないばあ、されたり。昨日洗ったばかりだっつーの

夫は「ほんと、仕事ふやすよね」って言う。でも、その繰り返しで大きくなってくわけで。

多分君も同じ事を、40年前やってたわけで。

その繰り返し、順送りなのが人間の歴史なわけで、多分、ずっと。

娘は入らずに廊下をずーっと向こうまで走っていく。

「アイス」で釣って、うちに入ったら「いないいないばあ」がやっていたので、見入る。作戦成功

さて、夕飯の支度。

旨煮を作るために肉、たまねぎ、にんじん、ピーマン、えのき、しいたけ・・・あれあれ結構あるぞ、白菜、海老。

切るのに手間だったなあ、これを作ると冬の予感だよなあ。

わかめと卵のスープ、魚はあとで焼いて、ご飯はんぱに余ってるなあ、パパにキムチチャーハンにして出しちゃおう、好きだから。

ご飯、もう少し炊いとかなきゃ。あ、つや姫注文しなくちゃ。品切れかなあ?

ちゃっちゃっと作りながら娘を見たら、寝てる・・・

あ~嫌なパターンだわ~。せっかくお風呂早く焚いたのに。失敗。

でもいいや、この時間にゆっくりご飯食べちゃおう。

いただきます、あれ?わたし言ってるかな、いつも。

作ってるのが自分だから、言ってなかったかも。でもいろんな意味で「頂きます」なんだよね。

いつもキッチンで立ちながら食べたりしてるし。作りながら食べてたり

テレビも音楽も付けないで、よく噛んで食べましょう。

こんな時間、久しぶり。

白菜、美味しい。海老は最後に入れたから、柔らかいし大きい、ぷりぷりだ。

わかめも取らないとね。ミネラル不足は怒りっぽくなるらしい。

そう、今炭水化物抜きダイエットをしていて、今6日目。3キロ減った。

慣れると平気だ。これはやっぱり効果ある。実は果物毎日食べてしまっているのだけど、それでも減ってる。

しかも昨日はみんなでランチにサンドイッチだったし

ちょっとゆるめにやってたりして。やっぱり独身のときの調子にはいかない。

先日、池袋に行ったときに思った。

わたしは軽々と、西武と東武をはしごして買い物をしていた。好きな服をさがし、試着し、買い、靴を履き(西武も東武も靴売り場が大好きだった)、足は2本しかないのに3足買ったり(先日夫に『その分貯金しといてくれたらよかったのに』と言われた・・・)雑誌で見た化粧品を試し、買い、地下で美味しいパンや惣菜を買い、姉達と食べるケーキを買い、帰宅した。時には西村しのぶさんのサイン会に並んだりしていた。

すいすいと、自由自在に動いていた。

でも、今はそうは行かない。エレベーターを捜し、移動しなければならない。遅々として進まない。

ああ、わたしはもう以前とは違うんだ、とつくづく思った。

娘が産まれて2年とちょっと、入院したとき以外、ほとんど離れることなく側に居た。

たまに1人になりたくなる時もある。

でも、夜も大分寝てくれるようになった。

写真の整理も出来るだろう。わたしは、生まれてからずっとの自分の写真を整理して、アルバムにまとめて不要な分は捨てようと思う。

夜、これからやる作業。

ああ、この旨煮はお母さんがよく作ってくれた。片栗粉でとろみをつけるのだけど、たまにダマになっていたりしたな

お母さんはこの夏、姉とスーパーに行ったときに春巻きを見て「これリツコ好きなんだよね」と言っていたそうだが、もっと違うものを見て思い出して欲しいなあ~なんて思ったりして。

でもわたしは春巻き好きだった。お母さんの揚げたての、大き目の春巻き。美味しかったなあ。

とろみが好きなのか。わたしは。

鮭にポン酢、いやスィートチリソースかけちゃおう。

昼間、ボランティアの先生がよく行っていたアジアン料理の店の話をしていたから。

ずっと行ってないなあ。出産前にあそこのナシゴレン、どうしても食べたい!って言ったのに夫が会社の近くだからいやだ、と言って、結局血圧が高くなって、蛋白も出て、外食なんて出来なくなっちゃったんだ。

あそこのキウイのカクテル、美味しかったなあ。

今はチリソースで。

美味しかった。

こんな食事、久しぶり。

自分で作って、ただ早回しで食べて。

食べてるようで味わってなくて。

こんな時間がたまに持てたら。

娘の遅い昼寝に感謝。

「ごちそうさまでした」

自然に出た。

さて、片付け。

その前に、ブログに書いておこう。今の気持ちを。

わたし、自分で出来ることをやってる

娘、健やかに育ってる。

さて、そろそろ起こしてこよう。愛する娘を。

起きなかったらお風呂も入っちゃおうかな

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Let it be

2011-07-10 14:56:34 | 日々のこと

久々にビートルズを聴いた。

日曜の午後。

娘の耳に英語を聞かせるのもいいかな、と思ったし、何より自分も聞きたかった。

東北の両親から送られてきた讃岐うどん(わたしの好物)を茹でて、CMに影響されて味の素を振った卵にうどんと万能ねぎ、創味のつゆを少したらしていただきます。

節電のため、日中はエアコンをつけない。午前中にエアコン、換気扇、空気清浄機のフィルターを洗いまくる。

風が通って気持ちよい。

娘は2歳になって、フォークを使ってうどんを食べている。野菜スープのなすやキャベツを口に入れてやる。

ポールの声が響く。「ありのままで、そのままで」

ふと思う。何が足りないものがあるというのだろうか。

過不足のないこの日曜の、娘とふたりの午後。二度とない、人生のこの時間。

月並みだがビートルズのベスト盤のラスト、「The long and winding road」。

人生は続く。来年は四十路に入る。ひとは死に向かって生きている。

そんなことをふと考えた午後。

 

さて、続きです。

結局、代表の方から連絡はなく、もう一週間をきったのでこちらから電話した。

「今、おこたえしなくちゃいけませんか」

というのが答えだった。

しかし来てもらえないのだったらもう一週間切っているので、こちらも手をうたないと困る。

そしたらこういう答えだった。

要約すると、私が書いた手紙を、今まで派遣したシッターさん7名のうち、半分(これも3名なのか4名なのかはっきり言わない)に読ませた。

そしたら全員「伺いづらい」ということだった。だから派遣できない。来週は派遣するが、これで最後にしてほしい。

そしてわたしが聞いた「託児がいらないと判断したのはなぜか」などという答えには一切答えない。

ただ「あの手紙がすべてです」「リツコさんのお幸せを心からお祈りしております」(←ちょっと気持ち悪い)と繰り返すばかり。

とにかくはっきり言わないのだ。

例えばわたしが「何人の方に見せたのですか?3人ですか、4人ですか?」

「・・・」

「3名ですか?」

「そのくらいですね」

みたいな感じ。

「来てもらったシッターさんたちは資格を持っているのか、保険はどうなっていたのか」

と聞いても「お答えする義務はありません」とのこと。(でも最初に聞いているのだ。4回の講習を受けさせて派遣しているので、保育士の資格を持っている人と持ってない人がいる)

まあ話していても仕方ないな、と思ったのだが最後にわたしはこう言った。

「だからなぜ見てもいないのに『託児が必要ない』と判断したのか分からないのです。」

「それは最初に伺ったときに、レッスンしていないほかのお母さん達が見てくれていたからそう思ったのです」

と言う。しかし、他のお母さんがずっと責任持ってみていてくれるわけではない。だからこそ託児を頼んでいるのだ。

それをわかっていながら、この人は言っている。ふと、この人はお金もらってないのかな、と感じた。

わたしが「託児してもらいたいんです、お願いします、そちらの仰るとおりにしますから来てください」と言うと思っていたんじゃないかな?それなのにクレームまで言ってきて、頭にきたんじゃないか?

「お会いして、筋が通った方と思ったし、知人もあなたのことをそう言っていた。そのギャップが納得いきません。」

「・・・」

「しかしもうここまで来てしまったらお聞きしてもせんないことですね。」

それで今までのお礼を言って電話を切った。

それから思ったのだが、普通、代表個人に宛てた手紙を、クレームを付けられた本人を含めて見せるなんておかしくないか?

こちらは個人情報や子供の顔を知られている。改めてこわくなった。

この人は素人だ。そう思った。

その後、もう一度シッターさんの人数を改めて伝えるため電話した。そしたらいつも聞かれなかった子供の年齢を聞かれた。普通ちゃんと聞くよね~。急にちゃんとしてきた感じ。

しかし、レッスンの日に遅れてきたシッターさんが1名。その方は以前来てくれたことがある方で、その時11時からだったので、そう思っていたらしいが、遅刻は遅刻。

ちゃんとしろよな~やっぱり素人だ。

その方に、一応今までお世話になった感謝の手紙と、菓子折りを代表に渡してくれるように言付けた。

しかし夕方、遅刻シッターさんから電話がかかってきて「代表は『今までこういうものは受け取っていないから、返してくれ。手紙ももう電話で話したからいい』と受け取らないから、住所を教えてください。返しに行きます」と言う。

わたしも返されても困るし、受け取ってください、と遅刻シッターさんに言い、ちょっと聞いてみた。

彼女の話。

「代表はシッターから月々経費として200円もらうだけである。自分がシッターとして行ったときは報酬はもらうが、NPOである。

シッターは1時間800円と200円の交通費はそのまま貰っている。だから代表はほとんどボランティアである。

手紙はクレームの部分だけファクスで送られてきた。」

やっぱりな~。

「今までのシッターさんには感謝している」という部分や、電話でいきなり『託児必要ないでしょ』と言われたという部分とかは見せてないわけだ。

そう話したら「それは知らないわ~」と遅刻シッターさん。

会社だと思って話していたし、管理者だと思ってこっちは話していたから。

ただの仲介だけだったわけだ。だからシッターさんを教育する義務も責任もないし、サービスという概念はない。

「保育サポーター保険」というものに入っているらしいが、なんかよく分かっていないみたいだった。

あらためて、何かあったときこの代表だったら、責任はどこにいくのだろうか、と思った。

シッターさんは「直接お金をいただくママの意向に添った託児をする」気持ちがあるが、この代表はそんなサービスを提供する義理はないわけだ。だって自分の利益にはならないから。

「自分はほぼボランティアでやってやってる。だから自分に逆らうような人には提供してやらない。」

そんな気持ちがあるのじゃないかな、と思った。

まあ気持ちはわからないでもないな~。

多分、なんか虫の居所が悪いところにわたしが電話をしてむかついていたので意地悪を言った。

しかし謝るどころかクレームをつけてきた。手紙までよこしてきた。頭にきたので、もう助けてやらない。

そんなとこだろう。

わたしは、母親くらいの年齢の女性が苦手。

自分が母親と上手く関係を築けてないということもあるんだと思う。

礼を尽くしたつもりなので、これはもう縁がなかったということで、終わりにすることにした。

ヨガレッスンの仲間と相談して、代わりの保育士さんを捜し、今、徐々に確保出来ている。

保険の点とか、とても面倒くさいのだが、以前、保育サポーター養成講座を受講したことがあったので、市の保育支援課の方に相談したりしてなんとかなりそうだ。

これをきっかけにわたしも託児ボランティアをすることにした

また新しいステージに出て行くきっかけになった。

 

村上春樹の「沈黙」では、主人公がたまに妻の胸で慟哭することがある、と書かれている。

自分を同級生や教師から無視される存在、卑怯な存在と見られるように貶めた一人の同級生。そしてその策略のままに、彼を判断し、避けたたくさんの人たち。

顔がない、世間の人々。「みんな」と言われる人たち。

あの代表の女性は、成人した子供が2人いる、多分社会的には信用されていて、彼女に感謝している人もたくさんいるだろう(事実、わたしの知人は彼女を『第二の母』と言っていた。それなので、今回の経緯は『とても信じられない』そうだ)。

人にはいろいろな面がある。それは私にも。夫に対してなんてとても人には言えない。

わたしは顔がない「みんな」とならないよう、せめて自分の会ったその人、自分が感じたその感覚でその人を見たい。

 

 

 

 

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断捨離、引き続き。

2011-06-14 20:52:29 | 日々のこと

夫が会社でパワハラまがいのことをされているようだ。

お客様や同僚の面前で「バカタレ」と言われたり「もう仕事しないでいいから帰れ」などと言われているらしい。

さすがにお客様のいる前ではやめてください、とはっきり言ったら、近づかなくなったそうだ。

仕事も大変だよな~

きっと夫にはコミュニケーションに難があるので、気持ちもわからなくはないが、限度と言うものもあるから、

夫も相当ストレスをためているようだ。

彼にもぜひ断捨離をしてもらいたい。

 

娘が開けられなかった引き出しや扉をがんがん開けるようになり、夫に引き出しに入っているものを片付けて欲しいと頼んだ。

入っていたプリンターのインクも片付け、写真の印刷に必要なので出してくれるように言った。

そしたらどこにいったか分からないと言う。

他のものはまとめて紙袋に入っているのに、インクだけない。(彼の片付けは紙袋に入れることなのだ)

それでいろいろなところを捜して、私も一日いろいろ捜したけどない。

「記憶をたどったけどわからない」、そのうち「リツコが犯人だな」と言い出した

しかし、朝5時に思い出したそうだ。やっぱり夫がしまいこんでいた。

戸袋の上のほうに、彼が紙袋をまとめていれているスペースがあって、そこに小さな紙袋があったので

「あれは何がはいってるの?」と聞いたのだが、とりあわなかったその中だった。

・・・

いつものことだ。でも・・・なんで普通にできないんだろうなあ。

しかも、写真を印刷して義理実家に持って行くのでわざわざ私が遠くまで歩いて買いに行った次の日に見つけた

ほんとに、こういうことが多い。無駄足、時間の無駄だ。

いいんだけど、誰にでもあるから、いいんだけど、人のせいにするって、なんでそういう人間性なんだろうって

いつも思う。

アスペルガーの人は、怒られることを極度に恐れるので、怒られないように嘘をついたりすることがあるらしいけど。

夫が断捨離をしても、捨てたことを忘れて、またパニクりそう。

しかし、断捨離をゆるく実行していると、必要なものってあまりないんだなあ、って思う。

思い出の品や本や手紙を、たまに取り出して懐かしく思うような暇はないし、あってもあと10年以上先のことだろう。

神戸の震災にあったときも、避難所に大事なものを持っていくという時、思いつかなかったもんなあ。

命さえあれば。

 

 

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ようやく。

2011-06-14 20:32:37 | 日々のこと

娘がようやく2歳になり、夜も寝てくれることが多くなった。

やっと自分の時間を持つことも出来てきた

何しろ、わたしが横に寝てないと、起きる

断乳したあとも、あまり変わらず起きる。一度起きると、かなり長くぐずって泣く。

キレそうになりながらも、30分から1時間なだめて寝かしつけること多数。

怒っても、さらに泣くだけだから、ぐっと我慢する。溜まるストレス。

本当に、つらかった。

長時間睡眠が取れない日々が、妊娠中から約2年半ほど続いたことになる。

入院した時にやっと長く寝られた。(しかしおっぱいが張って寝られなかったけど

やっとやっと、だ。本当に嬉しい。

この頃はこっちの言っていることもなんとなく分かってきて、「ダメだよ、やめなさい」と制止すると、

やめることも多い。

そうするとぎゅっとして褒めてあげる。娘も喜ぶ。ああ、夢のよう

それでも大変なときはあるけど、嬉しい、可愛い、と思うことのほうが多い。

それにしても夫。

今日は早いシフトの日で帰ってきた。

娘が眠くてぐずったため、いつもより早くお風呂に入れていたら、掃除機かけて、おもちゃをきちーん、と片付けていた。

案の定、お風呂から上がった娘はまたおもちゃで遊び始めた。

「せっかく片付けたのに、散らかさないで」とか言ってる。馬鹿め・・・二歳児に言っても無駄じゃ

綺麗な部屋なんて、子どもがいたら無理だ

それでも、先日ちょっと書店で断捨離の本を立ち読みした。

そしたらやるといいことばかりみたいだ。気になってはいたので、実行しようと少しずつやっている。

ママになってから、着る物もがらっと変わった。

アンサンブルにスカート、みたいなコンサバだったが、ストッキングなんて履くよしもない。

洗えるもの!背中が出ない、着丈の長いもの!圧倒的にパンツ!

だからもう着ないものは処分しよう。

古くなったヒールの靴も、もうしばらく履けないから、修理可能なもの以外は処分した。

幸い、今月サークルのフリマがあるので、子供の服もかなりの数出すことにした。

ビデオテープや古い本、手紙やらどんどん捨てている。引き出しがどんどん空になる。

しかし古い布や紙は運気を滞らせると聞いたけど、分かるような気がする。

夫は空箱でも取っておきたい人。パンフとかもたくさん捨てずに取ってある。とにかく捨てない人だ。

夫の部屋は自分のものであふれている。ホコリだらけ。

この状態では子供は1人。

経済的にも、今の夫の年収より、わたしが働いていた時の方が多い。ボーナスはどんどんカットされているし、

子供が幼稚園に入るか、小学校に入ったら即仕事をしなくてはならない状態

娘はどんな診断が下るか分からないから、出来るだけのことをしてやれるようにしておかなくてはと思っている。

経済的には本当にミジメだ

最近は見るとつらくなるから、独身時代の写真は見ないようにしている。

独身、親と同居の義理の妹が、プリウスをキャッシュで買うらしい。違う世界の人なのね・・・

しかし自分で選んだ道だし、仕方ないからもうここであるなかでベストを尽くして生きていくしかない。

今はそう思っている。

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さてどうするか

2011-04-30 10:40:21 | 日々のこと

あの震災に比べれば・・・と思うと自分の状況などたいしたことがない・・・と思いながら毎日を過ごし、泣きながらも立ち上がってきた。

テレビで被災者の男性の

「もう悲しむ時期は過ぎた。これからは再建していかなければ」

という言葉が。人間は、生きていかねばならないな、どんなにつらくても、と思った。

実はわたしは神戸の震災の被災者です。

あの時、死ななくてもいい人たちが、自然の力によって亡くなった震災のときに、「絶対自分で自分の命を絶つことはやめよう」と決めた。

だから、どんなにつらくても自殺はしない。

毎日「どうしてこんな風になってしまったのだろう。自分はどんな悪いことをしたんだろう。」と考えていた。

ちゃんと見なくて結婚したのは自分。

時間をかけてちゃんと見極めなかったのは自分。

おかしいな、とひっかかった時に、見過ごしたのは自分。

恋に酔っていた自分。

そうでした。

昨日、よしもとばななさんの日記の新刊を読んで、大分冷静になれた。

そのなかに、ある人との関係を切ったことが出てきたのだが、

「関係を続けると一見だれもが平和に見えるけれど、それはほんとうにお互いを生かせるわけではない。だめになった結婚と同じで、すぱっといかないと、人生が終わってしまう」

という文章が。

「人間は、どんなところからでも、心を切り替えて、たったひとりではいあがるしかない」

ともあった。

かなり心が整理できた。

夫は命や子どもに関わる様な暴力をふるうわけではないし、ギャンブルや浮気をするわけではない。

でも、じわじわと、何かをわたしから奪っていく。

激高するとひどい言葉を投げつける。そして土下座して謝る。その繰り返した。そのなかに真心はあるのだろうか?

多分、わたしの前の世代だったら、我慢して夫と生活する道しかなかっただろう。

そして何十年後(何十年後!!!)、若い頃はいろいろあったけど、夫婦でそれなりに2人きりになるのかもしれない。夫の両親がそうだ。

でも、わたしにできるのか?

病気にまでなって、そこまで身を削って、わたしの人生はなんなのだ?

夫を理解し、支え、それがわたしの今の、そしてこれからの人生のすべてなのか?

それでも、いいかもしれない。

離婚はとても消耗するだろう。

気が遠くなる。

このまま、何かが死んでいくのを容認していくのも、楽といえば、楽なのだ。

でも、それでいいのか?

このままある意味死にながら生きるのか、そのなかでも健康を害すリスクを取りながらあがらって生活していくのか、同じ苦労でも、自分のためにする道を選ぶのか。

大きな違いは「希望があるか、ないか」なのだ。

 

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結婚三周年

2010-11-27 09:16:56 | 日々のこと
今年の秋は長いのかな
毎日良いお天気が続いています。
気がついたら、結婚記念日は三回目。丸三年たったのだ~
一年目で子どもが出来て、二年目は子どもが生まれて。
子どもも1歳半でいたずら盛り。すでに「イヤイヤ」ということばも覚えて…
今がこうなのに、2歳のイヤイヤ期にはもうどうなるのか、今から思いやられます

わたしがよく見ていた「運命の人をさがして」というブログも、ブログ主のリサさんは結婚されて、本も出されて、恋愛相談もされてるみたいですね~
まだお子さんはいらっしゃらないみたいだけど、結婚生活は充実しているようで…お仕事もされてて。
ご主人も優しく穏やかな方みたいでいいなあ~。

わたしの結婚生活は。
「ただそれだけ」精神で、あまり波風立たずにきた今日この頃ですが、ストレスがひとつ。
夫が、わたしが車を運転するのを禁止していること。
夫が一緒の時はいいんだけど、こどもとふたりだけで車に乗るのを禁止。
理由は「ぶつけるから」。

夏にエコカー補助金が後押しになり、ワンボックスカーにかえたのです。
これが実は彼の叔父さんが買ってくれたもの。
彼には、子どもがいない叔父さんがいて、彼を溺愛しているのです

実は実は、この叔父さんが、わたしたちの結婚の際に障害となったこともあり。
まあ要は、叔父さんがわたしを気に入らず、反対されて結婚式にも出てくれず、一時は絶縁状態になっていたのですが。

その叔父さんが、ポンと車を買ってくれた。
まあ、ありがたいのですが
いろいろ諸々の事情があり、わたしへのお詫びみたいな意味も含め…買ってもらったのです。
夫の両親は「お金があるし、買ってもらえば?」というノリで。

で。
「叔父さんに買ってもらった車」だから、ぶつけるわけにはいかず。

でも
彼は納車一ヵ月後にぶつけたのですよ
すぐさま修理してましたけど。駐車場で停まっている車に、バックで相手の後ろにぶつけてさ~。
しかもその時、言ったことが
「これでリツコもぶつけても気が楽だろ」
って。
どう思います?
どういう心境で、こういうことばが出てくるんでしょうね?
あいた口がふさがらない。ポカーン

何もない普通の時はいいんですけど…何か不測の事態が起きたときにその人というものが出るんですよね。
「尊敬できない」と思うことが多々あり…。
でもそれを見抜けなかったのは、自分であり…。
自分の配偶者を悪く言うってことは、選んだ自分の馬鹿さ加減を言うことじゃないかと、独身時代、妻の悪口をいう上司などを見て思っていたのですが…。
ええ、本当に自分が悪いんです自分がよく見ないで結婚したから。

わたしの住む地方は車が必需品。
だから車に乗れないと活動範囲がすごく狭くなる。
だから困るんですよね~
夫より、わたしが運転下手ってことはないと思う。
だって、彼はすごいぶつけてるから(笑)
父も弟も姉の夫も、そんなぶつけないんですよね。だから、そういうものかと思ってたけど、彼はかなりぶつけてる。駐車場でバック、追突、縁石乗り上げと10回くらいはやってるんじゃないかな?
運転上手くないんですよね
そういう人に言われたくないんですけど。
運転で大事なのは「冷静になること」じゃないかと思っています。
彼はすぐテンパる人なので。

さて、運転禁止が解かれるのはいつのことなんでしょうか。
おかげで託児できるヨガも通えなくなり、運動不足ですよ…


夫はすごく神経質。
床に水をこぼしても声を上げる。床にボールペンを落としても飛んでくる。床が汚れる、傷つくといって。「拭けばいいじゃん」って思いますけどね、わたしは。いいじゃん、傷ついたって。
昨日は車のキーを落としたら
「一度も落としてないのに…」
だって
しかも、キーにわざわざ革のカバーをかけてるんですよ?ネットで買って。
まあ、ものを大切にしているってことはいいことなんですけどね…
でも、それが子どもにむかったら可哀相。子どもなんて汚す・散らかす・壊すのなんて日常茶飯事・それが仕事みたいなものなんだから。
それで喧嘩になります、よく。
触られて嫌なものは、しまっておけばいいのに。

この神経質さがおこした事件が多々あり。
「ダイニングテーブル搬入時に柱にぶつけ、業者とバトル事件」とか。
「娘がエアコンのリモコンお風呂にポチャン、激怒したけど次の日には直った事件」とか。
も~笑い話ですわ

でも、この神経質さが耐え切れなくなって、ある日事件が起きたんです。
わたしの腕に手のあとの青痣がつくことになるのです
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誕生日

2010-11-19 14:21:23 | 日々のこと
先日、誕生日を迎えました
38歳…早い。早すぎる!
しかしもう30代後半になったら、子どもも生まれたこともあり、「何歳でもどーでもいいや」という気持ちになっていることが多々あり…。

それでも家族や義理の母からのおめでとうメールはうれしく

そして主人がケーキを買って帰宅してくれた

もう昨年がどうだったか、正直憶えていない

今年は「誕生日だから」と観劇や、コートやバッグをプレゼントしてくれたりして、嬉しい
「浮気してるのか」とあやしむくらい優しく…。

最近「ただそれだけ」と思うようになってから、主人に対してきついこともあまり言わなくなったような気がする。
そうすると、主人もあたりがやわらかくなり、わたしも感謝の言葉を素直に出せるようになった。

「過去と他人は変えられない」
と、昔カウンセラー講座に通っていたときに学んだことばだが、
「過去」はもちろん変えられないが、「自分」が変われば、他人もその影響で変化があるかもしれない。
愚痴愚痴言っていても何も変わらないから、自分がまず変わらないと、と再度思った次第。

今月は入籍してから三年目。
さて「三年目の浮気」と言いますが、どうなんでしょ
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「ただそれだけ」

2010-11-01 10:32:53 | 日々のこと
こんにちは。リツコです。
連日寒かったけど、今日は少しあたたか。
パパが娘を散歩に連れ出してくれてますありがたい。

娘が生まれてからいろいろな問題があり、夫婦以外のことでの諍いが絶えず、
わたしは一ヶ月前には夫のこと、「顔を見るのもいやだ」と
思っていたんですよ。
「このままこの人に付き合って人生を送っていいのか?とんでもないことに
なるんじゃないのか」と思っていました。

結婚してから発覚した、夫の神経質さに我慢できず、長男で甘やかされたからか
何よりいつも「自分」を優先する夫に「父親になっても自分優先なんだから」といつも腹を立てていました。
「ろくなことをしない人」と決めつけ、不満ばかり言っていました。

でも、少し前に市の講座に「親のためのコーチング講座」があり、託児も出来るので
参加してみました。
そこで変わったのです。

コーチングの初歩の初歩、という感じでしたが、そこで語られたことで
「物事には良いも悪いもない。それを受け取る人がどのように受け取るか」
という事にはっとしました。

例えば、夫が帰ってきて部屋を片付けている。
わたしはムッとして
「部屋が汚いって言いたいわけね」
と気を悪くしていました。
でも、夫は
「ちらかっていると娘が転ぶから片付けよう」
と単に思って片付けているだけかもしれません。
わたしの心に「夫に対する悪感情」があると、悪く取るわけです。
素直であれば
「パパ、片付けてくれてありがとう。手が回らなくってごめんね。」
ということばが出るでしょう。

そしてもうひとつ、講師の先生が課題を出しました。
出来るだけ相手の話を真剣に傾聴するということでしたが
「出来てない、と気づいたら『ああ、出来てなかった。ダメだ!』と
思わないでください。次にやるようにすればいいんです。」
そうおっしゃったのです。

わたしは「そうだ、そうすればいいんだ」と思いました。

「出来てなかった。ただそれだけ。次はやればいいんだ」
それで大抵のことは済むのではないでしょうか。

娘がお茶をこぼした。
ただそれだけ。
雑巾を持ってきてふけばいい。

夫が時間を守らなかった。
ただそれだけ。そういうこともある。
「なんでいつもそうなのよ」と言うのではなく、
「次は心配するから連絡してね。」
そう言えばいい。

仕事なら、そうはいかないこともあるでしょうけど、わたしの今の生活の中で
取り返しのつかないことはそうない。
命に関わること以外は。
そう思ったら、自ずと出ることばも変わってきたのです

講座で教わったことは他に「自分のコミュニケーションの意味は、相手が受け取った
意味になる」

つまり、
床に向かって本を投げつけている人を見たとします。
それを見て
「この人は乱暴なひとだ。怒りっぽい人だ」
と思うかもしれません。
でも実は
「床にゴキブリがいて、本を投げていた」
のかもしれません。
でも知らなければ誤解したままです。
このように、人の評価なんてとても不確かなものです。

「ただそれだけ」
これだけで、夫婦の関係が変化してきたのです
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