海辺の暮らし。

海に行くとストレス解消&へなちょこぴーちゃんとの毎日。そんな生活を、きままに発信してます。

天国泥棒・・・

2007年08月21日 | Weblog
只今、とってもお気に入りの手染めの手ぬぐいをつくっているお店へ
お邪魔してまいりました。

温かく迎え入れてくださる店主さんは タカダワタル氏のファン。
意外な共通点に驚きました。

わたしの世代では知らないはずのフォークシンガーですが。
11年ほど前にハウスシェアしていた方(故人)の大親友とかでタカダ氏がよく我が家の二階に来ていたんです。

もちろんどんな曲を歌っていたのかさえしらないわたしは・・
毎日飲んだくれているおじさん。と言う印象しかなかったんですが・・・

とても素敵な歌を残されて一昨年、天国へ行かれたと伺いました。

ハウスシェアしていた知人も亡くなりすっかりと離れてしまっていた記憶の続きが
ここで聞こえてくる。
なんとも不思議な気分です。

タカダ氏は意識不明になられてから、敬虔なクリスチャンだった奥様の手によって
洗礼を受けられそのまま天国へ召されたと聞きました。

洗礼をされた牧師さんが、洗礼を受けてから何一つ悪いことをしていない
こんな人を 天国泥棒と言うんですよと言われたと伺いました。

夜ごと、酒を飲み、自宅に電話など入れた姿など見たことのない世代を超えた
あたしみたいな小娘から見たら・・この方、独身の旅人だと思ってました。

好きな酒を飲み、好きな仲間に囲まれ、最後に帰るべき場所であろう場所で命を
終えることができたのは、きっと人間として全うしたからだと思いたい。

残される痛みを知りながらも、こうして意識なくしても帰る場所がある
タカダ氏ともっと話しておけばよかったなと思った真夏日でした。

そして、ハウスシェアしていた私の知人は逝ってから親友タカダ氏とは
皮肉にも全く違う運命をたどることとなりました。
別居している奥様と子供たちが遺骨を引き取ることを拒否し
静かに寄り添っていた彼女の手によって、海へと散骨されました。
その一年後、まるで彼の後を追うかのように、彼女も胃がんで旅経ちました。

果たしてどちらの生き方が幸せだったのかは、当の本人にしか解りませんが
見送ってくれる人がいること・・
見送られることは、きっとがんばったご褒美なんですね

それでもわたしなりの生き方は・・・
抱月の後を追った・・須磨子の最後の願いのようでありたいととても矛盾しております。

天国泥棒・・なんて自由奔放に生きたこの方にお似合いの送り言葉だと感じるのです。素敵なお話をきかせてくださった時間もいきているあかしなんですね。

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