がん患者の遺族(61歳 女性:ピアサポーター)
母が癌にならなければわたしは今も東京で暮らしていただろう。
そして、両親を看取る事は出来なかったかもしれない。
母は50歳の春、初孫の節句を祝った後、子宮・卵巣の摘出手術に臨んだ。以後、C型肝炎・膠原病・心筋梗塞と次々と大病を患いながらも60歳まで教壇に立ち続けた。
母が2度目の癌に犯されたのは76歳の夏だった。感染に弱く傷の癒え難い体での手術は過酷を極めた。時を同じくして父がステージ4の肺癌である事が発覚する。
「もう、母さんを守れなくなった…」告知を受けた父の第一声に胸が詰まった。数ヶ月間、病棟がわたしの生活の場となった。がんサロンに通うようになり臨床美術に出会ったのもこの頃だった。
Cancer Gift:両親が最後に残してくれた学びの場