茶道と仕事力~千利休とスティーブ・ジョブズに魅せられて

茶の湯の心と茶道の基本、出会った言葉やその日の出来事から、気付いた事をつづります

win-winを考える

2010-02-24 23:53:45 | ビジネス発見
「その仕事は誰にとってどういう価値がありますか?」

今日の会議中に、発言者に向けて直接質問したら、言葉がきつくて失礼なので
自分に問いながら一人ディベートをしてました。

発表者の××課長!
自社の収益のために価値があるっていうだけの答えはないんじゃないの
ましてや、先方さんからの提案に対して、手を貸しただけ、っていうのもないでしょう!

やっぱり顧客や相手様を尊重した上に成り立つ相互利益につながる仕事だからではないでしょうか

「おもてなし」の視点からみたらどう考えられますか

それが、win-winっていうものでしょう。
(win-winという言葉をつかった”7つの習慣”もだいぶ昔はやったビジネス指南書かもしれませんが、まだまだ健在ですよね。)

今の社会「思いやりの心」が失われつつあります。と先代のお家元鵬雲斎の講演案内に書かれていました。

私の仕事スタイルは「思いやりの心」をもってwin-winでいきたいと思います。


お茶のいただき方(お茶碗の拝見)

2010-02-22 23:49:50 | お茶のはなし
 前回のお茶をいただくところまでで、3回の挨拶と2回のお茶碗を回す場面があり
ました。今回はつづきのお茶碗を拝見するところです。

 飲み終わったお茶碗は正面を自分の前に戻して縁外(へりそと)正面に置きます。
膝前に両手をついて、まず全体の形を拝見します。茶碗を手にとって細部を拝見す
る時は、両肘を膝の上に載せて両手で茶碗を持って拝見します。拝見がすむと縁外
に置き、もう一度全体を拝見して、道具に一礼をします。
 どの程度、入念に拝見すべきなのかという問題ですが、これはTPO(茶碗のグ
レードや茶会の質など)に併せて、臨機応変にと考えています。
見た事もなかった珍しい品であれば、手にとってその重量感を感じ、再度全体を
眺めたうえで、ありがたい道具を拝見させていただいたという感謝の礼として深々
と頭を下げることもありましょう。そうでない場合は、手に取る事もそこそこに、
挨拶もそれなりにということも (^ ^)

 拝見が終わったお茶碗は、小間であればにじり出て返します。(お茶碗を右手で
自分より先に送り、にじって進むを何回か繰り返す。)お茶碗が最初に出された場所
に返すのですが、その時に亭主に茶碗正面が来るように、茶碗を左手のひらにのせ、
右手で時計回りに(90度×2回若しくは60度×3回)回してから、右手で置きます。
 半東さんがいる時は、拝見が終わったお茶碗は、正面を半東に向くように回して
縁外に置いておけばいいです。茶碗をさげに来た半東さんに対してしっかり手をつ
いて挨拶をします。

 ということで、お茶を飲み終わったあとは、茶碗に対する(そういう道具を用意
してくれた亭主の心配りに対する)挨拶と、茶碗を回転させるのは正面を相手に向
ける時にということです。

お辞儀のしかた 国母 v.s. 豊田

2010-02-22 01:18:36 | つぶやき
和室でお辞儀ができない。

お茶の初心者の方のお辞儀ができない事に、正直おどろきました。
しかも年齢にかかわらず。

畳についた手が蛙のように開いてしまったり、
お辞儀をすると、肘まで畳についてしまったり、
うなだれたように、頭だけが下がっていたり、

自分が小さいころは、正月に祖父からお年玉をもらう時は、畳で新年の挨拶をしていたので、自然とそれなりのお辞儀の仕方を習得していました。

お辞儀の仕方も教わらないと身に付かないものなのですね。

某大手食品メーカーの専務の方と、飲みに行った時
「役員になっても学ぶことがあってね。まず、頭の下げ方。
コンサルタントから、万一不祥事が起きた時を想定して、記者会見での頭の下げ方から習うんだよ」
と、おっしゃっていました。

豊田社長も、きっとお辞儀の仕方を勉強していたのでしょうか。
国母くんも、挨拶の仕方を教えてくれる人がいたらよかったのに。

でも、挨拶は心です。私は、
「不具合ではなく、消費者のブレーキの感じ方」と言い張るトヨタより
「反省してま~す」の国母くんの方が、人間味があって好感がもてる挨拶と感じました。






直心是道場

2010-02-18 22:42:25 | お茶のはなし

今日のお茶のお稽古は

床軸「直心是道場」じきしんこれどうじょう にしました。

 季節にしばりのない禅語ですが、なんだか予備校の教室にでも張ってありそうな言葉で、考えようによっては、受験シーズンの雪の日にぴったりと思いこれにしました。

筒茶碗のお手前で、花はあおもじと藪椿でした。


その道に入らんと思ふ心こそわが身ながらの師匠なりけれ

2010-02-17 22:50:54 | 言葉

本日 何年かぶりに淡交会の研究会に行ってまいりました。

 利休百首の

「その道に入らんと思ふ心こそわが身ながらの師匠なりけれ」 を唱和し、

改めて身の引締る思いがしました。

若いころは、なんとなく流していた言葉でしたが。

 社会が悪い、環境が悪い、今の世の中が悪い、と言い訳をするつもりはないですが、「自分を律する心こそが推進力だ」といいかえると、言い訳がきかないとても重い言葉だと感じました。

 若いころは、言い逃れだなんて事すら思いつかなかったけれども、年齢とともに、どこかで逃げ道を探している ”まいっか”体質が存在してきたからかもしれません。

何事にも妥協しないスティーブ・ジョブズは偉大です。