▼今回の話題:茶花について
お花を用意してといわれても、皆さんいつも困ってしまいます。
いったい、お花は何がいいの、どうしたらいいの?? と思ってますよね。
ずばり『花は野にあるように』 で。
これは、「利休七則」という、茶道とは何たるかを解説した七則の三番目に出てくる
ものですのです。茶道のもとにしている精神を解説した「利休七則」を今回は紹介し
ます。ということで、今回も精神論の回です。
(難しい奥深い話のため、引用が多いです)
★利休七則(裏千家ホームページより)
茶道の大成者千利休に対し、ある人が「茶道とは何ですか、教えてください」と
尋ねました。 それに対し利休は、「茶は服のよきように」「炭は湯の沸くように」
「夏は涼しく、冬は暖かに」 「花は野にあるように」「刻限は早めに」「降らずと
も雨の用意」「相客に心せよ」、この七則がすべてですと応えました。
すると尋ねた人は怒って「そんなことくらいは、三才の赤子でもわかっておりま
す」と言いました。 すると利休は「わかっていてもできないのが人間ではないで
すか。あなたが本当にできるならば、私が弟子になりましょう」と言ったというこ
とです。
茶道の根本とはこのように、自然体のままで季節感を大切にし、「もてなし」と
「しつらえ」を基本にした生活文化と言うことができます。
ということだそうです。
これらの意味を表面的に理解するだけでなく、もっと深い解釈に基づき原則的な
教えとして代々受け継がれています。
★解説(淡交社刊 裏千家茶道教科書より抜粋)
「花は野にあるように」。これは本当に美しい言葉です。お茶の理想としている
「美しさ」というもののすべてがこの言葉の中に言いつくされているといっても
よいくらいです。そのお茶の理想とする「美しさ」とは、一体どういうものなの
でしょうか。「花は野にあるように」というのですから、これは野に生えている花を
そっくりそのまま持ち帰り、それを花活けに入れたらいいとも考えられそうですが、
それではお茶になりません。お茶の花としての意味がなくなります。利休は、確かに
自然に生える花こそ美しい、尊いのだとは言っておりますが、自然の持つ個性の
美しさ、その生命の尊さをわずか一輪の花においてそれを表現するところに茶の花
としての本当の意味があると言っているのです。
ということだそうです。
★ それで、お花は何がいいの・どうしたらいいの?
上述を踏まえると非常に難しいことになり、ますますわからなくなりますね。
まずは、茶席全体を調和ある世界として演出するための程よい主張を持たせる。
花を見て美しい・きれいだと思う感動を取りこんで、自分も楽しみ、他の人にも
喜んでもらいたいと思って活ける。
その際どうすれば花の美しさをひきたてることが出来るか工夫する。
といったところから、私はチャレンジしてます。
くだけて言えば、
「人前では、すっぴんはNGだがナチュラルメイクは失礼でない」
と、いったところでしょう。
お花を用意してといわれても、皆さんいつも困ってしまいます。
いったい、お花は何がいいの、どうしたらいいの?? と思ってますよね。
ずばり『花は野にあるように』 で。
これは、「利休七則」という、茶道とは何たるかを解説した七則の三番目に出てくる
ものですのです。茶道のもとにしている精神を解説した「利休七則」を今回は紹介し
ます。ということで、今回も精神論の回です。
(難しい奥深い話のため、引用が多いです)
★利休七則(裏千家ホームページより)
茶道の大成者千利休に対し、ある人が「茶道とは何ですか、教えてください」と
尋ねました。 それに対し利休は、「茶は服のよきように」「炭は湯の沸くように」
「夏は涼しく、冬は暖かに」 「花は野にあるように」「刻限は早めに」「降らずと
も雨の用意」「相客に心せよ」、この七則がすべてですと応えました。
すると尋ねた人は怒って「そんなことくらいは、三才の赤子でもわかっておりま
す」と言いました。 すると利休は「わかっていてもできないのが人間ではないで
すか。あなたが本当にできるならば、私が弟子になりましょう」と言ったというこ
とです。
茶道の根本とはこのように、自然体のままで季節感を大切にし、「もてなし」と
「しつらえ」を基本にした生活文化と言うことができます。
ということだそうです。
これらの意味を表面的に理解するだけでなく、もっと深い解釈に基づき原則的な
教えとして代々受け継がれています。
★解説(淡交社刊 裏千家茶道教科書より抜粋)
「花は野にあるように」。これは本当に美しい言葉です。お茶の理想としている
「美しさ」というもののすべてがこの言葉の中に言いつくされているといっても
よいくらいです。そのお茶の理想とする「美しさ」とは、一体どういうものなの
でしょうか。「花は野にあるように」というのですから、これは野に生えている花を
そっくりそのまま持ち帰り、それを花活けに入れたらいいとも考えられそうですが、
それではお茶になりません。お茶の花としての意味がなくなります。利休は、確かに
自然に生える花こそ美しい、尊いのだとは言っておりますが、自然の持つ個性の
美しさ、その生命の尊さをわずか一輪の花においてそれを表現するところに茶の花
としての本当の意味があると言っているのです。
ということだそうです。
★ それで、お花は何がいいの・どうしたらいいの?
上述を踏まえると非常に難しいことになり、ますますわからなくなりますね。
まずは、茶席全体を調和ある世界として演出するための程よい主張を持たせる。
花を見て美しい・きれいだと思う感動を取りこんで、自分も楽しみ、他の人にも
喜んでもらいたいと思って活ける。
その際どうすれば花の美しさをひきたてることが出来るか工夫する。
といったところから、私はチャレンジしてます。
くだけて言えば、
「人前では、すっぴんはNGだがナチュラルメイクは失礼でない」
と、いったところでしょう。