りくと、大陸を渡れ

毎日少しずつ大きくなっていくりくとの成長記録

ママのマタニティ記録(出産後編)

2006年10月02日 | ママのマタニティ記録
無事に出産を終えて、病室に戻った私。この病院は母子別室。りくとは新生児室にいた。多分、お母さんにゆっくり休んでもらおうってことなんだろうけど。確かにゆっくり出来て良かったと思う。
出産後すぐは、待機室ではなく別のへやなんだけど、また窓がない夜中だったからいいけど~。そして寝ようとしたけど、興奮しちゃって寝れなかった。寝れないって話は結構聞く話だ。なんでだろう?

朝、何時だか忘れたけど、看護士さんがりくとを連れてきてくれた。母乳をあげるためだ。
母乳をあげることは、すご~く難しかったことを覚えている。りくとは首はクタクタだったし、吸うのもヘタだったし看護士さんに手伝ってもらってやっと吸えた(のか?)。この日は出産したばっかりだったので、少しだけの練習で終った。その後はまたヒマになってしまったので、友達にメールを打ちまくった

普通の病室に移ったのは夕方になってから。2人部屋だったんだけど、促進剤仲間の一人で私より15分前に産んだ人と一緒になった。出産後の病室で仲良くなって、この人と同じならいいな~と思っていたので良かった。
やっと窓のある部屋にこれて、すごく夕焼けがキレイだったなぁ。「やっと空気を吸った~って感じだよね~」って思わず2人で窓を開けて伸びをしてしまった

同じ部屋になったIさん。良く私に言っていたのは「初めての出産でよく一人で産んだね~。えらいよ~」だ。Iさんは今回2人目の出産だった。でも怖くて誰かにいて欲しい人。だから陣痛がきているときはお母さんがきたり、出産には旦那さんが立ち会っていた。私にはそっちのほうが無理だ。ぐえ~ぐえ~言っている姿なんて見られたくもない。

さて、出産当日は寝れなかった私。2日目は・・・・やっぱりあまり寝れなかった。つまんないのでよだれかけの刺繍をして過ごした


今日のりくと

発砲スチロールのブロックの上をりくとの愛用バイクで渡る。



オフロードを走るバイクのようだこの遊びにすごくはまっていて、転ぼうがひっくり返ろうが、お構いなし。ずーっと遊んでいた。



昼寝後の寝癖があまりにもすごかったので・・・

ママのマタニティ記録(出産~②~編)

2006年09月26日 | ママのマタニティ記録
前回の続き・・・

陣痛は5分置きぐらいの等間隔できていたけど、看護士さんに聞いたら「もっと強くなるから、まだまだよ~」なんて言われてガックリ
夕方の5時か6時くらいにパパが来てくれた。私なりに陣痛は辛かったけど、パパ曰く、ぜんぜん余裕に見えたらしい
そのうち、たいしてお腹が空いてないのに夕飯が出て(これまた豪勢)、私が残した分はパパが「おいしい、おいしい」って食べた。そして、8時になり面会時間が終ると看護士さんに「まだまだ生まれませんのでお帰りになって大丈夫ですよ」と言われ帰っていった。

・・・・・パパ、ご飯を食べに来たの?

まぁ、出産の立会いはイヤだったから別にいいんですけどね。。。

立会いがなんでイヤだったかと言うと、私の性格上、出産する時に集中できないと思ったから。強い陣痛が来た時にパパにオロオロされたら、こっちが気を使ってしまいそう。それなら信頼できる看護士さんか医師に任せていたほうが、私が安心して集中できるもんね。

8時にパパが帰ったあとは本を読む以外、何もすることがなかった。促進剤を飲むのもこの日はおしまい。
結局、本を1冊読み終わってしまって時計をみたら11時半近く。ちょっと寝ようかなぁと思って目を閉じると、「風船」が気になって仕方なくなった。どうしても取りたくなって、そう思うとだんだんいきみたくなってきた。
入院時に「いきみたくなったら呼び出してください」と看護士さんから携帯を手渡されたので、すぐに電話した。そしたら「ちょっと待っててくださ~い」と言われてしまった。仕方なく看護士さんを待つ。でもだんだん強くなっていく陣痛。耐え切れなくなって2回目の電話。でも「待っててください(ちょっと切れ気味)」とまたまた言われてしまった(後でわかったんだけど、少し前に出産があって来れなかったみたい)

「もういい、待ってられんとにかく風船を出そう

と思い、思いっきりいきんだ。外では、カミナリの音が鳴り響いていた。台風がちょうど接近していたときだったみたい。
とにかく、お隣にいた方には大変申し訳なかったけど、かなり大きな声を出して無事に風船を出すことが出来た。あの時の爽快感といったらホッとしていると看護士さんが来てくれた。
「なんか出ちゃったんですけど~」って言ったら「大丈夫よ、風船だから」と言う答えが帰ってきた。そりゃ~あんた、赤ちゃんが出ちゃったら大変だろうって心の中で突っ込んだ。そしてまた「待ってて」と言われてまた待たされる。さっき来た看護士さんとは違う看護士さんが入ってきて内診。そして「今、車椅子を持ってくるから」と言われバタバタと出て行く。車椅子を押して入ってきた看護士さんは私に向かって「乗って」と言った。でも、さっきの風船出しでヘロヘロになっていた私。「立てませ~~ん」て言ったら「何言ってんの!!乗らなきゃ移動出来ないでしょ」と怒られてしまった。仕方なく乗る。
そして看護士さんが病院の廊下をダッシュ押しながらパパに電話してくれていたような。。。
分娩室のドアの前に着くと手を離して先に分娩室に入って行った。私が乗っていた車椅子は、ダッシュした勢いでゴイ~~ンと分娩室のドアにぶつかった。当たったのは車椅子だから別に痛くはなかったけどさ~、もうちょっと優しくして欲しかったなぁ
分娩台の前に着くと「はい、今度はこっちに移動」と命令。また「無理ですぅ~」と弱音を吐くと「ここに乗れなきゃ産めないでしょ」とまた怒られてしまったなんでこんなに怒られなきゃいけないんだろうと思いながら、仕方なく移動。
移動したら酸素マスクをされて点滴を打つ。この酸素マスクが邪魔で、何度も外れそうになるので「これ、邪魔なんですけど~」と言ったら「していたほうがいいのよ~」と言いながらも外してくれた。点滴は相変わらず何度も刺される「いつでもいきんでいいわよ~」と言われていたので、分娩台に付いていたいきむ時に掴む棒?を掴んでいたら、点滴が刺しにくくて「こっちの手だけ離して」と言われたので、片方の手だけ握っていきんだ。そして、私が声を出していきんでいたら「声は出さないように」とも言われた。

看護士さんの言われたとおりにして先生にバトンタッチしたら、2、3回いきんだだけですぐに生まれた。

時間は8月31日・0時6分。体重2760g、身長45.5cm。

赤ちゃんの鳴き声が聞こえて、ホッとはしたけど「こんなに簡単に産んで良かったのか?楽だったなぁ(りくとが小さかったからかもしれないけど)」と思ってしまったくらいあっけなく産んでしまった。「風船」を出すほうがよっぽど大変だった。
テレビドラマとかみていると大汗をかいて「ヒ~ヒ~」言いながら産んでいるけど、汗も全然かいていなかった。思っていた出産と違うなぁと思いながら、出産後の処置を受けていた。後でパパに聞いたけど、やっぱり疲れた顔をしていなかったと言っていたので、周りからみても楽な出産だったんだろうと思う。
処置後、看護婦さんが赤ちゃんをキレイにして連れてきてくれたんだけど、ずっと「あれ~?あれ~?(こんなんでいいの?)」って思っていたから、感動してむせび泣くとかもなかった。ただ、小さくてかわいいなぁとか5体満足で生まれてきてくれてよかったとは思ったけど。

パパはというと、病院がパパの実家から車で5分だったので実家で待機。ご飯を食べてお風呂に入ってテレビをみていて、そろそろ寝ようかなと思ったところで病院から連絡が入ったらしい。
「なんて呑気な」と後で言ったけど「看護士さんに今日中には生まれないからって言われたから」という返事。そう思っても仕方がないけど、それにしたって呑気すぎない?
病院から電話が入って嵐の中駆けつけて、しばらく待っていると子猫の鳴き声がしたらしい。そう、その声こそりくとの声。
看護士さんに呼ばれて私の隣で寝ている赤ちゃんを見て、パパはすご~~く感動したらしい。泣きそうになるくらい、いたく感動したらしい。

パパが帰って、赤ちゃんは新生児室へ移動。点滴も終って分娩台から降りた。もちろん歩いて移動。ほっとして眠れるかと思いきや興奮して全く寝れなかった。

ママのマタニティ記録(出産~①~編)

2006年09月21日 | ママのマタニティ記録
とうとう何事もなく無事に?8月30日を迎えた私。
朝9時頃に川崎のおじいちゃん・おばあちゃんに迎えに来てもらって、病院まで送っていただきました。

荷物は、私のパジャマとか下着とか歯ブラシセットとか、、、旅行に行く時のような荷物・赤ちゃんが退院する時に着る服(横浜のおばあちゃんに買ってもらった)、時計(陣痛の間隔を知るため)、本2冊、スタイ刺繍セットなどなど。全部で中ぐらいのバックで2個分。

10時前に病院に着いて、入院の手続きが終るとすぐに診察室に呼ばれた。
事前に先生から、風船のようなものを入れて子宮口を開かせて陣痛促進剤で陣痛を促すと聞きました。それでとりあえず風船を入れる。

感想・・・すっごい違和感。早く取りたい

その時点で、今までなかった下腹痛を少し感じた。「これが陣痛なんだ~、へぇ~~」って思ったような
次はレントゲンを撮る。骨盤の様子と赤ちゃんの位置を見るためだと思う。

ここまで終ると待機室で赤ちゃんが生まれるのを待つんだけど、この待機室、窓もない部屋で暗い。時計がなかったら昼だか夜だかわからなかった
待機室にはすでに2人先客がいました。とりあえず、自分の荷物を整理して川崎のおばあちゃんとお別れしてベットで横になる。持ってきた本を読みながら1時間ぐらい過ごしていると看護士さんが来て、陣痛促進剤を1時間おきに飲んでいきますと言って薬を手渡された。あとの2人にも同じことを言っているので、お仲間さんなんだ~と思った。一緒にがんばりましょうと心の中で思いました。
でもホントに良かった、1人じゃなくてあんな寂しい部屋に一人きりで陣痛に耐えるなんて、今でもイヤだ。それにしてもなんで窓もないんだろう?カーテンを閉めてただけ?でもなんでカーテンを閉めるの?集中するため?分からないことだらけだ。

陣痛促進剤・・・小さい錠剤1粒。飲む前までは副作用が怖かったけど、飲みだしたらもう病院を信じるしかないと思って気にせず飲んだ。

待機室では、もうそれ以上やることがなかった。とにかくヒマだった。もちろんテレビなんかないし。持ってきた本しか暇つぶし(←この余裕って)になるものはなかった。陣痛は促進剤を1粒2粒飲んだぐらいじゃたいした威力を発揮しなかったし、そのうちお昼になってお昼ご飯の時間になってしまった。
この病院のご飯はとにかく多かった。メインが2、3品あるのだ。もちろん全部食べれるわけもない。食べたらまた横になって本を読む。こんなに余裕かましてていいんだろうかって思った。

3時ごろにやっと院長の内診というイベント(おいおい)があった。その頃は確か10分おきぐらいに陣痛があったと思う。このとき、待機室にいる3人が初めて顔を合わせた。近況を話したりして一人ずつ診察室に入る。私は2番目だった。

院長の話・・・
さっき撮ったレントゲンを見る限り、赤ちゃんはまだ上のほうにいるし、子宮口も3センチぐらいしか開いてないから今日中には生まれない。風船は5センチ以上開くと自然に取れるけど、今の段階だと取れない。今夜になってやっと風船が取れるかも。

この状態がまだ続くの?しかも長期戦・・・(風船が取れてもすぐに生まれないとも言われた)

先に診てもらっていた人に聞いたら、院長に取って貰ったと言っていた。ついでにもう一人に聞いても同じ事を言っていたので、大大大ショック
私だけ取れてない。すごく違和感のある風船だけでも取って欲しかった



カミナリ&ママのマタニティ記録(出産目前編追加)

2006年09月11日 | ママのマタニティ記録
今朝のカミナリはすごかった
半分夢の中にいた私は光るたびに「誰かが写真撮ってる~」って思っていましたパパはカミナリで起こされて、開いていた窓を全部閉めに行ってくれてた。アリガトウ
音もすごくて、りくとが起きないかとひやひやしていたけど、全く起きる気配なし。よかった、もし起きたら怖がって寝てくれないだろうし(4時に起床は勘弁してください)。

今日は夕方にハル君がお土産を持ってきてくれました。パパさんの実家に一週間ほど遊びに行っていたそうです。飛行機で行ったので「どうだった?」って聞いたら、ちょうどお昼寝の時間に合わせて行ったから、ずっと寝ていてくれて楽だったとのこと。それならうちも挑戦できるかもでも、パパが休みを長期で取るのはムズカシイ北海道か友達のいる石垣に行きたいなぁ



久々にハル君と遊ぶ



楽しそうでなにより



マタニティ記録の追加
2004年の夏はものすご~く暑かったお腹にもう一人いた私はさらに暑さを感じた
いつもは汗をかかないほうなのに、すごく汗をかく。あまりの汗の量に首からタオルまで巻いてしまったほど絶対に他の人にはみられたくない姿で家の中をウロウロしていたのでした。

このときに嵌っていた食べ物。スイカ、氷。つわりのときのみかん同様、やたらと食べていたのがスイカ。氷は、飲み物にもいつもならあまり入れないけど、バリバリ言わせながら食べた。氷を食べたがるのは貧血気味という説もあるらしい。ちょっと納得(血液検査では貧血ではなかったけど)。




ママのマタニティ記録(出産目前編)

2006年09月08日 | ママのマタニティ記録
10ヶ月目に入ると検診も月1になる。そして、この前まで安静にしろと言われたのに、今度は動け動けと言われるようになった。なぜなら10ヶ月を過ぎると胎盤の状態が悪くなってしまうから。予定日2週間前でも子宮口は全く開いてなく、出産の兆候なし
でも実は、妊娠10ヶ月目(しかも予定日1週間前)にして引越しを予定していた我が家。もちろん引越しは引越しやサンにすべておまかせにしておいたし、当日は母達もきてくれる。でも多少は動くし、環境が変わるからこれで「陣痛がくるぞ~、シメシメ」と思っていた。
でも、そのもくろみは見事に打ち破られて、引越しが無事に終っても陣痛の「じ」の字も来る気配なし予定日の検診では来週までに陣痛がこなかったら「陣痛促進剤」で産みましょうと言われてしまった
なんとなく「促進剤」の副作用が不安だったので、その日から散歩を強化。でも、全く兆候なし日に日に近づいてくる検診日に怯えていた陣痛さ~ん、早くきて~と毎日願いました。
でも、何事もなく検診日がきました。やっぱり子宮口は1cmも開いていなかったので「促進剤」決定。

8月30日の10時に入院が決まりました

ママのマタニティ記録(後期編)

2006年09月06日 | ママのマタニティ記録
この頃になると仕事も辞めてそろそろ入院準備と赤ちゃん用品を揃えだした。ありがたいことに、赤ちゃん用品のほとんどはパパのはとこのゆりちゃんが使っていたものを頂いて、洋服とチャイルドシートのみを購入。

定期健診は月2回になり、お腹は自分の足が見えなくなるくらい大きくなる。私の場合、横に大きくならなくて前に出るような形で大きくなっていった。5月に男の子を産んだいとこが、まさにそんなお腹の出方をしていたので、もしかしたら男の子かもしれないと思った。
胎動もすごくて、蹴ったりつっぱったり、、、たまにものすご~く痛くて、よくパパに「痛いよう」って言っていた気がする。腰も痛くなったりして、とにかく早く産みたかったなぁ。

そして予想通り、妊娠8ヶ月頃に男の子と判明。男の子が欲しかったパパは大喜びしていた

出産する病院は、実家に帰って産もうかすごく迷ったけど、実家近くは総合病院しかなくて、産婦人科で産みたかった私は今まで診てもらっていた病院で出産することに決定。転院手続きが面倒っていうのもあったし、病院がすごくキレイっていう理由もあった。古い病院がダメってワケじゃないけど、どうせならキレイな病院で産みたかった

予定日2ヶ月前に、いつもと違う先生(いろいろと厳しいことを言う先生と評判だった)に診てもらったら、いつもはエコーをみながらいろいろ言ってくれるのにその日はエコーをジ~~~っと見つめて首を傾げたり、頭とお腹のサイズを何度も測りなおしたり(ここのサイズを測ると赤ちゃんの成長具合がわかる)、とにかくな~んにも言ってくれない。こっちはいつもと違う様子に何か問題があったのか心配になってドキドキ
そして一言。

「赤ちゃんが週数の割りに小さいなぁ(この頃からこんなことを言われている)」・・・

それってどうゆうこと?マズイ話?先生なんか言ってよ~っていろんな考えがグルグル。先生曰く、今いる赤ちゃんの位置がへその緒を少し圧迫しているのかもしれない、でもまだ理由はわからないと言われた。
次の検診でいつもの先生に診てもらった時もやっぱり小さめ。お腹の張りもあったので、体を休める時間を増やすように言われた



うえの方に写っているのが男の子の証。先生が絵を書いてくれてます。性別が分かったこの日のエコー写真は、やたらと枚数が多かった。しかもこんな写真ばっかり


今日のりくと
英会話の日でした。でもずーっと寝てばっかりで授業にならなかった。ステッカーだけは真面目にやっていたけど。風邪でもひいたのかと思ったけど、どうやら別の理由があったらしい。

1.仲良しハル君がお休みだった
2.お腹が空いていた

多分こんな理由。わかるけどさ~、30分だけがんばってよ~

ママのマタニティ記録(中期編)

2006年09月04日 | ママのマタニティ記録
前回からかなり時間がたってしまったけど、続きです。

なんとかつらいツワリの時期を乗り越えて無事に中期に入り、パパとおばあちゃんと水天宮までお参りに行き安産を祈願しました。確か雨が降っていて肌寒い日だった。でもお参りに来る人はたくさんいた。たまたま空いている時間に入れたのであまり並ばずにお守りが買えました。寒さは妊婦にとっちゃ大敵だからね~。

お腹も目立つようになって、普通の服は着られない。ついでにパンツもマタニティ用のほうが楽チンになってきた。そのマタニティパンツなんだけど、色気も全くないデカパンなのだ世の中には普通のパンツで出産まで過ごす人もいるようだけど、私は楽さに勝てなかった
そして、腹帯。おばあちゃんに買ってもらったけど、苦しくて私に全く合わず2、3回着けて、暑くなってきたし、病院でも「着けても着けなくてもどちらでもいい」って言われたので、その後はしなかった(ごめん)。

胎動も感じるようになる。最初は腸が動くようなコロコロっとした感じ。後期に近づくにつれて、動いているのがだんだんとハッキリ分かるようになってきた。

そして、この頃から仕事を始めた。仕事先は実家の工場。その頃住んでいたところからは電車で1時間かかった
でもずっと家にいても気が滅入るし、実家だから好きな時に体を休めることができたし、わりと電車が空いている時間帯だったのでそんなに辛くなかった。
電車通勤で感じたことは、優先席が優先されてないってこと特に若い子とおじさん。確かに疲れているかもしれないし、妊娠したことないからわからないかもしれない。でもこっちはひとつの命をかかえているんだよ~~~っと叫んだ(心の中で)
でも中には親切に譲ってくれる人もいて、ありがたかったことも多々ある一度、おばあちゃんに席を譲られそうになってさすがに必死で断った事も、、、隣でスコーンスコーン寝ているサラリーマンを横目で見ながら

病院で母親学級があった。ビデオ見たけど、途中で眠くなって睡魔と戦うのが必死あまり内容を覚えてない確か妊娠中毒症の話だったと思う。初産婦なのにいい加減だ。でもやたらと眠かったんだも~ん。
大嫌いな血液検査もした。1回目は初期、中期でもう一度する。私は血管が細くて、会社の健康診断でもなかなか入らずに両腕から採られた経験がある。だから看護士さんに「血管が細いみたいなので、細い針でお願いします(細い人用のがある)」と伝えて細い針で採ったにもかかわらず3回もやり直され、結局その人では入らずベテラン看護士さんに代わってやっと取れた。血液を採る場所は待合室から見える場所だったので、近くにいる人たちからは注目されるし、両腕に絆創膏を貼っているのなんて私だけ(しかも4箇所)。血液検査なんて大嫌いだ~~~



妊娠20週目
右が頭、左が足のほう。もう体全体が写らないほど大きくなってきた。腕を曲げて顔に近づけているのがわかりますか?

ママのマタニティ記録(つわり編)

2006年07月22日 | ママのマタニティ記録
前回の続き。

つわりは吐くまではなかったけど、だるくて気持ち悪くって仕方がなかった。トイレとお風呂以外は立ち上がりたくなかったし、外に出歩くなんてもってのほか
食べれるものは、白いご飯、お肉はチョコっと、野菜もチョコっと、魚は生臭くて食べれなかったなにより1番おいしかったのがみかんあの冬に食べたみかんの量といったら2箱くらい軽くいっていたと思う。
とにかく何をするにもみかんがないと落ち着かない起きたらみかん、トイレいったらみかん、家事をしながらみかん、お風呂から出たらみかん、寝るときにも枕元に置いて気持ち悪くて起きてしまったらみかん。。。みかん、みかん、みかんづくし。つわりの時期が冬でよかったよ、ホント
さすがに検診で病院に行く時は持っていけなかったので、待ち時間はジュース飲んでたけど、ジュースじゃイマイチなんだよね~。口の中が甘ったるくなっちゃって。

この頃、病院で「母子手帳」をもらってくるように言われていたけど、電車で隣の駅にある病院に行くのがやっとだったので、パパのお母さんに取りに行ってもらいました。引っ越す前で、家が近かったこともあるけど本当にこの時期はいろいろとお世話になりました



2004.2.16のエコー写真
下に先生が絵を描いてくれたけどわかるかな?だんだん人の形っぽくなってきた。予定日が8月24日となった。


今日のりくと
久々に雨が降らなかったので(まだ梅雨明けしてなかったらしい)、公園に行った。明日からまた天気が崩れるようだったので、たくさんの子供が遊んでいた。その中で2歳1ヶ月の男の子と遊びました。
最近、公園にいくと大抵子供同士で遊んでくれるので、私は見守っているだけってことが多くなった。たまに「ママー」って呼ぶけど、だんだんママと2人だけの世界から外の世界へ冒険し始めている。うんうん、いい傾向だ



お砂場大好き帽子を自分からかぶるようになってきたよ



滑り台の階段もハイハイから立ち上がって登れるようになった



今日、遊んでくれた子と一緒に電車をみたり、追いかけっこしたり

ママのマタニティ記録(妊娠発覚編)

2006年07月18日 | ママのマタニティ記録
もうそろそろ2歳になるりくと。とにかく忘れないうち(半分くらい忘れているけど)に、今までのことを少しずつ書いておこうと思う。
今日は妊娠発覚から妊娠確定まで。

パパと結婚したのが2003年11月15日。会社は年内で退職で、次の就職先が決まるまでのんびりしようと思っていた私。まだ子供は考えていなくて、来年のGWや夏休みはどこに行こうかなっとのんきに考えていた。
会社を辞めるので引継ぎでバタバタしていた年末。最近、電車に乗ると(特に帰り)なんだか気持ち悪いなぁって感じていたけど、疲れからだろうと思っていた。
そして、今日が最後っていう日。パパと帰りにどこかで食事しにいこうと思って電車に乗ったら、吐くまではいかないけど、変な汗を掻くくらい気持ち悪くて気持ち悪くて食事どころじゃなくなった。その時、もしかしたら子供が出来たかもしれないとパパと話したような話していないような
とにかく次の日、妊娠検査薬を買って検査する。見事ビンゴ大正解
仕事中だったパパに電話して、泣きながら報告。多分、喜びと不安でワケが分からなくなっていたんだと思う。報告した後、病院に行かなきゃなぁっと思って近くの産婦人科にTEL。が、年末で休みに入って診察はやっていないと言われた
看護婦さんが言うには「いつもと変わらず、普通に過ごして大丈夫。もし、出血があったら救急病院で診てもらってください。」と言われただけ。。。『エ~~~!!!こっちは右も左も分からない初産婦なんですが~(もっと詳しく教えてくれ~)』と心の中で叫んだけど、先生がいないんじゃ仕方ない。その後、とりあえず両親だけには報告しておいた。

その日を境に体調は下り坂になっていったパパの実家に新年の挨拶をしにいったときに海鮮なべを用意していてくれたけど、気持ち悪くてほとんど食べる事が出来なくなっていた。特に白身魚の脂のテカテカが気持ち悪くて、お刺身でも鍋に入れてテカテカが見えなくても食べることが出来なかった。大好きな海老さえ食べる気がしなかったもんね

それでも、どうにかお正月を過ごして初めての検診に病院へ向かった。初診日は2004年1月5日。ドキドキしながら呼ばれるのを待った。
診察室に入って先生と話す。なんだかボソボソと話す先生で、聞こえづらくて何度も聞き返してしまった記憶がある。
でも「心拍確認・5週目です。」と言われた時は、とにかく赤ちゃんの無事が確認が出来て良かったと思った。



おたまじゃくしみたい。これが人になるとはね~



今日のりくと。
目の腫れがだいぶ落ち着いてきて、少し赤みはあるもののもとの目の大きさに戻ってきた。



見えやすくなったかな?


今日はうれしいことがあった
りくとが洗濯物のお手伝いをしてくれて「えらいね~、ありがとね~」って褒めてたら、褒めすぎて思わずむせてしまったそしたら、お茶の入ったマグを持ってきて渡してくれたママ、感動したよ~優しいね