その鉄筋がささった傷は肉芽組織が盛り上がるまで、毎日傷口のガーゼ交換が行われた。このケガも今考えると足ではなく胸や頭だったらと思うとゾッとする。私はかなり運がよいのだろう。しかしながら特に父は、ケガをした私をみても少しも慌てることはなく、また「今後少しおとなしくしているように」などと言うこともなかった。自分が父親だったら当然「謹慎蟄居」を言いわたすだろうが、まあ自分の父は、きっと子供は元気があったほうがいいと考えていたのかもしれない。
ところでK君と遊んでいると時々彼の母親がスルメを焼いて細長く割いたものを持ってきてくれた。あれは旨かった。その後、随分あとになってからK君の母親が胃がんで亡くなったのを聞いた。彼らはその後転居した。今ではK君の家と倉庫はマンションになり、自分が死に損なった空間は昔の面影をとどめていない。
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