昔、自分は救命士養成所で講義を担当していた。この心タンポナーデの身体的所見は試験の「山」ですよと強調して毎年講義したところである。これだけ病名の早い発表に至ったのはもちろん初療に携わった医療関係者の尽力もさることながら、現場で初見の救命士がこの「身体的異変」に気が付いてくれて、しかるべき施設に搬送してくれたものと勝手に解釈しているのである(結果的に傷病者救命に至らなかったのは残念であるが)。
平成4年4月に救命士が誕生し業務を開始した。その頃より救命士養成所で講義を担当してきた自分にとっては病院前救護の充実はとても嬉しいものである。
それより以前の昭和の話である。某地方病院救急部勤務中のこと。病院前救護の充実をはかるべく、地元の消防と定期的な勉強会をもとうと画策したことがあった(もちろん自分からの自発的行動ではなく当時の上司からの業務命令であったが)。しかし最初は「救急隊員には時間的な余裕もありません」「予算が組めません」とヤンワリ消防側から断られていたのであるが、あまり何回も勉強会の申し入れをしたところついに消防の本音が出たのである。
平成4年4月に救命士が誕生し業務を開始した。その頃より救命士養成所で講義を担当してきた自分にとっては病院前救護の充実はとても嬉しいものである。
それより以前の昭和の話である。某地方病院救急部勤務中のこと。病院前救護の充実をはかるべく、地元の消防と定期的な勉強会をもとうと画策したことがあった(もちろん自分からの自発的行動ではなく当時の上司からの業務命令であったが)。しかし最初は「救急隊員には時間的な余裕もありません」「予算が組めません」とヤンワリ消防側から断られていたのであるが、あまり何回も勉強会の申し入れをしたところついに消防の本音が出たのである。
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