いかりじいじのブログ

京都国際高校を認めることに反論

 少し蒸し返したいと思ったのです。私もブログで書いたように、京都国際高校が文部科学省から認定か法律用語は知りませんが高等学校として認められているだろうということは理解しています。
 しかし、日本人は、視野が狭く、認可か許可をする際に、その法律的要件を満たしていれば認可をせざるを得ない法律になっているのですよね。
 だから、例えば、猟銃を殺人に使うことを隠して許可を受ける人物を不許可にできなかったことがあるでしょう。
 国や都道府県、市町村の許可などを担当する人は、事務的なのですよね。人間としても経験が浅い場合もありますし、悪意のある者の意図など推測できる能力のある者など、少ないでしょう。また。その悪意を立証できないから仕方ないというのもあるでしょう。
 今回の京都国際高校の件では、校歌に設立者の意思を残しているでしょう。あり得ませんよね。文部科学省は校歌の件できちんと説明できるのでしょうか。
 私は、文部科学省の担当者が能力が低いとしか思えません。それほど大事なこととの認識がなかったのかもしれません。
 このことが、官僚がいつも徹底的に物事を詰めるふりをしながら、まったく詰められていないことに愕然とするのです。
 国だけでなく、自分自身のことについて、基本を外さない対応というのは、すごく重要だと思います。
 歴史的に見ても、戦国大名などが大義名分とかいうでしょう。そこを外さないように、自分自身の対応の判断に活用しなければいけないと思いますよ。
 今、自分自身の仕事でも何のためにしているのかを部下に説明できますか?私が言いたいのは、今回の件は、そういうことをないがしろにしているのではないかということです。

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