年末に餅つきに実家に行った後、寝込んでしまいました。息子が帰ってくるまでに少しお片付けをと思っていたのだけど。
年末、大阪の下町の四軒続きの長屋に住んでいた子どもの時、町内一斉の大掃除があった。
畳を上げて外に出す。畳を出すということは、家具を外に出すわけで、結構大仕事だ。
若者がいない家は、近所の若い衆に手伝ってもらう。
とにかくどの家も、参加しない家はない。
長屋同士はもちろん、もたもたしている家へは、誰とは無しに手伝いに入っていく。
その日はちょっと大きな家族のようだった。
害虫の駆除は一斉に行なわないと意味がないと言うものだったのかもしれない。
そんな光景は今でも残っているんだろうか。
小学校の時に引っ越した広島の田舎には、町内一斉の大掃除というものはなかった。
大阪のそんなところが好きだった。
大阪弁はアクセントが大きいので、広島の田舎では笑われることもあった。
広島の友達に早く広島弁おぼえんさい。と言われたとき、心の中で、私はずっと大阪弁なんや。と思っていた。
それなのに、引っ越したその夏。
大阪から友達三家族が大勢で広島の家に泊まりに来た。
その時大阪の友達が話す大阪弁の発音に笑ってしまった自分。
子供は順応力大きいんだよね。
年末、大阪の下町の四軒続きの長屋に住んでいた子どもの時、町内一斉の大掃除があった。
畳を上げて外に出す。畳を出すということは、家具を外に出すわけで、結構大仕事だ。
若者がいない家は、近所の若い衆に手伝ってもらう。
とにかくどの家も、参加しない家はない。
長屋同士はもちろん、もたもたしている家へは、誰とは無しに手伝いに入っていく。
その日はちょっと大きな家族のようだった。
害虫の駆除は一斉に行なわないと意味がないと言うものだったのかもしれない。
そんな光景は今でも残っているんだろうか。
小学校の時に引っ越した広島の田舎には、町内一斉の大掃除というものはなかった。
大阪のそんなところが好きだった。
大阪弁はアクセントが大きいので、広島の田舎では笑われることもあった。
広島の友達に早く広島弁おぼえんさい。と言われたとき、心の中で、私はずっと大阪弁なんや。と思っていた。
それなのに、引っ越したその夏。
大阪から友達三家族が大勢で広島の家に泊まりに来た。
その時大阪の友達が話す大阪弁の発音に笑ってしまった自分。
子供は順応力大きいんだよね。