日刊スポーツ
女優大竹しのぶ(61)の母、江すてるさんが、今月1日に老衰のため自宅で亡くなっていたことが7日、分かった。96歳だった。大竹の公式ホームページで発表された。葬儀は家族葬で執り行ったという。
大竹は在宅介護を振り返ると同時に「96年のあっぱれな人生でした」と大往生を遂げた母をたたえ、「母の丈夫な肉体と、強靱(きょうじん)な精神力を受け継いでいるのだから頑張ろうねと、母の部屋で子供たち2人と誓い合いました」と、ファンに向けて前向きにメッセージをつづった。
◇◇ ◇◇
皆様へ
母・江すてるが、9月1日に永眠致しました。
96年の幸せな生涯でした。
5月ごろから少しずつ食欲が落ちたものの、6月には孫、ひ孫たちに囲まれ誕生日をお祝いすることも出来ました。
私の息子、息子の友人たち(彼らは卒業後も度々、母に会いに来てくれていました)から、96本のバラを頂き、「私は世界一幸せなおばあちゃんです。万歳!」と大きく両手を広げて叫んでいました。
6月、7月の猛暑が続き、徐々に食欲とともに体力が落ち、ベッドにいる時間が長くなりました。
1年程前から、在宅医療の先生、息子、娘たちとも話し、最期まで自宅でという気持ちは揺らぎませんでした。
8月になると飲み込むことも難しく、私たちにとっても辛く厳しい日々が続きました。
苦しい、苦しいと身体の訴えが多くなる中でも、最後まで感謝の言葉を言う母でした。
こんな身体になってしまって申し訳ない。
皆の役に立たなくては、早く元の身体に戻ってほしいと、訴えていました。
誰かのために生きること、それが母の喜びでした。
楽になることを望まず、最後まで役に立ちたいと願い、生きようと闘っていました。
苦しかったと思いますが、悲しくはなかったと思います。
96年のあっぱれな人生でした。
母の丈夫な肉体と、強靱(きょうじん)な精神力を受け継いでいるのだから頑張ろうねと、母の部屋で子供たち2人と誓い合いました。
介護という問題を通して、沢山の励ましのお言葉、お手紙に心より感謝します。
ありがとうございました。
大竹しのぶ
******
朝日新聞金曜日夕刊に
大竹さんは連載をしているが
今日 お母様の死を
ろうそくの炎が 消えるような
老衰のイメージとは違い 苦しんで
苦しんで 最期に死が訪れたというような
ことを
自宅介護で自宅で亡くなられた
お母様のすごいところは
苦しみながらも
「片付けたいへんですね
健康を取り戻したら お手伝いします
ごめんなさい」とメモを
生きようとしていた
感謝も忘れなかった
ほんとうにお母様はすごい
女優大竹しのぶ(61)の母、江すてるさんが、今月1日に老衰のため自宅で亡くなっていたことが7日、分かった。96歳だった。大竹の公式ホームページで発表された。葬儀は家族葬で執り行ったという。
大竹は在宅介護を振り返ると同時に「96年のあっぱれな人生でした」と大往生を遂げた母をたたえ、「母の丈夫な肉体と、強靱(きょうじん)な精神力を受け継いでいるのだから頑張ろうねと、母の部屋で子供たち2人と誓い合いました」と、ファンに向けて前向きにメッセージをつづった。
◇◇ ◇◇
皆様へ
母・江すてるが、9月1日に永眠致しました。
96年の幸せな生涯でした。
5月ごろから少しずつ食欲が落ちたものの、6月には孫、ひ孫たちに囲まれ誕生日をお祝いすることも出来ました。
私の息子、息子の友人たち(彼らは卒業後も度々、母に会いに来てくれていました)から、96本のバラを頂き、「私は世界一幸せなおばあちゃんです。万歳!」と大きく両手を広げて叫んでいました。
6月、7月の猛暑が続き、徐々に食欲とともに体力が落ち、ベッドにいる時間が長くなりました。
1年程前から、在宅医療の先生、息子、娘たちとも話し、最期まで自宅でという気持ちは揺らぎませんでした。
8月になると飲み込むことも難しく、私たちにとっても辛く厳しい日々が続きました。
苦しい、苦しいと身体の訴えが多くなる中でも、最後まで感謝の言葉を言う母でした。
こんな身体になってしまって申し訳ない。
皆の役に立たなくては、早く元の身体に戻ってほしいと、訴えていました。
誰かのために生きること、それが母の喜びでした。
楽になることを望まず、最後まで役に立ちたいと願い、生きようと闘っていました。
苦しかったと思いますが、悲しくはなかったと思います。
96年のあっぱれな人生でした。
母の丈夫な肉体と、強靱(きょうじん)な精神力を受け継いでいるのだから頑張ろうねと、母の部屋で子供たち2人と誓い合いました。
介護という問題を通して、沢山の励ましのお言葉、お手紙に心より感謝します。
ありがとうございました。
大竹しのぶ
******
朝日新聞金曜日夕刊に
大竹さんは連載をしているが
今日 お母様の死を
ろうそくの炎が 消えるような
老衰のイメージとは違い 苦しんで
苦しんで 最期に死が訪れたというような
ことを
自宅介護で自宅で亡くなられた
お母様のすごいところは
苦しみながらも
「片付けたいへんですね
健康を取り戻したら お手伝いします
ごめんなさい」とメモを
生きようとしていた
感謝も忘れなかった
ほんとうにお母様はすごい