5人と1匹~お気楽家族~プラスα

らぶらどーる寝とり~ば~のれおんとその他大勢のにんげんのくらし。

最近のこと

2009年02月20日 | いろいろ

去年、職場で貰ったチケットで 一緒に楽天VS阪神の試合を観に行った次男は

この春、東京に就職が決まりました。

あれ程 東京に出るのを嫌がっていたのに結局は池袋の支社に配属になりました。

(もちろん、大学卒業が大前提ですけど・・・)

もうあと1ヶ月とちょっとで この家から巣立っていくのです。

1人前の社会人として 親元を離れていくのは しごく 自然な事ですが

今の生活の中から”彼”の存在が消えてしまうという現実に

実は 内心 かなり 喪失感を抱いていることを 否めません。

子供の存在に決して依存しないで生きていくことを信条としてきたはずなのに

『失いたくない』という想いがこれ程だとは 自分でも意外でした。

今から、その来るべき日のことを 思い描いては

リアルに涙ぐんでしまったりしています。

 

こうなってみて 初めて 「親の心 子知らず」の言葉の意味を実感しています。

自分も あの時の親の気持ちを味わう順番が回ってきたんだなァ・・・・・って。

 

 

ブログの更新をすっかりやめてしまった去年の秋口から

更年期の症状と五十肩のダブル攻撃に見舞われて

わたしの生命エネルギーは『仕事に行く』ので精一杯でした。

24時間営業のヒートフラッシュは1時間~30分に1回やってきて

お構いなしに私の体力を奪い取るし、

五十肩は 今まで経験したことのないような 激痛で

生活の質の低下を余儀なくされました。

それまで、当たり前に出来ていた事が とんでもなく難儀なことになって行きました。

よりによって 利き手の右肩に症状がでたので

あらゆる場面で本当に信じられないくらい何も出来なくなっていきました。

酷い時は、お箸を持つのさえ 辛く 食事も途中で止めてしまったり

仕事でペンを持つのも デスクの上に手をおいておくのも

PCのキーボードを叩くのもかなりきつかったし、

なにもしなくても ズキズキと病む肩に 耐えられそうにないとも思いました。

特に11月から12月は1番酷かった時期で 洋服の着替えもできず

完全に『要介護』状態に。

それまで、順調に快復してきた「うつ」状態に、薬の量を半分以下に減らして

止める方向に考えていたものを

更年期症状と五十肩の痛みのせいで 精神状態が保てなくなってるのがわかったので

また元の服用量に戻しました。

 

それ以外にも 長男の事やら

避けて通れない最大の難関は 自分の『母』に対する”自分の想い”

 

うまく付き合わなきゃと思う理性の部分と、押さえきれない感情のバランスが

ここにきて また 崩れてきていること

自分自身を誤魔化しきれなくなっていましたから・・。

「母を好きになれない自分」

「母をあるがまま受け入れられない自分」

「母を嫌いだと思ってる自分」

「母に優しくできない自分」

気がつけば いつも「自分を苦しめる選択をしている自分」

そんな自分の存在そのものが許せなくなってきて。

母は母なりに この『家』で自分の居場所を獲得しようと

ただそれだけのことなのに

母がこの『家』に馴染み 生活の基盤を確立していけばいくほど

私にとって『家』は大好きだった『家』は

居心地の悪い、愛着のもてないものになっていってしまうのです。

 

 

母といると

私はあるがままの私でいられない。

 

5人と1匹の暮らし

 

もう戻らない時間。

 

『家』で過ごす時間を 愉しむことができなくなって

ブログの更新はできなくなっていたのです。

 

 

 この家に居る『母』を

好きでいられない 自分自身を

受け入れられない『自分』

 

何をどうすれば この呪縛から

解き放たれるのでしょうか。

 

 

 

 

 


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