G線上に ひとり

by remico

詩と写真と生活もざいく
 

らっきょうについて

2008-07-26 09:35:43 | 生活もざいく
昔、山芋堀の仕事をさせてもらってた頃、農家のおばさんに、らっきょう堀りを手伝いにおいでと誘われた。
 50キロほどのらっきょうを素手で堀りおこし、赤ん坊を洗う金たらいに、泥らっきょうの頭とお尻を包丁で切り落としたあとさぶんと、入れる。そうして水の中をかき回す。最初はうずを巻いた泥水のなかを薄皮がむけて水と皮と身の混沌状態。それをさらに水を変え、さらにひたすらかき回す。やがてだんだんと泥水が澄んでいく。それを何度も繰り返していくうちに薄皮も次第に水とともに流されて、剥き身になり白さを帯びてくる。
 。
こちらも水をかき回す行為に集中し、無心になってくる。
らっきょうの姿と対峙していると次第に、自分も剥かれたらっきょうに、なる。

そうして剥かれたらっきょうは、水の反射と陽の光に輝きだし、水晶の珠のようだ。私は商品として流通するらっきょうではなく、らっきょうの命の過程を識ったのだ。
だから高価な宝石など、要らないと思っている。
それよりも自分の人生も、いよいよ、らっきようのようでありたいと思う。
裸身でよい。