G線上に ひとり

by remico

詩と写真と生活もざいく
 

太陽の会話(朝日編)

2006-10-22 09:07:37 | 詩アラカルト
おかあさんほらみて

娘がいうので
窓辺まで ついていくと
よその家の屋根から
朝日がまさにのぼらんとする瞬間
写真に撮ってるのは 娘

朝日があたりはじめると 影ができる
その影に見とれている
あさごはんは その影の話題だったりする

きのうは夕日がすごかったよ
どこから見るといいか教えてあげる
公園か 学校の運動場
と得意げに話す

わたしのまねをして
撮っている娘は
もう私の背丈を追い越したのだ

(写真は娘が撮影したものです)


太陽の会話 (夕日編)

2006-10-22 09:00:45 | 詩アラカルト
おかあさんも
今日はすごい夕日をみたよ
いい場所で写真を撮ろうと場所を探しているうちに 
すっと影に隠れてそのまま姿を隠してしまった
見た瞬間に撮ればよかった
というと娘は
おかあさん だいじょうぶ
わたし
昨日もそのまえの日も見れたから
あしたもきっとまた見れるから
心配しなくていいよ
ほら
とデジカメのなかの太陽を差し出してくれた


アカンボウノ現場カラ

2006-08-14 15:22:52 | 詩アラカルト
アカンボウの現場から

くめどもつきぬ大粒のナミダ
鼻水
吹き出る汗
ちんちんのわきの湿疹のプツプツ

翌日まできづかなかったこともある
原型をとどめる
まだいいにおいの うんち
のついた ちんちんを
おくめんもなくさわる
わたしの素手

くにゅくにゅとぷるぷると
くにゅくにゅとぷるぷるの

かわいい 
いとしい
いとおしい 感嘆符

ちいさなもみじの おゆびを
おくちに はこぶその手を
わたしは すばやくふく
不浄のはじまりの訳さえ問わず

日々の流れの連続体
体液との遭遇の繰り返し

育児の日常と
世はさらりと流しているのだが
訳さえ問わない
いとけきイトオシサに
わたしは
無数の母たちの ながれに
しなやかにくみこまれることを 
かんじることがある
ごく ここちよく



生まれたばかりの息子に

2006-08-14 15:12:34 | 詩アラカルト
1986.3.4   無題  生まれたばかりの息子に


あなたとくらしている
いちにちに
言葉は無用
感情
というものの正体は
快不快の
単純明快な
二分法
きっとそれが
せかいのはじまり

なのに何故にこのような
複雑に孕んだ地球
になったのか
振り出しにもどることはできないが
起源の跡を辿り
わたしの魂の芯を
はるかな彼方まで
見つめていくことができたらとおもう


出産どきゅめんと

2006-08-14 15:04:00 | 詩アラカルト
2.出産どきゅめんと 1986年8月3日
  せんきゅうひゃくはちじゅうろくねん
  はちがつふつか

昼 さんじよんじゅっぷん  やや腹痛
  よじさんじゅっぷん   腹痛ぷらす下痢
  ごじにじゅっぷん    またしても腹痛
夕方
  ごじさんじゅっぷん   はらがはる
夜 じちじよんじゅうごふん はらがはる
  はちじ         はらがはる
  はちじよんじゅっぷん  はらがはる
  くじ          はらがはる
  くじにじゅうごふん   ふくつう
  くじよんじゅうごふん  ふくつう
  くじごじゅうごふん   下部痛
  じゅうじじゅうごふん  はらがはる
  じゅうじよんじゅっぷん はらがはる
  じゅうじごじゅっぷん  はらがはる
  じゅうにじ       下部痛
以下 
 ねむたくてねむろうとして
  かぶつーと ふくつーをくりかえす きろく不可能状態

つぎのあさをむかえ はちがつ みっか

鳥レバーと牛のレバーとせんまいの刺身をたべながら
わたしの出産は待たれた
鳥レバーと牛レバーとせんまいの刺身はひとくちごとに
わたしの待たれる赤ん坊の
血になっているのだと かくにんをしている

ひる にじから
よるはちじまで 
産院の真夏のろうかを
うろうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろ
にんぷではなくとも きつそうな 
このあんざんのうんどう
しかしいまやれる最上のことなのだとけつろんし
はてしなくつづけた

「うんこがしたいかんじになったらよんでくださいね」
わたしのいたみは
なんどもこれがうんこをしたいきもちではないだろうかと
助産婦さんをよんだが
 それはうんこをしたいきもちではないらしく
もうすこしうんこしたいきもちにちかづいら
よんでくださいとふたたびいわれる
いまの痛みよりも もっとうんこしたいきもちがあるのだなと
いいきかせているわたしは
すでに食欲どころではない

よるのはちじ
べっどのうえで じゅうじごじゅっぷんのうんこのきもちと
それいぜんのうんこのきもちとはあきらかにちがっていた 

もうすんでのところを さっちすると
わたしは がばとおきあがり
いたみのために しりぞけていた めしを喰らいつきはじめた
 

母の手でやっと
母は くろことなり にんぷのわたしをささえ
わたしのくちへ こめとさかなとかぼちゃを

しぬまぎわに しょうじのさんをみたような
いまのわたしのくちへ はこびつづけた


そのちょくご分娩室へ あるき

ほぎゃあ

と産道の出口で 
血にまみれたあかんぼうは ほんとうにあかく
全身で 泣いた
わたしははじめてふるえた
そのいのち
たしかな鼓動

分娩所要時間三十時間
と助産婦さんはてきぱきと
すみやかに 母子手帳にきろくした



うくうく(畏怖)

2006-08-14 14:47:50 | 詩アラカルト
8月3日と13日は息子と娘の誕生日です。
出産の詩を何篇か披露いたします。


 1.  うくうく (畏怖)



あかんぼうに ちちを ふくませる

うくうくうくうくうくうくうくうく

ひたすらに無音のおとを発しながら
むしんに すいつく あかんぼう
をみつめていると

おそれのはじまり

や または

にんげんがつくったもろもろ
しゅうきょうや せいじや げいじゅつの
はかなさと
にんげんが なぜ
しゅうきょうや せいじや げいじゅつを
ひつようとするにいたったのか 
その おろかしさのいとおしさ
が かいまみえることが
ちょっかんで よく ある

おっぱいをすうことは
えいようだけではけっしてない
おとなのしょくじが えいようだけではないのとおなじように

おっぱいをたよりにねむりにつく
おっぱいのにおいをかぎながら
おっぱいのやわらかさをたしかめながら
まもられている
かこまれている
ふくよかさ
うくうくをかんじながら
うくうくとつぶやけば
かなしくてないたこともわすれることができる
らっかんせいや

おそろしかったことをけしてくれることや

まもってくれる 絶対共依存
を うくうくのなかに 反芻する

いわば 
にんげんのありようの全体への 畏怖

母は
聖母性をもつ メスになる
子をまもる めすらいおんのごとく

へやのなかや まどのそとのせけん気配や
かぜや くうきのにおいや
すもっぐの晴天や
原発や

いっしんに あたりを嗅ぎ分けようとしている

あかんぼうにとって
なにがのぞましくて
なにがのぞましくないか
みみをそばだて なおかつ
ぜんしんが みみになり

鳥肌をたてる あけがた

畏怖のかんじょうが

あかんぼうよ

あなたのおかげで 
はじめて  しみいるように
わいてくる




まなこ 

2006-06-27 11:47:36 | 詩アラカルト
むすめとふたり

線香花火の
ちいさなほのおを
見つめている

月の隠れた夜空

くすんだ雲も
いつのまにか溶けて流れ

星の乏しいこのまちで
黒くはならぬ夜を
いつか 通らねばならない
幾夜を思う
幼き背中を見守ることは

花火の芯が
けっして落ちませんようにと
そっと息をこらしていることと
なんと似ていることだろう

むすめの
くもりなきまなこに
ぽっかりと うつる
ちいさな幻燈

朝露

2006-06-27 11:37:55 | 詩アラカルト
こんな自然の宝石があるというのに

もうそれいじょう

何を身につけることをのぞむというのか

朝露の光を受け共鳴できる裸身であれ

こころを洗う

2006-06-27 11:32:50 | 詩アラカルト
岩清水の森に
たたずんでいる
凝り固まった我れを
放出するのだ


今までの考えを止(や)めることも 必要
そして
言葉で思考することを止(や)めることも 必要
ということに ふと いたる

無心ということを願いながらも
無心ということについて 
考えてしまう 我(われ)という無用の殻



かじかの声に遠く耳をすます
鳴声そのものになるように
鳴声そのものに溶けるように


そうして
風の存在に 
ようやく気づく

みずのおと

2006-06-27 11:26:59 | 詩アラカルト
とうとうと

水が流れる音は 良い

どんなここちよい音楽も

いらなくなるから


私たちは はるかむかし

水から生まれてここへきた

陸へ上がり 

やがて しまいには

もといた場所への尊敬も忘れ


無心であるように

無心であるように

とうとうと くりかえす



無数の精霊たちのいのちの
祈りに満たされた 水の流れる音が

わたしのこころの
うちがわのふるびた ひだに

とうとうと 響く

2006-06-10 23:03:12 | 詩アラカルト
今日の陽は
三方の山々から 降りてくる
風の方向が ほんのすこし ちがうだけでも 
麦は
微妙な色の角度をなす
まっ青なグラデーション

誰の仕業というのだろうか
美しさという言葉の意味は
麦を見れば
おのずと解かるのだと
諭すかのように

実りの豊穣の光景
とは かくもあるものなのか

風に揺れる
いちめんの麦の海

そう つぶやくと
麦はたしかに
はてしなくひろがる
海になり

わたしのこころは
永遠のなかの一瞬
海を泳ぐ
泳ぐ
風とともに

麦よ
わずかなる国産小麦が 
確かにこの村に広がっているのだ
いちめんに

麦の海
とつぶやけば

まさか生産量が
消費量の一割の壊滅状態
の日本の農業の現実の側面なのだとは
信じられないくらいに
美しさそのものである

真っ青の麦のなか
一直線の農道を突っ走っる
その果てに やがて
いちめんの
金色の麦

陽に煙り

光り輝き

勇者のように走る
幻の
絶滅寸前の
バッファロー のように
揺れる たて髪のごとくに

手離す

2006-06-10 22:54:48 | 詩アラカルト
捨てる
あるいは 
手離すとも 手放すとも

いろんなものを捨ててきた 
古い写真はとうの昔に焼き捨てた 
長い髪は捨てた
重たい荷物は捨てた 
インドへは ちいさなかばんひとつで充分だった
ちいさな肩に食い込むより
捨てることのすがすがしさ 
 
赤ん坊がうまれたとき そのリズムに相容れない仕事を捨てた
こどもの成長の輝きに向き合えない暮らしなら
生きてくための金など必要にして充分な ほどほどで良し

ものを溜め込むことから消費の快感を捨てた
所詮狭い部屋にしょい込んだって しれている

夫だったひとでこどもの父だったひとを捨てた 
嘘で誤魔化す暮らしを捨てた
 悲しくはなかった 
怒りに満ち溢れた分だけ そっとくやし涙が流れた
許し続ける偽りの愛は
真っ直ぐな魂を
いびつにさせるだけだと知ったとき
 
明らかに損をするとわかっていながら 
捨てた
持ち続けることで積み重なる薄ら寒さを
捨てた
またもや今日も
 
個でありつづけることが
自律するということを知ったとき
曖昧な集団帰属意識を捨てた

母の愛の過剰が
同時に 
こどもを骨抜きにすることに気づいたとき
彼らの黒子になることを捨てた

ともに道行く途上の者同士であろうとし 
家族規範幻想を捨てた
ひとりひとり
自分らしくあればそれでよい 

選ぶことは捨てること 
ひとつ選ぶことは
ひとつ捨てることと同義語

何を捨てるか
何を選ぶか

その天秤の支点にたたずむわたしが
虚空に宙吊りになり

向かい風にさらされながら
そのことにおまえ自身 
耐えられるかを試そうとして
捨て続ける私がいる

今日も明日も 捨て続ける
いつの日か
子どもたちにも
いよいよ捨てられる
ひとりの日のために
潔く

もうきっぱりと受け入れよう

2006-06-10 22:45:33 | 詩アラカルト
もう きっぱりと受け入れよう   1986.2



もう
きっぱりと受け入れよう

座り心地の良い椅子もテーブルも ないけれど
おつゆのついた料理本
ほうれん草の緑 冴えわたり
まな板の音 ひびく
ちいさな家族を迎えた新しい生活

もう  きっぱりと受け入れよう
小さな部屋に
赤ん坊の はりさけんばかりの
泣き声
生きているよという言葉だと


もう きっぱりと受け入れよう
広いリビングはないけれど
日差しを いちにちじゅう 招いて
赤ん坊とふたりで
陽だまりへと移動するいちにち

もう
きっぱりと受け入れよう
エネルギーがあまり
朝も昼も夜も 寝たり起きたり
ちっとも私を休ませないけれど
時計で動かない 身体を
中心に すえて
きのうより 確実に
人間じみてくる
無垢ではない かたまり

快楽のかたまりそのもの
からだのよぶ こえに
いちばん忠実な時間のおまえ

もう
きっぱりと受け入れよう
考えること 思うことの
無用のひだをいくつも剥いで
ほんとうの声だけが きこえてくる
いちばん天然にちかいとき

たべる
ねむる
これだけを
赤ん坊とふたりで 獲得するために
日がな 呼吸しているのだと
言い切ってもいいくらい

もう きっぱりと受け入れよう
おまえのおかげで
私は
私自身の内なる雌を 視ることが できる
人間にまだ
かすかに残っている
野生の母の匂いを
嗅ぎ分ける力があったことを識るから

やまへゆく

2006-06-10 22:33:37 | 詩アラカルト
やまへゆく

4つのむすことふたりでやまへゆく

ふたりきりで ふゆのおわり
しずかな時と
あたたかくなったかぜを感じるために
ふたりでやまへゆく

ちいさな ちいさないのちが
にほんあしで あるきはじめたのは 
ほんのこのあいだ
ママとふたりきりも 
まんざらわるくないというかおをして

「ぼくがまもってあげる」

たどたどしい4ねんめの声で
ふたりでやまをゆく

木々をひろったり
小石をけったり
葉っぱを湧き水にうかべたり

そんななんでもない日々の重ねを
いちまい つくる
写真のなかの景色のように

いま
あなたとともに できること
それは
いまをいきるということ

2006-06-09 00:00:37 | 詩アラカルト
地上に出ている長さほどは
地下に根を張り巡らしているという
眼に見えない部分も考えると

本当は何メートルなのか
つい忘れてしまう

高さと太さばかりに
眼が奪われて