(1)旧石器時代の発見
更新世の日本に、人類がいた痕跡が発見されたのは、第二次世界大戦後であった。
1946年、納豆売りをしつつ考古学をしていた青年、相沢忠洋によって、
群馬県の赤城山麓の関東ローム層から、2万4000年程前の黒曜石の打製石器が発見され、
「岩宿遺跡」とよばれる。
この発見によって初めて、日本の石器時代が確認されるようになった。
「岩宿遺跡」の発見後、関東ローム層の中でも最上面で、
年代の新しい「立川ローム層」(3万5000年~1万年前)の中から、
多数の遺跡が発見されるようになった。
石器に使われていた「黒曜石」とは、伊豆諸島の「神津こうづ島」で産出される、
ガラス質で、鋭い切り口を得られる、良質の石材である。
関東地方では、神奈川県でも黒曜石は採取できるが、舟を造り、海を渡って黒曜石を
採取していた人達がいたと考えられている。
(2)前期、中期石器時代ねつ造事件
その後、40万~70万年前の石器が相次いで見つかり、前期、中期石器時代があったかと
されたが、2000年に一人の考古学者によるねつ造であった事が発覚した。
彼が携わった「宮城県・上高森遺跡」や「座散乱木遺跡」「馬場壇A遺跡」などの価値を
否定される事となり、歴史が訂正される。
現在、旧石器時代の遺跡として確実なのは、約3万5千年前以降の、後期旧石器時代の
遺跡のみである。
更新世の日本に、人類がいた痕跡が発見されたのは、第二次世界大戦後であった。
1946年、納豆売りをしつつ考古学をしていた青年、相沢忠洋によって、
群馬県の赤城山麓の関東ローム層から、2万4000年程前の黒曜石の打製石器が発見され、
「岩宿遺跡」とよばれる。
この発見によって初めて、日本の石器時代が確認されるようになった。
「岩宿遺跡」の発見後、関東ローム層の中でも最上面で、
年代の新しい「立川ローム層」(3万5000年~1万年前)の中から、
多数の遺跡が発見されるようになった。
石器に使われていた「黒曜石」とは、伊豆諸島の「神津こうづ島」で産出される、
ガラス質で、鋭い切り口を得られる、良質の石材である。
関東地方では、神奈川県でも黒曜石は採取できるが、舟を造り、海を渡って黒曜石を
採取していた人達がいたと考えられている。
(2)前期、中期石器時代ねつ造事件
その後、40万~70万年前の石器が相次いで見つかり、前期、中期石器時代があったかと
されたが、2000年に一人の考古学者によるねつ造であった事が発覚した。
彼が携わった「宮城県・上高森遺跡」や「座散乱木遺跡」「馬場壇A遺跡」などの価値を
否定される事となり、歴史が訂正される。
現在、旧石器時代の遺跡として確実なのは、約3万5千年前以降の、後期旧石器時代の
遺跡のみである。
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