市橋章男のなるほど!歴史ミステリー

日本史、戦国など歴史に関する話を紹介。YouTube動画を共有します。

打倒!徳川ではなかった?大坂の陣 参戦理由 戦国時代終焉を望まなかった大坂城五人衆とは 真田信繁 関ヶ原敗戦後の極貧生活の脱却へ

2021-07-21 19:13:49 | 徳川家康シリーズ

今回の動画です。

関ヶ原の戦い後、徳川と豊臣の関係は大きく変化した。家康は伏見城で征夷大将軍に就任、江戸城を始め普請事業を行うなど、政権作りを始める。家康の政治目標は徳川家を頂点とした長期的かつ安定した政権をつくることであったとされ、徳川家の主君筋に当たり、別格的存在となる豊臣家に対し、服属させるか、それが拒絶された場合には処分する事を考え始めたという。その背景には、豊臣秀頼の居城である大坂城に、集結した反徳川の浪人たちの存在があった。関ヶ原の戦いで敗戦し、活躍の場を失った武士たちは、戦国時代の終焉を望まず、最後の戦いへと挑む。