一昨日、母を空港に送って行った。
今年二回目の帰省。
母は今回、須磨での兄弟会、岡山での同窓会の後、
岡山の実家に滞在し、大阪の弟宅へ寄り、
今週末までには帰ってくる予定。
大阪行きの飛行機を私がネットで予約して
母はカードをにぎりしめて、空港でチェックする。
帰りは、急がないので
当日の仙台行きの空きを探して、シルバーパスで帰ってくる。
こうやって、何度母を大阪に見送ったかなあ。
あと何回、見送れるかなあ。
母は、去年、大阪で親しかった同年代の友達が秋、急に亡くなったことに
とてもショックを受けていた。
今年は、同郷の同窓生でリーダー格だった仲のいい友達が
体調に自信がなくて、同窓会に参加できないと聞いたことにまたまた、ショック。
姉妹の中では、長年お世話になってきた
一番上の母の姉である、叔母が80過ぎてから
同じくめっきり頼れない感じになってきた・・と
しきりにこぼしていた。
自分は元気でも、信頼して頼ってきた西日本の友達や姉の不調がこたえているよう。
いつかは西へ帰りたいと言っていた母だけど、
最近では、習い事や、老人会、仲間との旅行は仙台での方が忙しくなっている。
身体を動かしているのが好きな母は
ウォーキングにも余念がなく、元気で家の家事も手伝ってくれている。
昔は仲が悪く、今でも時々ケンカする私達母娘だけど、
今は、少しでも元気に長生きしていてほしいと思うし、
こうやって、一緒に過ごせることが
とってもうれしく有難い事と思えるのです。
(写真は、今年お正月に書初めしている母。)
そうやねえ。母を大切にしたいと最近つくづく思います。
今だから言うんだけど、muneのお母さんが亡くなられた時、私知らずにmuneんちに遊びに行ったんだよね。
muneが悲しい顔して、今日は遊べないって言った時の玄関での映像が今でもはっきり思い出せます。
子供だったから、何も言えなかったし、今もうまく言えないけど、たつのでの思い出は宝です。
あれから40年以上過ぎて、
こうやって又連絡とれるようになって、とってもうれしいです。
40数年も前のことだけど、わたしもよく覚えてる。muneんちには、本当に赤とんぼのオルゴールがなるまで、しょっちゅうお邪魔させてもらってたから…夕方になると炊事場からおばちゃんが、煮干しでだしをとって夕飯を作っとってのすごーくいいかおりがして…階段には「ほこ、水をのみなさい」と貼り紙があったよね。やさしいおばちゃんだったね。なんかついこないだみたいに思えるよ。
たけ、おばちゃんを大事にしてあげてね。私は、結局一緒に旅行にもいけなかった。うちにもお泊まりなんてなかったし。ちょっと寂しくなっちゃった
楽しかったことまた、思い出すわ。また、会おうね。
そうやね。
yaiんちにも、よく遊びに行った。
小学校の時は、どこにでも歩いて遊びに行ってた気が。。
あの辺のお寺のあたりとか、ピアノの先生のうちのあたりとか。。
変わってないかなあ。
ほんまに昔のことは脳裏にうかんでくるもんやねえ。
今度行ったら、歩いて探検したいな!