60代 スッキリ行こう🐦

還暦過ぎた!
これからも、心の向くままケセラセラ。

地震当日

2011-03-17 16:10:08 | 震災後の日々
昨夜、NTTの電話回線が復旧し、パソコンのインターネットが生き返りました。
水道は今月末になりそうとのことですが、
復旧の速さに驚きました。
各地から、いち早く駆けつけてくださった方々の力で
ライフラインが生き返っています。。。
不眠不休の仕事をしている方々に本当に感謝し、敬意を表します。



地震当日、私は仙台、八乙女の研修先にいました。
自宅から車で15分くらいのところです。
もうすぐ三時という時、グラグラ地震が来て、
治まりそうにないので、テーブルの下にもぐりました。
でも、地震は治まるどころかどんどん強くなります。

そのうち、電気がパッと消え、部屋全体でいろんなものが倒れる音が。
もぐっていたテーブルに、椅子の後ろにあったロッカーがどんどん迫ってきます。
すぐに「息子は・・どこ・・・」と思いました。

部活中で運動場か、帰り道の自転車か・・・
携帯で電話しようとしてもできません。
完全にロッカーとテーブルにはさまれ、「ああ、生き埋めってこのこと・・か・・」と思ったころ、
ようやく治まりました。

どうやって、その下から出たか覚えていませんが、
テーブルの上においたままのメガネケースとかをかばんに入れたりしたのを思い出します。

もう誰もそこにはいなくて、部屋と廊下のパーテーションも倒れていて、どこがどこだかわかりません。
もうもうと、埃がたつ中、誰かが階下に行くドアを開けてくれていて、急いでドアをすりぬけました。

下の駐車場に多くの人が集まっていて、安否確認をしました。
研修中の私達は、すぐに帰らせてもらえることになり、車で家を目指したのです。

途中では、マンションから、会社から多くの人が外に出てきていていたり、電線が垂れている所もあります。
とにかく、家族の安否が気になるのですが、途中誰の携帯にもつながりません。
信号はほとんど消えている中、道は橋になっているところは、全部15センチぐらいの段差ができていたり、
道がうねったりしています。

急いで、急いで帰らないと、車の渋滞で動けなくなるという頭がありました。
猛ダッシュで家にたどりつき、
家の前に息子の自転車を見た時の安堵は言葉になりません。

旦那は家の裏にいて無事。
母は老人会の集まりで、会館にいて、地震と同時に会館を飛び出し、
柱にみんなでつかまっていたとか。。。

息子は、広い道を自転車で登っていて、車もみんな脇にとめた地震の中、
自転車乗ってたと言ってました。
・・・

家自体には一見目につく被害はないものの、台所にはガラスの食器がたくさん壊れていて、
足元があぶなくなっています。とりあえずはガラスだけは念入りに片づけました。
本だの、何だの落ちてきていますが、
大きな家具自体はつっぱり棒で固定していた為か、倒れていませんでした。

その時点では水道がでていて、電気は止まってましたので、
急いで旦那に近くのスーパーに行ってもらったら、もう店は閉めていて店頭でロウソクとかボンベを配ってくれたのです

すぐに暗くなると思い、何を作ったか覚えてないのだけど簡単な夕食をカセットコンロで作り、
念の為にお風呂とポリタンクに水を貯めました。

ろうそくの明かりの中、シュラフにくるまり、ラジオを聞いていた。

・・・
その日の事は、こんな感じです。

大きな地震とは思いましたが、
こんなひどいことになっているとは、その時はまだわかっていませんでした。









コメント (2)
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