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禁欲 の ススメ ~ オナ禁によって精神力を高める ~

性欲を含め、あらゆる欲望を理性によってコントロールすることを目指すブログ

9日目

2009年06月17日 | 少し考えてみました(笑
人間は過去に戻ることができず、シュミレーションのように人生をやり直すことができない。

当然だけどw

でも、自分がこれまで生きてきて、迷ったときに考え、選択したことは少しでも違うのであれば自分の人生、ひいては自分の関わる人たちの人生が変わっていたと思う。

例えばうちのじいちゃんは兵士として戦地に送られる途中に終戦を迎えた。仮に戦地への送り出しが早くて、終戦が遅くて戦死していたらredモンスターはこの世に存在しない。もちろんうちの家族だって跡形もない。

例えば、両親が子供を作ると決めて、仕込みをした日があろう。結果redモンスターは存在している。しかし、それが何かのアクシデントで1日ずれていたら?ずれていなくても仕込み自体に不備があったら?・・

redモンスターが思うに(他にも偉い人が言ってるけど)、人間がする意識的であれ、無意識的であれ、大きな選択であれ、ほんの些細な選択であれ、「選択」が少しでも変われば、後の結果と事の進展は全く違うものになると思う。

ぶっ飛んだことを言えば、redモンスターが小学生のときに、学校の教室で隣の生徒が鉛筆を落としてそれを拾ってあげたという「選択」があったとする。
もしそのときredモンスターが拾わなかったり、鉛筆の転がり加減で別の生徒が拾ったり、本人が拾ったりしていたら、そこから生まれる選択の違いでその後の世界の成り行きはがらりと変わっている可能性がある。redモンスターは既にこの世にいないとかw

さて、本題はredモンスターが禁欲を始めたことで、禁欲をしなかった人生と比べて、今の自分の人生は良いほうへ転んだのだろうか?ということ。

禁欲生活実践を経て今の自分の取り巻く状態は結果的には「よかった」といえる。

しかし禁欲生活を選択せず、以前の通り何の精神的抑制もなしに生きることを選択した場合の自分自身の事の成り行きも見てみたいものだ、とふと思ったのだ。

禁欲生活を努力して約二年。

2年も経てば相当の選択が積み重なる。おのずと「成り行き」もかなり変わっているだろう。

もしかしたら死んでたりもするだろう。何か不意なことに巻き込まれて小金もちになってるかもしれない。デキ婚している場合だってある。。

まあ、さして突飛な「結果」がないのであれば、、、どうなのだろう?
なんとなく、もう少し「向上心」のない人間のような気もする。

人生なんてどこでどうなるかなんて分からないけれど、それでも自分でかんがえ、決め、行動していって結果が導き出されるもの。redモンスターの考えではそれは運命とは違うと思う。だからこそ面白い。

ほとんどの人がそうだと思うけれど、社会人になって、

ああ、あのときまわりの大人たちが口をすっぱくしていっていたあれはこういうことなのか・・・はぁ。。。
・・・あのときあんな「選択」をしていれば・・・

ということが多々ある今日この頃。





6日目

2009年05月02日 | 少し考えてみました(笑
最近睡眠時間が増えている。
起きようとすればぱっと頭も冴えて起きれるのだが、最近は日々の予定に余裕があるせいか、惰眠を貪ってしまう。。

しかしオナ禁+朝食抜きは頭の冴えに良い。
それがプラシーボであっても。

しかし、最近オナ猿に戻ってみて思ったことは、毎日リセットを繰り返すと、
リセット直後の頭がボ~・・とした感じが日常生活の中でずっと生じるということ。
ちょっとしたことですぐに勃起し射精欲が高まる。

ただしこれはしいていえば日常生活が行える程度のものなので、オナ禁を覚えたものにしか違いが分からないかもしれないが。

redモンスターの仮定。

リセット時に脳内に発生した脳内物質は毎日分泌させると脳内に残留した状態が続くのではないか?(それがボ~とした状態)

毎日何らかの形で脳内で性的興奮剤を分泌させると脳内に残留し、僅かな視覚的、触覚的な性刺激で興奮を誘発させ射精欲が高まるのではないか?

どうなんだろうか?まあ、脳内物質云々はともかく、長期オナ禁を経験した同志にはredモンスターの言いたいことは通じるのではと。

31日目

2009年01月26日 | 少し考えてみました(笑
非常な、衝動的な射精欲がなくなってどれくらい経つだろうか?

このような状態をある人は牙を抜かれた攻撃性のなくなってしまったオスと捉えるかもしれない。

しかし、個人的な感想を述べると、そうでもない。

いまだに、あたりまえだがかわいいこは好きだし、街で見かけると釘付けになる(笑
そして自分の人生に明確な目標があれば、やりたいこと、るすべきことをもっていれば衝動的な性欲がない状態はむしろプラスなのではないかと思う。
何か、すべきことをしているとき、以前はオナニー欲に襲われたものだが最近はそれによって集中がさえぎられることがほとんどなくなったから。

オナ禁は去勢されているわけではない。長期オナ禁の精神状態は本来のニュートラルな状態なのかもしれない。

兵士は戦闘状態になると精神のスイッチが切り替わり五感が冴え渡るという。しかしその状態を長期にわたって維持しなければならなかったりするとやがては心身ともに壊れてしまうだろう。

高い性欲の持続は現代社会では普通のことだが、きっとどこか精神にひずみをもたらしていうると思う。
その違和感を持っていたからこそオナ禁に興味を持ったのだろう。

17日目

2008年11月29日 | 少し考えてみました(笑
仕事柄、欲の赴くまま生きている人によく遭う。
快楽を得るため仕事をし金を稼ぐ。
一番多いのはやはりギャンブル関係と風俗。こういうものにはまっている人は妻子の有無は関係ないようだ。というより、頭ではわかっていてももはや中毒に冒され正しい判断と行動が出来ないといった感じだろうか。本人は自身の行動をどう感じ認識しているかはわからないが。
身近にはいないが仲間の仲間などの話を聞くとそういった歯止めのきかない行動が祟って家族崩壊や借金を背負った話を多く聞く。まあ、ありがちな話ではあるが(笑)
一見理性的でキャンブルもせずお金を浪費せず紳士的なひとでもめっぽう女癖がわるかったりもする。もちろん妻子もち。

考えてみれば、自分自身もまた、ついこの間まで欲の赴くまま生活していたのかもしれない。確かに話に聞く常識破綻者に比べれば、その差は大きいのかもしれないが、己の恐らくは過剰な欲に精神を支配され過剰な欲のために自分の時間とお金と精神を浪費していたのには間違いない。

そうした負のループから少しだけ離脱するとどうもそうした欲に支配され行動している人々を愚かしく思ってしまう。
しかし、それは一種の自己と他者を比べた上での自己の優越感ゆえの卑屈な精神の一種。是非そんな優越的な感情は避けたいものだ。禁欲挑戦者として謙虚でありたい。

今の経済は欲によって支えられている。景気が冷え込むとは、皆が禁欲に走ることともいえよう。各業種はそれを避けるため一生懸命人々の欲を煽るために必死だ。
社会人として、今の自分自身のポジションが、多くの人々の欲の消費と快楽の実現によって支えられているというのは禁欲者としては皮肉に感じる今日この頃。

13日目

2008年11月25日 | 少し考えてみました(笑
人間の幸福感とは不思議なもので、幸福感を得るために欲望を満たそうと尽力する。しかし欲望は満たされてもそれは一時的で更なる欲望が生まれ、得た幸福感は長続きしない。

欲望を満たすこと=幸福

それが正しい答えではないということはほとんどの人間が知っている。しかしなぜかそう信じているかのようにみな行動するし社会構造もそのようにできている。

富を独占したからといって幸せではないことを知っている。
しかしそう願うしそれを目指す。

権力を得たからといって幸せではないことを知っている。
しかし得たいと願うし努力する。

好きなだけ女を抱き自分の虜にしたからといって幸せではないことを知っている。
しかしそれを夢見るしそのために必死になる(笑)

この3つのことはよくドラマや映画の中できかれる台詞だ。
みんな頭ではわかっている。しかし求めてしまうもの。
たぶんそれは快楽であり幸福ではない。擬似的幸福。
おそらく快楽による擬似的幸福感は正しい形での幸福感より気持ちいいし刺激も強いのだろう。だからみなそちらを取り違えてしまったり、知ってても短絡的にそちらでいいやと手を染めてしまうのだ。

では正しい幸福感とは?
・・・それはとても難しい。快楽の定義より精神的であるし抽象的であるし、宗教的でもある。そして各個人の捉え方しだいであるし、考え方次第。

少し昔、ある人が宗教は麻薬だといったが、政治的な色と、権力掌握のためのプロパガンダが混じればたしかにそうだと思う。
しかし、、資本主義と民主主義。これもまた民衆を酔わせる麻薬ではなかろうか?民主主義の要は民衆(人間)の欲望を満たし更に煽るシステムだから。

おいしいものは体に悪い。歯止めをしなければ成人病や手遅れになる病気にかかる。それに似てるかなと思う。