回り道の果てに。

チラシの裏的blog。

信用危機と経済的自立への道。

2008-10-13 05:01:23 | Self-Finance
今週末で、実トレードを始めて7か月になる。1万USDの資金で始めたが、今回の信用危機に乗じて軍資金を1万5千USDに殖やす事ができた事実は大きい。キャッシュ口座からパターンデイトレーダー口座に移行するための最低資金2万5千USDまで、あと1万USDとなるからだ。そして勿論、5割殖やせたという数字は自信に繋がっている。


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2005年10月にジャンプアップセミナーを受けて、今月で丸3年になる。その間、沢山の人達がDTNの門を叩き、トレーニングを続けている。中にはここを卒業して独自の道を歩む人達も現れた。翻って、自分はこの3年で少しは成長できただろうか? と最近よく考える。


スイングトレードであるHLBGPが全盛の時期に、俺はDTNと出会った。だから、スイングのトレーニングだけは毎日やった。Gappers'Eyeも毎日隅から隅まで読んだ。今思えば、飽きっぽい自分がよく3年も続けられたと思う。そして、企業で就職して2年目の今年は、去年作った軍資金を元に実トレードにも挑んだ。


実トレードを始めてから、ドローダウン(というか大きなカットロス)には、4回喰らっている。1回目はRTの操作ミス、2回目は3連陽線後の追っかけエントリー、3回目はストップロスラインを設定しておらず傷が小さなうちにカットロスができなかった事、4回目は今回初めて経験した信用危機の中で脱出のタイミングを間違えた事が原因だ。


1・2回はともかく、3・4回目のエントリー自体はミスではなかった。従って、次の課題はイグジットであろう。ダメなエントリーがなくなった事は、この半年での収穫と言える。


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トレードは、お金について考える手間やストレスから解放されるため、そしてお金では買えないものにもっとエネルギーを注げるようになるための道具に過ぎないと考えている。その過程で通過するポイントとして、以下のようなステップをとりあえず想定している。


1°軍資金1万USDを作りながら、トレーニングを続ける。
2°1万USDの資金で実トレードを始める。
3°2万5千USDの資金を作り、パターンデイトレーダー口座へと移行する。
4°200株トレードでコンスタントに利益を出す。
5°500株トレードでコンスタントに利益を出す。
6°1000株トレードでコンスタントに利益を出す。
7°トレードで得た利益を実生活で使える形にする。
8°1年間通して1か月に4千USD以上の利益を揚げる。
9°退職、専業トレーダーとなる。


現在、2°まで来た。来年初めには、3°も果たせるだろう。これらを総て通過する頃には、上記の目的を達した状態(ファストトラック)に移行していたいと思う。人生は追越車線を走行するだけの力量を身に付けられるかどうかが勝負だ。

真夏のターニングポイント。

2008-08-18 00:18:42 | Weblog
オランダ・ベルギー周遊旅行から帰ってきた。
その2時間後には丹沢へキャンプに出掛けていた。
仕事してる時には感じる事のない心地好い疲労。めちゃめちゃ眠い~。


――長らく日記を書いていなかったけど、少しずつ書いてみようかな。
アウトプットは下手だからね。。
下手だけど、少しずつトライしてみたい気分になったので、仕方がない。


趣味は旅行だ。


去年のGWは弘前城で遅い桜見物をした後、八戸で三色丼を食してきた。


夏休みはフィリピン・セブ島へ、SCUBAダイビングのCカード
(ビギナーが取る、オープンウォーターの認定証)を取りに行った。


今年のGWは、1つ上級のアドヴァンストオープンウォーターのCカードを取りに沖縄島へ。


旅行を企画する時には、決めている事がいくつかある。
例えば、、


★その旅では精力的に観光地を巡りたいのか、のんびりしたいのか、最初に決める
(特に同行者がいる場合)

★観光がイマイチだった場合のために、美味しいものを食べられる旅行とする


等。自分で決めたルールを守って行動するようにすると、意外に楽しいものだ。


旅行は好いインプットになる。


普段はメディアに触れる事も雑誌や本を読む事も極端に少ない生活をしているので、
旅行を機会に自分の五感で外の世界の情報を受け取り、
それに対して自分は何を感じたか、を知るのはとても面白く感じる。


組織の一員、もとい部品として完全に取り込まれてしまうと、人は考える事を止めてしまう。
大樹の陰に寄っていれば何も考えなくていいから、確かに楽だろう。


でも自分はそれで満足しない質だと、昔から気づいていた。だから社会組織に属していても、アウトサイドにいる気分だった。これからもそうなのだろう。会社組織の中では、生きにくい方だと思う笑


じゃあ、どうしたら楽しく暮らせるのか?
そのヒントは、時々趣味でしている旅行の中にあると気づいた。

まず、自分で自分にルールを課して、それを守って生活する事。
そして継続的に知覚情報をインプットし、それに対する自分の反応のアウトプットをしていく事。

これを、自分のペースで少しずつやってみようかなと考えている。
...趣味を作るのって、何だか難しい笑

Are you hungry?

2008-03-21 01:12:49 | 原点
2月下旬から西新宿で研修が始まった。服装も、いつもの汚い作業服ではなくスーツだ。昼食は300円の仕出し弁当(食中毒の危険アリ)ではなく、食堂で700円くらいの定食(大盛り!)が割引で食える。会社にいる時間は、7時半~23時半だったのが、今は8時半~せいぜい20時半。久しく忘れていた人間的な生活を、この手に取り戻したような気分だ。


自分の時間があり、睡眠もちゃんと摂っていた頃の生活を忘れ掛けてる時点で、俺は既に会社に飼い慣らされ始めているのだろう。でも俺が会社に売るのは身体の拘束時間だけで、心まで売るつもりはない。こういう思想を持った従業員は、ウチみたいな典型的な日本型経営の会社には受け容れがたいだろうけどね。


土曜祝日も、現場によっては日曜も夜間も休みを貰えないこの仕事。「職人にナメられちゃダメだ、強気でいけ」とよく言われる。何をするにも自分に一切の裁量権はない、常に監視された職場。どこを取っても「もっと自分に向いてる仕事が絶対あるよなー」という考えが頭をよぎる。


だからと言って、今すぐ会社に異動したい旨を伝えるとか転職の準備を始めるとか、そういう事は考えていない。大事なのは、考え続ける事だと思う。何の計画性もなく、思いつくまま即行動に移す、というのは短絡的に過ぎる。研修期間中は自分と向き合う時間が取れるから、この「常に考え続ける事」を忘れないようにしたい。


今心に引っ掛かっているのは、「ハングリー精神」という言葉。「このまま終わって堪るか」という、強烈な思いの事だ。現状の自分を否定するハングリー精神は、本来パッシブな負の感情を自己実現へのモチベーションへと昇華させる装置として働く。ただ、色んな人と話してみて、自分にはそれが欠けているように感じる。


それは別に、今までの人生に取り立てて不満がなかったからではない。何をやっても中途半端だったから――人生を賭して取り組みたい事はないのか、それは何だろうか、考え抜いていないからなんだろうなと思う。今の仕事は、不得意な事にあえて挑戦するつもりでやってきた。でも、このモチベーションがくたびれてきた時はどうしよう...? そんな時は、原点に帰る事にしている。


向こう数年間~数十年間の生活にイメージが持てない事が原因で、この半年間ずっと閉塞感に囚われてきた。人生を賭して取り組みたい事どころじゃあなかったのだ。これを乗り越えるには、敢えて不本意な状況に身を置いて「今に絶対ここを脱出してやる!」という気持ち=ハングリー精神が沸騰するまで自分を追い詰めるしかないのかなー...なんて考えたりもする。


でも、中途半端な人間で終わりたくないってだけでは、これからどこへ行こうか考える指針にはならない。そこで、日常の繁忙にかまけて忘れそうになる出発点――それは同時にゴールであり、そして通過点でもある――へと立ち帰るのだ。できるだけ見晴らしの良い場所へ行って、モヤモヤした閉塞感を払ってやる。すると、将来の展望も少しずつ開けてくる気がする。


そうしたら今後数年間、その次の数年間のうちに実現したい事を、メモ帳とかにアウトプットして確認する。これはできるだけ多い方がいい。あらかた挙がったら、後は適当に現時点での優先順位を付けて(大抵は早くやっておかないとチャンスを逃す事から手を付ける事になるのだけど)実現のための準備を進めていく。


中には、相当なモチベーションと自信を持てるだけの周到な計画を必要とする事もあるだろう。でも、それがどうしても成し遂げたい事なら、なるようになるものだ。過去には何度か、その後数年間の岐路を、周囲に流されるのではなく自分の意思で決定したくて、自分でも驚くほどの大胆な行動力で常識的な発想に囚われずに壁を乗り越えてきた事もあった。


今はまだ、思いつきで薄っぺらい夢を語ってみたところでそれを追う覚悟ができていない。でも、1度原点に立ち帰って進むべき方向性を見定めれば、その時見える星がその後の自分を引っ張って、いや背中を押してくれるだろう。更に、本来負の感情であるハングリー精神すらも利用する。そこまで来ればきっと、この先辛い事があっても前を向いて歩いてゆけるはずだ。

ゲームのような。

2007-07-16 12:35:33 | 独白

自分の職場はゲームの世界のようなところだ、と時々思う。特に配管工のヒゲ野郎...奴の世界によく似ている。就業者人口の1割を占める底辺の産業らしく、常に死と隣合わせの職場なのだ。


頭上から火花、足下に落とし穴は当たり前。地下には、落ちると酸欠で即死する坑がある。屋上では鉄球付きの鎖の代わりに、6tもあるコンクリートの板をぶら下げたタワークレーンが旋回している。もしワイヤが切れれば、ドッスンどころの騒ぎでは済まない。1UPキノコなどないし、無敵になれるスターもない。


具体的にどこがゲームっぽいかと言われればそんな感じだけど、他の部分でもそう思う事がある。例えば、自分のフィナンシャルプランを立てている時。給与明細を見ながら、自分の貯金が何ヶ月後にいくらになっているかを皮算用していると、貯金額がゲームでいうEXP(経験値)のように思えてくる。


あとどれぐらいレベル上げすればEXPが何ポイント貯まって、そうするとこんな事ができるようになるからここへ行って、奴を倒せばアレが手に入る...とまぁ、昔FFなんかをやっていた時によく考えていた事とそっくりな事を、今でも物理現実の世界で想像してしまう訳だ。


そうするとなんだか楽しくなってくるのである。仕事中にふと、そういう事を思い出すと仕事へのやる気が湧くのである。他の人から見たら不可解かもしれないけど、それが俺のモチベーションの上げ方なのだ。


パプリカ。

2007-06-05 03:29:19 | 映画
今敏監督の『パプリカ』(2006)を観た。原作者はSF作家の筒井康隆。物語は、他人の夢の世界に入っていけるDCミニという装置が盗難に遭った事から始まる。

この作品では夢を映像エンタテインメントにする試みがなされ、道端の人々が次々に楽器やポストに化けて無数の人形がパレードをする荒唐無稽な白昼夢の描写は圧巻だ。その無節操さは「夢だから(笑)」の一言で片付ける事ができるから、映像エンタテインメントとして面白くするためなら端から何をやっても許される訳で、そこら辺の思い切りの良さが感じられるのが好い。

今までに観たアニメーション映画にはスタジオジブリ作品、ルパン三世、攻殻機動隊 STANDO ALONE COMPLEX、新世紀エヴァンゲリオン、その他押井守監督作品、ドラえもんの一部作品等があるが、今にして考えると、我ながらストーリーや監督の作家性を重視した作品ばかり観ている。

だが、こういう純粋なエンタテインメント作品も意外と好みかもしれないと思った。この作品はメチャクチャな夢の映像表現を楽しまなければ意味が無いので、観ている間ずっと目が離せない。動きのあるシーンが殆どなのだ。だからこそ逆に、制作者には是非息つく暇もない演出をして欲しい訳だ。『パプリカ』は、その意味では結構成功しているんではないかと思う。

ちょっとしたミステリーが「スパイス」として加わり、観終わった後も印象的なエンディングテーマが頭をグルグルと回り続けるため、観る者を「こんな夢時々見るなぁ」と思わせてくれる夢の世界に迷い込ませてくれる。それにしても、夢って、一体何なんだろうね。


『パプリカ』オフィシャルサイト

究極のオフピーク通勤。

2007-05-27 18:39:21 | 仕事
通勤には下り電車を使っている。

中学に入ってから今までは、ずっと上り線で通学してきた。今はどんなに込んでいる電車でも乗り込める自信がある。下り線がこんなにラクだと知ったのは、最近の事だ。

今は、新聞を思いっきり広げても座って読める。通勤時間中は汗をかく事も疲れる事も何ひとつない。ただ、朝のゆったりとした時間が流れているだけだ。

こんな事なら、次の計画転勤の時は東京じゃなくて今の勤務地を引き続き希望しようかな?

我慢。

2007-05-21 23:01:34 | 独白
祖父ちゃんがいつも言ってた。社会の中で生きていくには、いつも我慢ばかりだと。そういえば今日は、大人げなくもちっぽけな事を我慢できなかった。

ダイビングの本を買った。今年の夏にはCカードを取りたいと思っている。好きな事は我慢したくない。我慢する事としない事、そのメリハリを利かせられるようになる事も、今年の目標にしよう。

生きていくとは、変わっていく事。

2007-05-20 23:21:34 | 原点

1999年、仲間と共に何かを作り上げる喜びを知る(躁↑)。

2000年、他人に干渉されない生活の気楽さを知る(鬱↓)。

2001年、新生活に目が回る(躁↑)。 2002年、他人の干渉を鬱陶しく思うものの、仲間と共に何かを作り上げる喜びでそれを乗り越える(鬱↓)。

2003年、他人に干渉されない生活の気楽さを再び謳歌する(躁↑)。

2004年、独りでいる事に飽きる。同時に、友達の貴重さを思い知る(鬱↓)。

2005年、自分独りで自分の生活を楽しく充実したものにしていけるようになる事を目指し始める(躁↑)。

2006年、自分独りではなかなか自分の生活を楽しく充実させられず、再び友達の貴重さを噛みしめる(鬱↓)。

2007年、これまで演じた事のない自分にチャレンジし試行錯誤していく事によって自分の新たな可能性を探っていく事を決心する(躁↑)。その1つが「あらゆる事を楽しんでいく姿勢」

今のところ、ラッキーな事にそれはうまくいっている。これからもきっとうまくいくだろう。明日は晴れだ。晴れ男の自分が言うんだから、明日も好い日に違いない。


夜明け。

2007-05-20 21:06:09 | 音楽

2007年2月、最後のバイトが終わった。あぁ、なんか「俺の学生時代も終わりかぁ」と実感する。修論出した時には感じなかったのに、まだ次の週まで残ってる仕事を片付けてないのに、そんな気がするのだ。

とても不思議。思えば、大学入ってから今まで、院試の受験勉強以外でロクに勉強した憶えがない。それなのに、偉そうに勉強を教えるバイトをしてきた。

人にものを教えるのって、凄く面白いと思う。自分にできなかった事でも指導する事はできちゃうし、巧いかどうかは別にして、割と好きだ。


モラトリアムは終わりを告げている。今度は自分がスタートラインにつく番だ。いつか人に教えられるだけのものを身につけるために。。


夢を封印したまま見失わないようにする、フランクフルトから帰ったら、そんな生活が始まる。

 

目を閉じた その中に 見えた 微かな眩しさを
掴み取ろうとした 愚かなドリーマー

伸ばした手は 閉じた目に
映らなくて 途方に暮れる
射程距離から 随分遠く 滲む

どうにかまだ 僕は僕を 辞めないで生きている
たった一度 笑えるなら 何度でも 泣いたっていいや

精一杯 運命に抵抗
正解・不正解の判断
自分だけに許された権利

sailing day 舵を取れ
夜明けを待たないで 帆を張った 愚かなドリーマー


(BUMP OF CHICKEN『sailing day』より)