回り道の果てに。

チラシの裏的blog。

仕事と信念と葛藤と。

2013-11-08 10:03:45 | 仕事

医学部進学専門と銘打って個別指導を手がける学習塾で講師を始めて、まもなく半年になる。けれども、これまではそれについて何かを書く気にならなかった。というのも、ある葛藤を抱えていたからである。

 

私は1年ちょっと前に脱サラしてからというもの、サラリーマン時代を超える時給換算収入を達成したくて、今の段階で最も待遇の好い仕事を探してきた。

 

ただ、高待遇であることはそのまま、顧客から高額の料金を取っていることを意味する。この業界の場合、講師の給与のおよそ倍の金額が顧客に請求されているのが相場のようである(俺調べ)。

 

ということは、経済力の高い保護者を持った子ほどこうした教育サービスを存分に享受できることになる。私の仕事は、そんな格差を再生産することに間違いなく加担している

 

一方で私は、教育とは貧困を解決する手段でなくてはならないと考えてきた。貧困だけではない。弾圧・抑圧その他の社会的圧力、種々の格差や構造的な障壁のせいで苦しむ人を少しでも減らすことに貢献したい。村上春樹風に言えば、卵がシステムの壁に負ける社会を私は認めたくないのである。

 

そこに葛藤があった。私は、今やっていることは私自身の「レベル上げ」のためだと自分に言い聞かせることにして、このジレンマについて考えることを封印してきた。

 

だがこの半年間、実際に現場で受験生の学習を支援してきて、小さいながら気づいたことがある。それは、顧客に占める女子の比率が高いことだ。私の受け持ちがたまたまそうなっているのかもしれないが、授業コマ数の男女比は2:12。実に86%が女子なのである。

 

私が働いている学習塾は、医学部進学専門を売りにしている。初めは、そんなところに子どもを通わせる保護者は自身も医師であるか、単に高学歴志向なのだろうと思っていた。だがこの男女比を見て、女性が働くことに対する抑圧が依然として強大な社会だからこそ保護者は娘の手に職を着けさせようと考えているのかな、とも考えた。

 

だとしたら、今やっていることは、性差別という社会的な圧力で苦しむ人々を将来的に減らすことに貢献できるのではないか。好きで始めたこととはいえ、そう考えることでやっと、自分の仕事と信念とに折り合いをつけることができるようになってきた気がしている。

 

「やりがい」みたいな意識高い系の話ではなく、単に自分がやっていることが「気に入る/気に入らない」という低次元の戯言なのだが、組織にしがみついて生きることを止めた以上、徹底的に自分に正直に生きていたいものだと思う。