回り道の果てに。

チラシの裏的blog。

Are you hungry?

2008-03-21 01:12:49 | 原点
2月下旬から西新宿で研修が始まった。服装も、いつもの汚い作業服ではなくスーツだ。昼食は300円の仕出し弁当(食中毒の危険アリ)ではなく、食堂で700円くらいの定食(大盛り!)が割引で食える。会社にいる時間は、7時半~23時半だったのが、今は8時半~せいぜい20時半。久しく忘れていた人間的な生活を、この手に取り戻したような気分だ。


自分の時間があり、睡眠もちゃんと摂っていた頃の生活を忘れ掛けてる時点で、俺は既に会社に飼い慣らされ始めているのだろう。でも俺が会社に売るのは身体の拘束時間だけで、心まで売るつもりはない。こういう思想を持った従業員は、ウチみたいな典型的な日本型経営の会社には受け容れがたいだろうけどね。


土曜祝日も、現場によっては日曜も夜間も休みを貰えないこの仕事。「職人にナメられちゃダメだ、強気でいけ」とよく言われる。何をするにも自分に一切の裁量権はない、常に監視された職場。どこを取っても「もっと自分に向いてる仕事が絶対あるよなー」という考えが頭をよぎる。


だからと言って、今すぐ会社に異動したい旨を伝えるとか転職の準備を始めるとか、そういう事は考えていない。大事なのは、考え続ける事だと思う。何の計画性もなく、思いつくまま即行動に移す、というのは短絡的に過ぎる。研修期間中は自分と向き合う時間が取れるから、この「常に考え続ける事」を忘れないようにしたい。


今心に引っ掛かっているのは、「ハングリー精神」という言葉。「このまま終わって堪るか」という、強烈な思いの事だ。現状の自分を否定するハングリー精神は、本来パッシブな負の感情を自己実現へのモチベーションへと昇華させる装置として働く。ただ、色んな人と話してみて、自分にはそれが欠けているように感じる。


それは別に、今までの人生に取り立てて不満がなかったからではない。何をやっても中途半端だったから――人生を賭して取り組みたい事はないのか、それは何だろうか、考え抜いていないからなんだろうなと思う。今の仕事は、不得意な事にあえて挑戦するつもりでやってきた。でも、このモチベーションがくたびれてきた時はどうしよう...? そんな時は、原点に帰る事にしている。


向こう数年間~数十年間の生活にイメージが持てない事が原因で、この半年間ずっと閉塞感に囚われてきた。人生を賭して取り組みたい事どころじゃあなかったのだ。これを乗り越えるには、敢えて不本意な状況に身を置いて「今に絶対ここを脱出してやる!」という気持ち=ハングリー精神が沸騰するまで自分を追い詰めるしかないのかなー...なんて考えたりもする。


でも、中途半端な人間で終わりたくないってだけでは、これからどこへ行こうか考える指針にはならない。そこで、日常の繁忙にかまけて忘れそうになる出発点――それは同時にゴールであり、そして通過点でもある――へと立ち帰るのだ。できるだけ見晴らしの良い場所へ行って、モヤモヤした閉塞感を払ってやる。すると、将来の展望も少しずつ開けてくる気がする。


そうしたら今後数年間、その次の数年間のうちに実現したい事を、メモ帳とかにアウトプットして確認する。これはできるだけ多い方がいい。あらかた挙がったら、後は適当に現時点での優先順位を付けて(大抵は早くやっておかないとチャンスを逃す事から手を付ける事になるのだけど)実現のための準備を進めていく。


中には、相当なモチベーションと自信を持てるだけの周到な計画を必要とする事もあるだろう。でも、それがどうしても成し遂げたい事なら、なるようになるものだ。過去には何度か、その後数年間の岐路を、周囲に流されるのではなく自分の意思で決定したくて、自分でも驚くほどの大胆な行動力で常識的な発想に囚われずに壁を乗り越えてきた事もあった。


今はまだ、思いつきで薄っぺらい夢を語ってみたところでそれを追う覚悟ができていない。でも、1度原点に立ち帰って進むべき方向性を見定めれば、その時見える星がその後の自分を引っ張って、いや背中を押してくれるだろう。更に、本来負の感情であるハングリー精神すらも利用する。そこまで来ればきっと、この先辛い事があっても前を向いて歩いてゆけるはずだ。

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