気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

ある疑問

2015-07-19 00:44:29 | 日記



 最近、ジブリの宮崎駿氏が安保法制などを強硬に進める安倍を痛烈に批判をしていた記事(ハフィントンポスト)をネットで見た。
その記事の中で、確か外国の記者から質問を受けていて、なぜ日本では左派、リベラル層が政治的に大きな力にならないのか、というものがあった。

 この疑問は僕も昔から持っていて、『保守、右派』と『リベラル、左派』がほぼ半々に存在していて、国を二分する政治的力を持っている西欧の国々と、日本の違いに「なぜ」という思いをずっと抱いてきた。なぜ、日本ではこの前者である保守、右派が圧倒的に多いのか?
実は本当のところは僕にもわからない。

 そもそも保守、右派の国民の数が圧倒的に多くて、リベラルが少ないのか、それともリベラル層はある程度多くいるんだけどそれが政治的な力として結集できないのか。
僕の実感、印象ではどちらかといえば前者に傾いている。なぜかというと、例えば海外で何か人権上の問題が起こった時でも、海外に比べて日本では報道はするものの国民的な盛り上がりにならないことが多い。

 たとえば、ブッシュ元大統領のイラクとの開戦にしても、法的にはかなり問題大有りであり、そのため海外の人々の間では大反対デモが起こったが、日本ではほぼなかった。
それどころか、ブッシュを支持する日本政府を国民はほぼ黙認か支持していたという事実。
 今回の解釈改憲の問題にしても、それでは次の選挙で国民の多くがNoという意思表示をして与党が下野するのだろうか。
 要は、大多数の日本人にとって、法的正義、人権上の正義、モラルというのは政権を左右するほどの影響を持たないといっていい。


 また、この国の保守を代表する自民党の連立政権が長年にわたって選挙でこれほど多くの得票を持ってきた云う事は、やはり日本人には保守層、右派・中道右派層がかなりおおいという何よりの目に見える証であろう。もちろん、自民党の中にもかつては宮沢喜一、三木元首相、加藤紘一、河野洋平のようなリベラル層が一定数いてそれなりの影響力があった。
ただそれはたまたま彼らがそうであっただけであって、彼らを選挙で選んだ国民がリベラルだったというわけではないだろう。
 いわば、日本では自民党という一つの政党があって、そのなかに保守もリベラルも混在していたわけで、まぁ、西洋人から見れば不思議な国だったろう。

 だが、やはり印象としては自民党の中にいたリベラル層も決して最大勢力にはなれず、ただ保守層をけん制する多数派の中の少数派だったのではないか。
それでもやはり彼らの存在は党内でも一定の影響力を持っていて、政策決定の際の良識としての役割を果たしてきた。ところがここ最近は本当にごくごく少数に成り果てている…僕が最も危惧しているのはここである。

 ではなぜ日本ではリベラル層が大きな政治勢力として存在できないのか?
なぜ日本人の中には、宮崎駿氏やなくなった加藤周一氏(哲学者)、筑紫哲也氏(ジャーナリスト)、村上春樹(作家)のようなリベラル、良識派、良心派(僕の造語)ともいうべき傾向を持つ人々が、欧米のようなある一定の勢力、国を二分するような大きな勢力になれないのか…

 もっと端的に言うと、なぜ日本では『良心』『人権』『普遍的なモラル』というものを自らの信条とし、それを政治的に投票行動などで表現する人が欧米先進国と比べると少ないのか?
正直、今の僕には正確な理由はわからない。実はこのことは若い時からずっと僕の中にあって、いろいろと考えてきたのだが、はっきりとは分からない、としか言いようがない。わからないが、そうであるという事実があることだけははっきりとわかる。

 こういう考えを述べると、日本では非常に受けが悪く、たちどころに批判されることもよくわかっている。
人間というのは、真実をまっすぐ見るよりも、やはり、頭をかわいいかわいいとなでなでされたい生き物だからだ。
しかし、見る目を持った人ならば、真実をまっすぐ見る良心と勇気を持っている人ならば、やはり感じているはずである。感じているが言わないだけであろう。

 さて、これにはある程度の推論はできるにしても、それを論証することはたぶん誰にもできないし、前回の記事同様、非常に日本人受けの悪い話題なのでこのへんにしておきたい。

 あ、そうそう、安保法制で思い出したが、戦後長く続いてきた憲法というものを尊重し、そこから大きく逸脱することはしない、という「暗黙の法」とでもいうものを壊しかかっているこの政権に、平和、護憲、人権重視、というものを旗印にしてきたと僕が信じる公明党が加わっていて、それを体を張って(例えば政権離脱も含め)止めることができず、いとも簡単に自民党に押し切られていると云う事を、この党の母体である創価学会の信者の方はどう見ているのだろう。

 おそらく、本当に良心をお持ちで、自分の頭で物事を考える信者さんは、忸怩、暗澹たる思いでいるのではないだろうか。悲嘆の底に沈んでいるのではないか。
というのも、僕も創価学会ではないが、一つの信仰を持っているものとして、もし、自分の信仰している団体が仮に政治的な団体を持っていて、それがこのような企てに手を貸していると知ったら…信仰の大本までは崩壊はしないが、相当の悲しみと落胆の中に沈むことは間違いないと思うからである。

 ただ、それはあくまで組織の上層部の人々の判断であり、自分はそれとは一線を画す、という気持ちでその苦悩を乗り越えようとするだろう。
そしておそらく、学会の本当に良心的で自らのしっかりとした判断基準、宗教的信念を持つ信者さんもそのような心持でいるのではないかと想像する。
そのような信者さんがどの程度おられるのかしりようはないが、そのお気持ちを察するとともに、信じる対象は違っても、同じように信仰をもつものとして共感共苦を禁じ得ない。

 
 さて、はなしはかわって、今日は気晴らしにまた鎌倉に行きそこのお気に入りのスターバックスで仕事をすこしした。
 もうほとんどの名所には行っていて、それほど頻繁に行きたいところもなく、ただ鎌倉にいるという気分に浸りたかった。
昼間は混んでいて席を見つけるのが大変な店なのだが、夕方だったので結構空きがあってよかった。そこで閉店の9時までいて、帰ってきた。
 そのまえに、これまた鎌倉駅近くのお気に入りの大衆食堂(これも今はあまりなくなってきたけど)にはいって、湘南地方名物のサンマーめんを食べた。
サンマーめんとはいわばあんかけのラーメンのようなものである。これがまたすこぶるうまい!

 帰りは湘南新宿ラインに乗ったつもりが、最近できた上野東京ラインに間違ってのってしまい、仕方なく東京駅まで行って帰ってきた。
余計なものを作らないでよ(笑)

 それ以外特にいことも悪いこともない日々が続いている。
ありがたい。


 

 

 
コメント
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