気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

探幽殿 恐れ入り申した。

2017-07-17 11:13:00 | 




 東京の出光美術館で開かれている『水墨の風・長谷川等伯と雪舟』を見てきた。
最初友達を誘おうと思ったのだが、そう思っているうちにどんどん日にちが過ぎていき、17日で終わってしまうので今から誘っても間に合わないと思い一人で急ぎ出かけた。

 この美術館へ行ってすぐに思ったことは、あぁ、ここは僕が初めてあの不朽の名作、等伯の「松林図屏風」と出会ったところだという事だ。
あの時は感動のあまりこの作品の前で位置を変えながらも30分余りたっていたのを昨日の事のように思い出した。

 この展示会では、水墨画と言えばこの二人と言っても過言ではない雪舟と等伯をテーマにしていると云う事で、絶対に見逃せないと思っていた。
今回、雪舟の破墨山水図(上の写真)を初めて見た。

 日本水墨画の名画、傑作と言っていい、申し分ない作品だと感じた。
中央の岩肌を描いた時に使われていたのは、たぶんそれ用の太い筆だと思うが、すぐれた水墨画家独特の真価というかすごさというのは、サッと一気に書き上げておきながら、その瞬間的な筆致の中に細部に至るまで芸術的才気が行き届いていることだ。

 別な言葉でいうと、その筆致の中にその画家の神経がピリピリと毛細血管のように繊細にいきわたっていて、それを見ている僕の神経に直接伝わってくる感じ…

 これはもうある種の謎としか言いようがなくて、何か精妙な霊がこの画家の手に乗り移って書かせたとしか思えないほどの細部にまで計算されつくした美である。
それが一瞬の筆致の中から生まれている…

 この種の感覚は芸術のさまざまな表現形態がある中でとりわけ水墨画と書に鋭く現れる。
そう、特に今回感じたのは水墨画家の絵にかきこまれている漢詩などにみられる書の美しさである。




上の雪舟の書、そして





上の浦上玉堂の書などをみても、ほれぼれするほど秀逸で、こういうものを見ても、さまざまな表現形態、表現者はあれど、すべてすぐれたの芸術の道は一つにつながっていく、「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫通するものは一なり」という芭蕉のあの有名な言葉が思い出される。


 さて、今回も「僕にとっての」うれしい発見があった。
それは狩野探幽の作品である。





上の「叭々鳥・小禽図屏風」だ。
 残念ながら画像が小さすぎて、僕が最も敬服した部分である中央の鳥が止まっている枝の部分がよく見えない。
なので僕の感動を共有していただくにはどうしてもこの作品を見ていただくほかはないのだが、正直この作品を見た時はしばらく僕の足がその場から動かなかった。
 美術展で「本物」をみると僕はいつもこうなるのだが、僕はこれを見て探幽という人の凄みを感じた。

 ありがたかった、こういうものを生きて見させていただいているということに、ただただ感謝と感動を覚えた。この美術展に来てよかった心底思った。
今回、こころから畏敬、敬服の念を抱く雪舟と等伯の絵を見に来たのだが、「拙者も忘れては困る」と探幽に言われたような気がした。
 狩野派というと正直、どちらかというと悪いイメージを持っていたのだが、それはそれで別として、個人の並外れた才気の前には敬服せざるを得ない。

 今回の展示会でもうひとり見逃すことができない絵師がいた。
浦上玉堂である。
 この人の絵の前に立ちながら、その名声にたがわない才の持ち主だと感じた。生まれながらの天才、という感じである。
ただ、正直に打ち明けると、この人の絵よりも書のほうにより惹かれた。実にいい…実にいい…

 さぁ、等伯だが、前回もどこかで見た「四季柳図屏風」が今回の展示会ではもっともすぐれていると思った。
ただ…不思議なことに同じ絵を見ているのに前回の感動とは違う感動だった。
 前回は柳の葉振りの形が生み出す図形的な美しさに感じ入ったのだが、今回はこの絵全体が醸し出す「妖気」というか、何か妖艶な味わいというものに心が奪われた。

 僕はこれを見て等伯という人の複雑さ、つかみどころのない深淵をのぞいたような気がした。
この人の中にある何が(あるいはこの人の経験した何事が)このような絵を描かせたのか…探幽の絵を見た時とは違う底知れない芸術家としての凄みを見た思いがした。

 そして、これは蛇足かもしれないが、今回の展示会を見て思い出したのがやはり芥川龍之介の短編、「秋山図」である。
物語の主人公が幻の傑作といわれる絵を一度だけ見て、その後ずっと長く見る機会に恵まれなかった。ある時ふたたびその機会に恵まれて再びその傑作と対峙するのだが、どうも前回見た時とは受ける印象が違う、どうしてなのか…という筋の作品である……

 まぁ、今はそれはいいとして、とにかく行ってよかった。
ほんとうにありがたかった。


 

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写経初体験

2017-07-11 12:02:16 | 日記



 生まれて初めての写経を経験した。
あるスピリチャル系のブログで写経は亡くなった人々への供養になる(サポートする)ことができると書いてあったので、僕もそれならやってみようかと思った。
僕の数少ないいいところは、思い立ったら結構早く実行することだ。

 前から鎌倉の長谷寺で写経をさせてくれると云う事は知っていたので、さっそく行ってみた。

 非常に静かな場所で写経をすることができた。
筆を握って正式に文字を書くと云う事は、非常に久しぶりで斬新な気分になった。

 部屋の中ではすでに数人の人々が写経をしていて、そのすべてが女性だった。
察するに、これらの人々はそれぞれ何らかの「想い」を胸に抱きながらここにきて写経をしているのだろうと思った。

 



 
 僕は初めてという事もあり、いくつかあったオプションの中から一番簡単なものを選んだ。
いつものことだが、そのお経を写しながらなぜ現代語訳を併記しないのだろうと思った。
どうして昔の漢文のまま載せているのだろう、と思った。

 これは結局現代仏教というものに対する僕の大いなる疑問なのだが、ついぞ真面目に答えている人を見たことがない。
漢訳仏典そのものに何か呪術的な力があり、それに加えてある種の権威、威厳のようなものが備わっているため、それらを維持するためにわざと現代語訳してこなかった、という事なのだろうか。

 ヨーロッパでも聖書は中世までギリシャ語かラテン語でのみ書かれていて、普通の一般人には何が何だかわからなかった。
それではおかしい!イエスは実際には何とおっしゃったのだ?それを神学者やえらい聖職者の解釈ではなく、ほんとうのイエスの教えをできうる限り『正確に』知りたい!!とおもったひとびと(おもに学者や聖職者)が、禁じられているにもかかわらず命の危険を冒して、可能な限り原典に近いところまでさかのぼって(いうまでもなく聖書の原典というものはすでに失われていて存在していない)聖書の現代語訳を始めていった。
これが宗教改革の端緒となっていった。

 なぜかそれと同じことがアジアではついぞ起こらなかった……
ここに西洋と東洋の違いの一端が現れているようで面白い。






 僕は日本の神様を信仰している。
それなのに仏教の習わしである写経をするなんておかしい、と思う人もいるかもしれない。
 でもそれは一神教的な考え方で、僕の信仰する神様も含めて日本の神道というのは多神教である。

 多くの神様を敬いながらも、自らの信仰する神(一柱の神)をもっとも敬い信仰するというのが古来日本での神道信仰のあり方だった。
なので、写経をすると云う事にたいして抵抗というものはなかった。

 ともあれ、無事写経を済ませ写経室に鎮座している御仏に、亡くなった母への思いを込めて奉納し、その場を立ち去った。
これからも折に触れこのお寺に行き、写経をさせていただくつもりである。

 実は写経を済ませてこのお寺の本堂でお参りしていううちに、ある不思議な「縁」に気づかされた。
僕の家が代々信仰してきたのは真言宗、豊山派である。そして偶然にもこの長谷寺も真言宗・豊山派のお寺であり、この派の総本山である奈良?の長谷寺に安置されている本尊と、この鎌倉の長谷寺に安置されている本尊も同じ十一面観音である。

 これはたぶんただの偶然ではない、と思った。
何か温かいものが僕の胸に流れるのを感じた。


 写経を終えて境内を回っていると、あるインド人らしき人が参拝している姿が目に留まった。
その人のしぐさを見て、非常に敬虔な宗教心の篤い人であることが分かった。
 仏像の前でわざわざ靴を脱ぎ、拝礼していた。それをすべての御堂の前で行っていた。

 さすがは宗教の国、ブッダの国、インドから来た人(たぶん)だと感心した。
彼はおそらくヒンズー教徒であろうと思うが、やはり多神教を伝統に持つ国から来た人らしいふるまいである。
ブッダその人も神々の存在を否定はしていない。

 その異国の人の振る舞いは、インドの神であろうと日本の神であろうと関係ない、ただただ神仏を敬う心から生まれたふるまいだ。
僕は昔は、一神教のほうが「進んでいる」宗教だと思っていた。
 今はちょっと違う。

 なぜ自分の信仰の対象をもっとも敬愛するが、あなたの信仰の対象にも敬意を払う、ではいけないのだろうか。
どうして○か×か、One or nothingになってしまうのか…今の僕にはとても分かりにくい。

 僕がこう思うようになった背景には、やはり、今の神を信仰するようになってから経験した衝撃的な神秘体験が強烈な刻印を僕の心に刻んだからであることは間違いない。
神は実在する、しかも、それまで知っていた神(キリスト教やその他の神々)とは違う神の実在をこの目で確かめたこと、これはどんな書物から得た知識よりもはるかに大きなインパクトを僕に与えた。

 つまり、神は一つではないと云う事、この世には多くの神がおそらく実在しているのであろうこと、それと近年勃興してきているスピリチャリズムもそれを示唆していること…

 ほんとうに僕らは不思議な世界に存在している、そして、古来より多くの神仏たちが彼ら(彼女ら)を信仰する多くの民の悩みを受け取り、時にはそれを救済してきたということを、寺社を巡りながらほんとうにありありと感じるようになってきた。
それを心からありがたいと思うようになってきた。

 ほんとうに僕らは不思議な世界に存在している。そのことだけは確信を持って言える。

 
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