きょうはあらゆる「しなければならない」から自分を解放して弛緩している。
人間にはこんな時間も必要だ。かなり同世代の人間たちから見れば自由な生き方をしている僕も、そうしたいと思うということは、それなりのストレスを感じながら生きているのだろう。
先日は鎌倉で新緑を撮ってきた。同時に、昨年購入したジンバル(映画のようにスムーズに映像をとれる機械)を使って映像を撮ってみた。
なかなか面白い。上下の動きはやはり消すわけにはいかないので、完全にスムーズというわけにはいかないが、手持ちでとるよりはかなりスムーズな映像が取れた。
ただ、余計な動きが多く、見ていて落ち着かない映像になってしまった。それとバッテリーの消耗が結構早くて、もう一つぐらいは買わないといけないかなと思っている。
驚いたのはカメラの内臓マイクが意外と性能がよくて、かなりきれいに周りの環境音を拾っていた。
今回の撮影で気づいた一番の収穫はやはり余計なせわしない動きをなるべく少なくすることが大切だということ。
このあとは徐々に編集作業をおぼえていきたい。これがまぁ一番ハードルが高い部分だが、楽しみながらやっていきたい。
この日は夜までずっと鎌倉にいる予定だったが、途中で同僚から電話がかかってきて、別の同僚の御主人が緊急入院することになり、また、親御さんの体調も急に悪くなる不幸も重なり、それにもかかわらず人が足りず休めないので僕に急遽休みを撤回して出てきてくれないかとお願いされ、急遽家に帰り出勤することになった。
会社に行けば、僕に出勤を頼んだ同僚にたいして、ちょっとそれはあり得ない(頼み)でしょ、とみんなから非難ごうごうだった。が、僕としてはこういう時に頼まれると、どうしても放っておけない…因果な人間である。自分自身もかつて重病人を抱えていたものとして、人ごととは思えなかった。
死は前より来たらず、後ろより来たれり、だっただろうか、そういうことを言った平安時代の世捨て人がいたが、それは実感としてよくわかる。本当に前触れもなく来る。
もちろん、今度のその同僚の家族に起こった事がそれほど深刻なものにならないことを祈るが、僕の頭をふとよぎったのはその人が仕事に来ることによって取り返しのつかないことになることを避けさせてやりたかったということである。
僕の休日が台無しになってしまったことはかえすがえすも残念ではあったが、僕らは人間である。この程度のことをしなかったらそれはある意味ロボットと同じことになってしまう。
最近はそんなこんなですごしている。ことしは映像と音、の世界に浸っていく予感がする。