気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

徳川家康 真の英傑

2015-01-19 00:10:56 | 歴史

 時々BSの時代劇チャンネルで過去のNHKの大河ドラマを見ている。
実は2011年の四国疎開時代、近くの貸しビデオ屋さんに過去の大河ドラマのビデオがずらっとおいてあったので、大概のものはその時見た。

 その中で最もおもしろかったのは、足利尊氏を主人公にした「太平記」と徳川家康を主人公にした「徳川家康」だった。
この二つは僕の中では、過去のNHK大河ドラマ群中の双璧といっていい。

 ところが不思議なことに歴史好きの僕にしてはこれらの番組をリアルタイムではほとんど見ていないのだ。
実はこれらの放送をしていたころの僕は、非常に苦しかった時期であり、そんなものを楽しむ気持ちの余裕がなかったのだろう。

 それはいいとして、こんどBSの時代劇チャンネルで「徳川家康」の【本能寺】の回をみて少し思うところがあった。
光秀が謀反を起こすことをなんとなく嗅ぎ付けていた家康が、本能寺の直前にぽつりとつぶやく言葉がある。

 「わしに忍べたことが光秀に忍べようか…」

 というものだった。
 光秀が信長に大いに不満を持っているということは、家康にも感じ取れていた。
だから謀反の匂いを嗅ぎつけた時、上記の言葉が漏れた、というのがドラマの設定。

 この大河ドラマは山岡荘八の原作を土台にしているものなので、たぶん原作にこのセリフがあるのではないかと思う。
もしそうであればうまいことを言わせるな、と思う。
 あまりにもリアルな感じがするので、これは本当に家康が漏らした言葉ではないかと思うほどだ。

 要するに、原作者はここが光秀と家康の違いなのだ、ということを言いたいのだろう。
無理難題を押し付けられているのは光秀だけではない、織田家の家臣たちはもちろん、家康も同じである。
だが、光秀にはそれが耐えられなかった。

 僕は子供のころは秀吉が一番好きで、その次が信長、家康はあまりにも平凡にみえて好きではなかった。
ところがここ数年、家康という人物の器の大きさが自分の中でぼんやりとだが徐々に感じられ始めている。
やはり、天下は収まるべき人物のところに収まったのだな、と今は思うようになった。

 今まで生きてきて思うのは、生きるということは自分の心をいかに治めるか、ということではないかとおもう。
他人の心ではない、他人の心は自分では変えることはできない。人の心が変わるのは、自分の行動が取り返しのつかない結果をもたらしたときだけではないだろうか。
そうなった時に初めて、自分の心得違いに気付かされる…そうなった時に初めて、心の底からの悔悟の念が生まれ、変われるのではないか。

 たとえ親であろうと上司であろうと、他人から指摘されても反発こそすれ心底から反省することはほとんどないと僕は思う。
それが我の強い普通の人間ではないだろうか。その我を砕けるのは唯一、自分のやったことがもうどうにも取り返しがつかない結果になった場合だけだろう。
そういう経験をするために、時間が過去から未来にのみ流れるこの世に、我々は何度も何度も悟るまで生まれさせられるのではないかと思う。

 そういう中で、僕らが注力しなければならないのは、ただ一つ自分の心をどう治めるか、ではないだろうか。
幼いころに今川義元のところに人質に出され、さらには移送中にさらわれて織田家の人質にもなり、そこでの苦労は相当のものだったろう。
独立してからは信長に同盟者であるにもかかわらず、まるで家臣でもあるかのように扱われ、それでも黙々とその命に従った。

 三方が原では信玄の3万の大軍にわずかな勢力で向かっていった。もちろんこの時、死を覚悟したうえでだろう。
彼が偉かったのは、信長に義を感じ、それにあかしをたてようとしたところだと思う。
今川の属将からやっと離れて独立大名になれたのも、信長がいたからこそだ。桶狭間の戦いのときは家康は今川の将として信長と戦っている。
本来なら攻め滅ぼされても仕方がないところを、信長は家康を同盟者としてくれた。

 織田家に人質になっていたころは、もしかしたら、信長は家康を人質としてではなく、対等な年少の友達として遇してくれたかもしれない。
義元のところにいた時は人質として冷遇、蔑視されることもおおかった家康にとって、それは心底からありがたかっただろう。
家康はそういったことに恩義を感じていたのではないか、だからこその三方が原の捨て身の戦いだったのではないかと。

 並の武将であれば、あそこで信玄側に寝返るか、寝返らないまでも傍観(形だけの出陣)を決め込んだのではないかと思う。
それを彼は真っ向から、信玄の大軍に挑んでいった。深謀遠慮の人、家康がそういうことをするには、何かあると思うのが自然であろう。家康という人のなにがしかがこの行動に顕現していると僕は感じる。

 同じ観点から、わずか2万程度の兵力で8万の大軍を擁する秀吉に真っ向から挑んだ小牧長久手の戦を僕は見る。
あの戦いは普通に考えれば、いくら野戦の名手と言えども家康に勝ち目はない。にもかかわらず、信長、信忠(信長の長子)なき後、信長の正統な後継者である信雄の援助要請に応じて立ち上がった。これも並みの武将であれば、信雄の援助要請をことわるだろう。それに応じるということは、勝てるかどうかわからない、可能性としては負けることが濃厚な戦をするということになる。いったいどの武将がそんな危険な賭けをするだろう。無謀ともいえるリスクを冒してまで家康がたったということは、そこに何かあると考えるのが自然である。
 彼を立たせたものは義憤であろう、信孝(信長の三男)を切腹に追い込み、今度は二男の信雄まで亡き者にして、織田家を簒奪しようとしている秀吉が我慢ならなかったのではないか。

 もちろん、あそこで戦っておくことによって、信長亡き後の自分の権威に箔をつけて、秀吉に一目置かせようとしたというひともある。しかしそれは、歴史を後から見る後世の恣意的な解釈であろう。
 ただそのためにだけあのようなことをしたとは思えない。そう思うにはあの戦いはあまりにも勝算が薄い。
戦を始めた段階では、あのような形(言い出しっぺの信雄そのひとが家康に黙って秀吉と和睦を結んでしまった)で和睦に終わるという保証はどこにもなかった。
どちらかが倒れるところまでいった可能性も十分にあった。
 可能性としては数と勢いに劣る家康が敗れた可能性のほうが高い。

 深謀遠慮の人家康が、それでも立ち上がったのはなぜか…
僕はそこに家康という人の、人となり、底の深さ、器量の大きさ、義の厚さ、そして、尋常ならざる胆力をおもう。
自分を戦国大名として独立させてくれた信長への「義」ゆえに立ち上がったとしか思えない。

 僕はナイーブなのだろうか、いや違うと思う。
下剋上、裏切り、主殺しが日常茶飯であったあの時代、僕はどうしても家康の中になにかけがれなきものを見ざるを得ないのだ。
同盟といえば自分に都合のいい時だけは維持し、必要がなくなったら一方的に破棄されることが当たり前のように起こっていたこの時代に、信長の死まで一度も破られることなく続いたこの二人の稀有な同盟は、この家康の気質を抜きにしては絶対に語れない。


 家康のばあい、最晩年の豊臣家を滅ぼした時の行動があまりにもクローズアップされすぎていて、それがかれのその最も大事な部分を隠してしまっている。
司馬遼太郎もそのことを洞察していて、家康を非常に気の毒な人とエッセイの中で表現している。
 豊臣家を完全に滅ぼさなければ、徳川幕府の安泰はない、ということは、人間の本質・本性というものを知悉している者ならだれでもわかることである。

 家康こそ日本史が生み出した真の英傑、ひとり国家だけでなく、難事中の難事である自らの心を見事に統治した人だといえる。 

 

 

 


 
 
 

 

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初占い

2015-01-06 01:38:25 | 日記



 今年になって初の占いをしてもらった。
僕をよく知っている人なら、僕が占いを単なる当たるも八卦…とはとらえていないことはご存じだと思う。
僕を知らない人なら、占い?ばっかじゃない、と思うかもしれない。
でも、「ばっか」なことじゃないんですよ、これが。

 そういう態度はちょうど古代の人が海をずっと進んでいくと崖になっていて、そこから落ちてしまうと云う事を信じていたのと、本質的には同じことである。
まぁ、それはいいとして、今回占いをしてもらったのはある不安がいくつかあったから。
 
 今日見てもらった人は、僕が過去に占ってもらった人の中では「新宿の母」として知られているあの有名な方と、まぁ、同じぐらいの実力、あるいはそれ以上のだと感じた。
手相と、四柱推命、さいごにちょっとタロットで見てもらった。

 まず、比較的いい手相だといった。
 僕の手は中央の部分がへこんでいる。こういう人は苦労をしてきていますね、といった。
お顔を見ると平穏無事な人生を生きてきた方に見えますが、実際は苦労してきてますね、といった。

 つぎに、愛情が深いですねといった。それとこれは四柱推命で出ているそうだが、頭のいい人ですね、といわれた。
つぎに、優柔不断でしょう、といわれた。(ただ頭を垂れるのみ)四柱推命のほうでは、僕は女性に多いものを持っていて、女々しいところがあるとまで言われた。(ひたすら頭を垂れるのみ)

 今まで何度か挫折して、でも辞めずに続けてきたものがありますね、とも言われた。
僕の懸案の一つである、将来もくいっぱぐれずに生きていけるかと聞いたところ、お金はたまりませんね、入ってきてもすぐに出ていきます…でも、食べていくことはできます、あなたには人、物、金だったかな、の運はついていますからといった。
 困っても周りの人に助けられる運を持っているといわれた。

 これは前別の人に占ってもらった時も同じことを言われた。だが…あまりその実感はないのだが。
ぼくにはコミュニケーションの能力があるといわれたが、これがいわゆる口を使ったコミュニケーションだったら全く僕にはそんな能力はない。
口下手もいいところだからだ。ただ、もし文字を使ったコミュニケーションのことを言っているのだったら、少しは当たっていなくもないかもしれない。

 ある種の世界観を持っていて、かなり頑固で、職人気質です、だから会社勤めは向いてないですね、とも指摘された。これはめちゃくちゃ的中している。
今回は指摘されなかったが、以前鎌倉で占ってもらった時は芸術面の才能が有りますといわれたことを思い出した。
それと今日初めて言われたのは、晩成型だということ、それと若いころ結婚するとダメな手相ですとも言われた。これをきいたときも、あまりにも正鵠を射ている(晩成型のほうはどうかわからないけど)ので、この時点ではもう彼女の力に敬服し始めていた。

 相当できる占い師であることは間違いないと感じた。普通はここまで具体的に言ってしまうと外れるものも多く、実力のない占い師だとそれを恐れてもっとあいまいにある程度の解釈の幅を持たせた言い方をするものだ。だが、今日の占い師はかなり具体的な指摘をしてきた。

 最後に、最後の懸案事項をタロットで見てもらった。
その時でてきたのが上の写真のカード、「隠者」である。

 この占い師にも指摘されたのだが、これはいいカードだということ。
あまりことを急がずに、当面はじっと静観するのがいいと云う事だった。

このカードの解釈である、
『正位置の「隠者」のタロットカードは、何かを追及する思慮深さを意味しています。そして、その人の考えを徐々に真実に引き寄せていくでしょう。心が内側に向かっていくことを表すカードでもあり、それによって孤独をもたらすこともあるのです。しかし、それをも何かを解決し、物事の核心に近づいていくための手段とさせてしまうでしょう。』

 というのは、まさに僕が内心考えて来たこととぴったり重なった内容であり、ほんとうに心から驚いたことを告白したい。
あらためて、人間の悟性を超えた神秘世界の実在を感じさせてくれた今日の占いだった。


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あけましておめでとうございます

2015-01-01 11:35:02 | 日記
あけましておめでとうございます。

 いま自分の信仰する神様のところにお参りし、新しいご神体をいただいてきた帰りです。
神殿のある場所が空気のすごくきれいたところであるせいもあるし、正月で車もあんまり走ってないせいか空気がすごくきれいだ。
僕が子供のころ吸っていたあの清浄な空気。

 今友達の一人にメールを送ったら、今日も仕事とのこと、ご苦労様です。
外国の友人からもメールが来た。便利な時代になったもんですね、地球のどこにいても携帯でメッセージどころか、携帯でスカイプすると無料で
地球の裏側の人とテレビ電話が楽しめちゃうんですから。

 さて、去年は僕にとって仕事では最悪の年でした(泣)
なので今年は正念場の年になります。しっかりと神様にはお願いしてきました。

 しかしながら、人間ではコントロールすることができない運というものがあるのも事実。(つまり生まれる前から決めてきていること)
それはそれで潔く手放しながら(そんなところにエネルギーを浪費するのは無駄なので)、自分でコントロールできることだけに注力して生きていこうと思っています。
 そうおもうと、楽になる。

 何年もあっていない北海道の叔父に会いに行くこと、追い詰められた時の自分の感情の理性的な抑制、そして…そういったことを目標に頑張っていくつもりです。

 おや、外を見ると雪がちらついてきてます。

 今日もここに来るまでの道すがら、2人のホームレスを見た。
彼らが不幸かどうか、それは彼らに聞いてみなければわからない。思いのほか幸せかもしれない。
 一方、一見幸せそうに初詣している家族ずれが幸福なのかどうか、それも、その人たちの心の中をのぞかなければわからない。

 今日見た2人のホームレスには、ほとんど無限の自由がある。
ブラック企業で体や心が壊れるまで働かされることもない、恐妻に毎日さげすまれることもない、家族を食わしていかなくてはならないという強迫観念もない。自分を全然尊敬してない子供に一生の間に数千万円も教育費をかけて大学へやる義務もない。
 ひょっとすると、我々一般人が最も恐れている死を恐れることもないかもしれない、彼らはすでに永遠の中にいるからだ。
すべてを失ったものが、実はすべてを得たものなのかもしれない。 

 一番の不幸は周りの人間と憎しみ合いながら生きていくことだと僕は思う。
 そういう意味で言えば、一番親しいはずの家族と憎しみ合っている人々が一番不幸ではないだろうか、たとえどんなに裕福であろうと、美しくあろうと、社会的地位が高かろうと。

 では肝心の僕は幸福なのか、不幸なのか…それは永遠の謎かもしれない、ピカソの筆に描かれた人物のように 

 

 

 

  

 
 
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