気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

ほんとうに「それでいいのだろうか」

2014-04-30 11:11:10 | 日記
 僕がよく見に行くブログで大江健三郎氏の記事が載っていた。
新聞の部分をクリックすると新聞記事が拡大されて読みやすくなる。

 その中で以下のような文章があった。

『日本が戦争に参加させられる近い将来への市民の驚きの声が低いのが不思議だった。普段は意識しないが、今の壮年の世代の時代の精神と僕はずれてしまったのだろう、自分らの時代の精神は消え去ったと思いました』

 
 戦後という時代を経験していない僕にも、これはある程度想像できる。
というのも、僕が10代だったころと今とでは明らかに日本人の戦争観に変化が出てきているのは感じているからだ。
 たとえば、「秘密保護法」にしても集団的自衛権を行使するための解釈改憲にしても、僕が10代のころ(80年代)まではたとえ圧倒的多数を占めていた自民党であっても公に言うことははばかられる、もしマスコミに漏らしでもすれば内閣が辞職に追い込まれるほどの問題だった。

 それが今では首相が堂々と発言し、実際にその手続きに入って行ける時代になっている。
『時代』の変化というものを感じざるを得ない。
 いい悪いではなく、時代とその精神というものは変わっていくものだということだ。

 ただし、世論調査をしてみると反対している人が過半数を占めているということもまた事実である。
『にもかかわらず』そういうことをしようとしている政党、政権に国民の過半数が投票しているという現実。
 ということはつまり、多数の国民は政権を選ぶときなにかと妥協しているということではないだろうか。

 何か・・そう、我々の人生に絶大な影響力を持つ「景気」つまり「Money」か、それとも何かのあがないえない(と信じている)しがらみなのか。
理想はいってもそれでは飯は食っていけない。だから、モラル面で問題のあるものたちであることはわかっていても彼らの属する政党に投票するのだろうか。


 原発事故で今なお数十万人が難民状態、半径数十キロ圏内という広い土地がほぼ半永久的に人が住めない状態になった、そして、これから表面化するであろう放射能による疾病が発症するこれまた数えきれない人々。
 『にもかかわらず』我々は原発を国のエネルギー政策として推進してきて、これからも推進していくと公言する政党、政権に投票している。

 僕のブログの言葉遣いが時に辛辣になるのも、こういう現実に対するどこにも表現のしようのない怒りがマグマのように滞留しているからでもある。
しかし同時に、そういう人々の気持ちもわかる年齢に僕もなってきてはいる。
 しかし…それでいいのか…

 憲法を解釈で変えるということは、いわば、法律を破る必要が出てきたら解釈で変えて破り、それでもつかまりもしなければ刑務所に入ることもない、ということと同じである。
こんなちょっと考えれば「間違っている」とわかることを、大人が、しかも国政を預かる普段「先生」と呼ばれてたとえ形だけにしても尊敬されている人間たちがやろうとしている。
 そしてそれに対して多くの良識のある大人たちが「間違っている」とわかっていても投票行動によって「支持している」という事実。

 生活のため、生きるため、あるいは、もっとそれ以前に諦めからか
僕はそれを責めることはしない、自分もその立場に立てば同じことをするかもしれないから。

 『しかし』それでほんとうにいいのだろうか

 僕らは知らず知らずのうちに悪魔と取引をしてしまっているのではないだろうか。
汚してはいけない、売り渡してはいけない魂を、手放してしまったのではないか、毎日の惰性の中で。

 僕は子供がいない、だからいいとは言わないが、自分がいなくなればすべてごわさんである。
でも、子供のいる人々は今彼らが投票行動で行っている選択が、自分の血を引く子供、孫、その先の子孫たちの人生、一生に直接の影響を及ぼしていく。
 自分の理想だけでなく、自分の子供、そしてその子供たちの将来まで妥協しているということになりはしないだろうか、今の自分の生活、富、あるいはしがらみのために、あるいは…無意識に拡がる静かなる絶望のために。

 ほんとうに、ほんとうに、それでいいのだろうか…

 この大江氏の記事をよんでいるうちに、そんなことを考えた。

 

 

 



 

 
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新緑の鎌倉

2014-04-20 01:07:14 | 日記


 新緑の鎌倉に行ってきた。
これは東慶寺の山門脇の新緑だとおもう。
 
 まずはいつものように北鎌倉駅で降り、行きつけの喫茶店「結」にいく。
親子で経営している店で、ちょっと脇道奥に入っている店なので知っている人は少ないのではないか。
 以前はお父さんと息子さんの二人で営業していたのだが、前回行ったとき、奥様がいたのでご主人の消息をうかがったら今年の初めごろ他界されたという…
何もかも周りのものは同じなのに、心象風景が違ってしまいますね、とおっしゃっていた。

 親しい存在を失ったものにしか言えない言葉である。
僕の場合は、心象風景が違ってしまったのはもちろんだが、自分が何か実体のないホログラムのような存在になってしまったような気がした。
ただ、ほんとうに日にち薬とはよく言ったもので、少しづつ年月が経過するごとにそのホログラムのような体の密度が濃くなってくる。
濃くなってはくるのだが、決して失う前と同じにはならない。まるで別の世界に生きているようなのだ、たとえ周りのものはすべて同じに見えていても。

 一服したあと、東慶寺へ行って上の写真を撮った。




 その後、建長寺へ。
上の写真のところで写真を撮っていると、他の観光客が「おれ頭悪いからこの煙を浴びなきゃ」といって線香の煙を浴びていた。
 僕も浴びて頭を良くしようかと思ったが、「すでに遅い」という声がどこかから聞こえてきたのでやめた。
頭よりも性格がよくなりたいのだが、そんな煙を出す線香はないだろうか。

 境内にいると「気」が違うのを感じた。
平和で寂静なのだ、外より。これはやはり過去数百年にわたってここで修行してきた修行僧たちの気が堆積してこのような気を生み出しているのではないか。



 建長寺を出た後、鶴岡八幡宮へ向かった。
上の写真は2012年に倒れた大銀杏の後にはえてきた新しい銀杏。
これがまたあの大銀杏のような巨木に成長するころには当然僕はもういない。
 そのころは別な人間に生まれ変わって見に来ているかもしれない…




 八幡宮。明日は流鏑馬が行われるそうで、今日は射手が走る道が整備されていた。
実はこの行事はまだ見たことがない。ぜひ行ってみたいが僕は人ごみが苦手だし、おそらくいい写真が取れそうなところはすでにほかのプロやアマチュアの写真家たちが占拠していることだろう。
 きっと、人の頭の上にちらっと射手が見える程度ではないか。

 それでも一度は行って見てみたい。

 
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森長可の遺言状

2014-04-14 02:29:44 | 歴史
 大河ドラマを見ていたら、加古川評定というのが昨日放送されていたので、いろいろと調べていると森長可という戦国武将の遺言状についての記事にたどり着いた。
正直、衝撃を受けた。あまりにもなまなましく書いた人の心の内側が垣間見えるからだ。

 僕の昔のブログに斉藤道三の遺言状を読んだ時のことを書いたことがあった。道三が討ち死にする前日ぐらいに書いた遺言状だが、あれを読んだ時の衝撃以来である。
この遺言状には司馬遼太郎も心動かされたらしく、わざわざそのテーマでエッセイを書いている。

 
 森長可というひとは美濃のいわば国人衆といわれる人であろう、早くから信長に帰属してその配下で活躍している。彼の弟に本能寺で信長と一緒に亡くなった森蘭丸がいる。
さてとりあえず彼の遺言状を紹介したい。

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『覚

一・澤姫の壺、秀吉様へ進上、ただし今は宇治にあり。
一・台天目、秀吉様へ進上。仏陀(寺)にあり。
一・もし討ち死に候はば、此分に候。母に候人は、堪忍分秀吉様へ御もらい、京に御入り候へく候。
  せん(忠政)は今の如く御側に奉公の事。
一・我々の跡目くれぐれ嫌にて候。この城(兼山城)は要にて候間、確かなる者を秀吉様より置かせられ候へと
  御申之事。
一・女共は急ぎ大垣へ御越候へく候。
一・悪しき茶の湯の道具、刀、脇差、せんに御取らせ候べく候。何れも何れも仏陀の如く御届け候へく候。
  仏陀の他は皆せんに取らせ申し候。但成次第此由御申候へく候。

天正十二 三月廿六日あさ     むさし

尾藤甚右衛門(知宣)さま 申給へ


又申候、京の本阿弥所に、秘蔵の脇差二つ御入り候。せんにとらせ申候。尾甚(尾藤甚右衛門知宣)に御申候へく候。
おこう事京の町人に御取らせ候へく候。薬師のやうなる人に御し付け候へく候。母に候人は、
かまいてかまいてかまいて京に御入り候へく候。せんもここもと跡継ぎ候事嫌にて候。
十万に一つ百万に一つ総負けになり候はば、皆々火をかけ候て御死に候へく候。
おひさにも申候。以上。』


「戦国ちょっといい話、悪い話」より
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末弟の千丸は今のまま秀吉様に奉公しなさい。千丸を自分の後継者にすることは絶対にいやである。
おこうは京都の町人か医者に嫁がせなさい。
千丸にこの金山城を継がせるのはいやだ。けれども万が一秀吉方が敗北したら、全員火をかけて死ぬこと。」


 この遺言状は長可が討ち死にする約2週間前に書いたものである。
この人はこれまでにも死地を何度もくぐってきており、なぜこの時だけ遺言状を書くことになったのか…虫が知らせたのかもしれない。
 森家はほとんど全滅といってもいいほど、家族のほとんどが戦死している。
兄、父、3人の弟、すべて戦死である…壮絶といっていい。

 その視点から上の遺言状を見ると、

「せん(忠政・長可の末弟)は今の如く(秀吉の)御側に奉公の事。」つまり、危ない戦場に出る国もち大名ではなく、秀吉の御側衆として安全な場所にいてほしいということを意味している。

また、
「おこう事京の町人に御取らせ候へく候。薬師のやうなる人に御し付け候へく候。」
おこう(長可の娘と推測される)は、町人の嫁にしてくれ、いつ死ぬかわからない武士の嫁にしてはいけない、と言っているように見える。

「我々の跡目くれぐれ嫌にて候。」 我々とは複数形だが長可のこと、つまり、自分が死んだ後に弟に後を継がせるのは絶対に嫌だ、と言っている。この「くれぐれ嫌にて候」の「嫌」という言葉は、まさに我々が今現在使っている「嫌だ」と全く同じ言葉づかいであり、非常にエモーショナルないい方であることにひきつけられる。
 とくに、この遺言状は主君である秀吉の目に最後は触れることを前提に書いており、その見地から言っても異様といっていい。

 長可の半生と彼の一族の命運を知るにつけ、ぼくはこの「くれぐれ嫌にて候」「せんもここもと跡継ぎ候事嫌にて候」という言葉にこめた彼の悲痛な叫びとでもいえるものを看過できない。彼は決して臆病者などではなく、戦場での勇猛さから鬼武蔵という異名を持っていたという。それほどの人がここまで書くのである。彼の人生が、戦国という時代が、いかに壮絶悲惨、酷薄無情な、現代人の想像を絶する世界であったことをうかがわせる。

そして末尾の言葉を見た時、…絶句した。

『十万に一つ百万に一つ総負けになり候はば、皆々火をかけ候て御死に候へく候。
おひさにも申候。』 

 10万に一つ、100万に一つこの戦(小牧長久手の合戦)で秀吉方が負けるようなことになったら、一族全員郎党火をかけて死になさい。
『皆々火をかけ候て御死に候へく候』これは冗談でも比喩でもない、まさに文字通りの命令である。しかもおひさというのは女性であろう。こういう言葉を自分の家族に残さざるを得ない時代、というものがこの日本に存在していたのだということ…修羅という言葉があるが、まさに、修羅の世そのものである。

 この遺言状に残された「くれぐれ嫌」という言葉に、生の人間の息吹、嘆息、叫びさえ聞こえてきそうな思いがした。そして短い淡白な戦国人らしい文章の行間から垣間見える優しさ、人間味、それに加えて、戦国時代というものの特異性とそれが当時の人間に強いた運命というものをおもうとき、もうそれを表現する言葉などは出てこない。 
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言葉

2014-04-06 23:59:58 | 日記
 今日の教会で受けた授業で、教祖の一人が残された言葉が紹介された。
この言葉は今の僕にとって特にほしかった言葉だった。

 『最高の生というものは、生涯の終日に至るまで、心の道を求めて励む誠実な心を持ち続けて生きることに尽きると、神はお言葉を閉じられています。』

 教祖はすでにこの世の人ではないので僕は直接の面識がない。
なので、教祖から直接教えを受けた比較的古い職員の方の授業に優先的に出ているのだが、今日のこの言葉はその中の一人から伺った言葉。
 教祖はこの世にあるとき「誠実さ」ということをとても重視していたという。

 在家にあろうと、出家者であろうと、その人の信仰がなんであろうとも、結局はここに尽きるのだと思う。

 教祖がこの言葉を重視していたということは、実は誠実さというものがこの世では非常に稀有なものであることを示唆しているように思う。
というのもこの世では人が見ていなければ、証拠が残らなければ「人間の目は」ある程度ごまかせる世界であるからでもあろう。
 誰でも楽をしたい、楽をして得を得たい、楽をして高く評価されたい。
だから手を抜いてもそれが表面化しないのであれば、手を抜いてしまいがちだ。

 うそをついて自分の対面が保てるのであれば、そしてそのウソがばれる可能性が低いのであれば、人はやはり負けてしまう。
昨今わだいになっている某音楽家や某研究者、某政治家、某電力会社などはその典型的な例だろう。
 ただ我々は彼らを笑えるだろうか?

 今まで生きてきて一度もうそをついて自分の体面を保ったり、見栄を張ったことのない人はどれだけいるだろうか。
今まで生きてきて一度も仕事で必要以上に手を抜いたことのない人はどれだけいるだろうか。
今まで生きてきて一度も上司や顧客に自分の仕事のミスをうそをついてごまかしたことのない人はどれだけいるだろうか。
今まで生きてきて、一度も約束を破ったことのない人はどれくらいいるだろうか。

 ♪Honesty is such a lonely word everyone is so untrue.♪ 誠実さという言葉はあまりにもまれな言葉、みんなあまりにも不誠実だから。

 とうたったのはビリー・ジョエルだったが、誰にも強制されない環境の中で、永続的な誠実さを保ち続けることは容易なことではない。
しかしこれこそが実はその人の魂の質を決定づける要素ではないか。

 『生涯の終日に至るまで、心の道を求めて励む誠実な心を持ち続けて生きること』

しかもこの言葉は神から降りてきた言葉であるということの重み。
この神の実在は僕自身、ある神秘体験を通じてお示しを受けている。(これは現実に肉眼で見たことであり、夢や幻想、心の中のビジョンなどではないことはここではっきり述べておきます)
つまりこの言葉は実在の神から降りてきた言葉である。

 それゆえに、今日このことを知った時はどれほどうれしかったか、そして、同時に自分がどれほど大きな責任を背負っているかということを知らされた思いがする。
なぜなら、神は『すべてを見ている』からである。
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