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気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

確信的楽天主義を通す

2019-08-12 04:52:08 | 日記

 

 今日は同じ信仰を持つ友と一緒に参拝をした。
彼はすこぶる善人なのだが、処世上手な人ではないのでいろいろと苦労している。
しかし、僕にできることは限られているし、また、僕が何かしてやることはかえって彼のためにはマイナスになることがわかっているので、僕はとにかく遠くから見守ることにしている。

 彼を見ていると、やはり人生というのはよくできたトレーニング場だと思う。どうしても自分の足で這い上がらなければならないような状況がなければ人間は向上しない。それはたぶん、あの世では肉体がないため(つまりブッダの云う老いや死、病苦、人間関係苦などがなく)自分を追い込むことができず、やはり自分の魂の向上のためにはこの世に生まれてこざるを得ないんだろうなと改めて思う。

 そういう僕自身も修行場でトレーニング中なので偉そうなことは言えないのだが、彼よりは数歩だけ前を歩んでいるつもりなので、とにかく歯に衣着せずいうべきことは言うようにしている。彼の素晴らしいところは、そういう僕のことばに対して今まで一度も逆切れしたことがないということだ。つまり、「器」がおおきくやわらかい。


 今僕のほうが数歩先を歩んでいるつもりと書いたが、それは魂のある一つの部分、一面だけであって、実は本当のもっと広い意味での魂の全体的な質という点では、かれのほうが進んでいる面があることにも気づいている。

 さて、腎臓結石の手術をした同僚だが、自分自身でも絶好調と豪語するくらいに順調に回復している。
ただ、僕から見て心配な点がやはりある。それはあらゆる病の根源である「食」と「生活習慣」を正そうという自覚そのものがないことだ。
僕がこれからは食生活を見直さなければなりませんね、というと、いやぁ、それは若いころの食生活のせいでこうなったので今は全く問題ない、先生もそういってる、という返事だった。

 僕はこれを聞いて、たぶんまた再発するだろうと思った。
人間の欲に対する執着というものはすさまじい、とにかくあらゆる言い訳、理由を作って現状を是認する。是認してとにかく楽、欲を満たそうとする。
彼は心臓も悪いのだが、喫煙も辞める意思は全くないようだ。
 この、人間にとって最も大切なものである健康を犠牲にしてでも、腹を切られようが、死や病苦の恐怖があろうが、目の前にある楽、欲の充足を選ぶという多くの人に見られる心理は僕の眼にはとてもとても興味深い。

 健康といえば、今健康診断の時期で僕も受けた。
血圧は「至適」(最高の結果)という結果だった。前にも書いたが、以前の僕は血圧そのものは高くないのだが、上と下の血圧の差が狭く、このままいくと心筋梗塞の危険があるということを知り、自分の食生活を変えることでそれを治した。 
 具体的には運動量を大きく増やし(体重が14kgほど減少)、油物や肉(どうしても食べたくなった時だけ少量の鶏肉と魚肉を取るだけ)をほぼやめ、大好きなつけ麺を食べる回数を減らし、玄米菜食中心に変えたことで実現できた。おもしろいほど上と下の血圧差が正常になった。薬は一切使ってない。

 僕はこの経験で、人間の健康は、あの中国のことば「医食同源」にもあるように、普段食べているもので決まるということを体験的に確信した。
そして、これもまた有名な東洋医学のことば、万病一元血の汚れより生ず、ということばも完全に腑に落ちる。なぜなら、食べるものが消化され、消化されたものが血液を作っていくからだ。

 ただし、そういう僕も今一つの懸念点はある。
そう、糖尿病である。ヘモグロビンの値が基準値内ではあるものの、かなり上のほうなのだ。思い当たることはある。2年前くらいだろうか、そのころから甘いパン類を食べすぎた時期があった。砂糖と今よく言われているグルテンという、健康に良くない2大要素を取りすぎていたからだ。

 このグルテンだが、調べてみるとライ麦パンがいいということが分かったので、しばらく食べていたのだが……これが酸味が強くて…さすがの僕も挫折してしまった。あれほど好きだった肉類、とんかつ、ケーキ菓子、ラーメン類を短期間にほぼやめたほどの意志力を持つ僕がである。なのでせめて甘いものを少なくするようにしている。
 これも甘党な僕にとって大変な努力と我慢を必要とすることだが、かなり健闘していると思っている。
なので今度の健康診断での結果を興味深く待っているところだ。

 実はこのヘモグロビン値の上昇で健康診断の担当医に心配している旨話したところ、あ、まだ基準値に入っているので大丈夫ですよ、との返事だった。
僕はそれを聞いて、人間の健康に携わる者のことばとしてはかなりふさわしくない言葉だと思った。
基準値に入っていても、それが上昇しているということはそこには何か原因があるはずであり、それを探って是正しなければ深刻な病に発展するという風に論理の筋道が組み立てられないことに軽いショックを受けた。

 糖尿病になれば、血糖値を下げる薬があるからいいということなのだろうか????
人間の体は機械やグラフではない。この中に納まっていれば大丈夫という風に単純に機械的にとらえては何か大事なことを見誤る。たとえわずかな変化でも、その変化をもたらした裏側に将来致命的な結果をもたらしかねない原因がある、という風に「読んで」いかなければいけないのではないか。
 
 もちろん、健康診断という一度に多数の人々を見なければならない場合、一人ひとり丁寧な説明はできないかもしれない。しかし医者というのは人の命を預かっている存在だ。そのことへの責任の重さということを自覚してほしい。

 おもうに、現在の人間が味わっている病苦の原因の大部分がたべるものを「うまくする」ことから生まれていることに思い当たる。それにくわえて、大量生産大量消費をかのうにする保存料や農薬、添加物といったものも大きな影響を与えている。 
それは生のものをそのまま食べている野生動物や、ジャングルのようなところで原始的な生活をしている部族の人々には、現在の文明人を苦しめているさまざまな慢性病がないということでもわかる。

 終身雇用も年金ももう頼れなくなっている現在に生きる我々にとって、最後の頼りの綱は健康しかない。
それがもたらす人生の実りを味わいながら、それに感謝の心をもち、なおかつ、悩んでも仕方がないこと(自分でコントロールできないこと)を考えず、健康の維持や自分の心の成長のようにコントロールできることにのみ意識を向けて、子供のように無心で生きていく、というのが僕の思い描く理想である。
 

 

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