高校1年の時「二十歳の原点」という本を読みました。
著者の「高野悦子」さんはアタシがその本と出逢う4年前、自らの命を絶っておりました。
てか、彼女が生きていたならば「二十歳の原点」とは出逢ってなかったでしょう。
彼女の綴った日記をその死後出版したものですから。
読んでショックでしたね、色んな意味で。
考えさせられました。
アタシ彼女とは8歳違いになるんですが、世代やその生きた時代の違いだけじゃない。
自分に対する認識が根本的に違う、そんな感じでした。
当時15歳の少年(アタシ)は、自分が二十歳になったときこのお姉さんみたいに自分を深く見つめることができるのだろうかと思ったものです。
「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」
常に自分は未熟であり不完全であるという認識をもつこと。
だからこそ成長進歩したいと思う。
そんな時期もありました、このアタシにも・・・・。
でもね、常に「自分は未熟、不完全」「それを直視して自分を向上させよ」
ってのはしんどいです。
特に、40歳を越えたオッサンには・・・・。
もちろん完全に失せたわけではありませんが、自分に対する妥協と誤魔化しを覚えてしまって。
それは成長ではなく「老い」なのでしょうが。。。。
日付は変わりましたが、6月24日は彼女のご命日でした。
著者の「高野悦子」さんはアタシがその本と出逢う4年前、自らの命を絶っておりました。
てか、彼女が生きていたならば「二十歳の原点」とは出逢ってなかったでしょう。
彼女の綴った日記をその死後出版したものですから。
読んでショックでしたね、色んな意味で。
考えさせられました。
アタシ彼女とは8歳違いになるんですが、世代やその生きた時代の違いだけじゃない。
自分に対する認識が根本的に違う、そんな感じでした。
当時15歳の少年(アタシ)は、自分が二十歳になったときこのお姉さんみたいに自分を深く見つめることができるのだろうかと思ったものです。
「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」
常に自分は未熟であり不完全であるという認識をもつこと。
だからこそ成長進歩したいと思う。
そんな時期もありました、このアタシにも・・・・。
でもね、常に「自分は未熟、不完全」「それを直視して自分を向上させよ」
ってのはしんどいです。
特に、40歳を越えたオッサンには・・・・。
もちろん完全に失せたわけではありませんが、自分に対する妥協と誤魔化しを覚えてしまって。
それは成長ではなく「老い」なのでしょうが。。。。
日付は変わりましたが、6月24日は彼女のご命日でした。