若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

生活保護の現物給付化と分権化

2019年11月01日 | 政治
○生活保護の現物支給を考える 塚崎公義(久留米大学商学部教授) WEDGE Infinity(ウェッジ)

この記事に対し噛みついたのが、我らがほっとプラス藤田。

藤田孝典さん / Twitter
======【引用ここから】======
すごくいい加減で粗雑な記事。 現行生活保護法が権利性を明記し、「劣等処遇」や「ワークハウス」を排してきた歴史的経緯や制度の変遷くらいは把握して議論した方がいいと思う。」
======【引用ここまで】======

と、ほっとプラス藤田がネット上の記事を「粗雑な記事」と批判し、同時に持論である生活保護の権利性を強調しています。

私は、そもそも憲法第25条はプログラム規定・責務規定に過ぎず、憲法上の権利性はないという解釈を前提に、法律上の権利を謳った生活保護法は「盛りすぎ」と考えています。法改正をして権利性を謳った部分を削り、予算の範囲内での責務に留めることを明記してはどうかと考えています。

それはさておき、ほっとプラス藤田が批判する冒頭の記事を眺めていきましょう。
塚崎氏はこの記事の中で、生活保護制度に対する批判を挙げています。

【甘すぎる生活保護批判】

======【引用ここから】======
 一つは、受給者に甘すぎる、というものです。40年間国民年金保険料を払い続けて来た高齢者が受け取る老齢年金よりも、年金保険料を一度も払わなかった高齢者が受け取る生活保護の方が多いのは、明らかに不公平である、等々の批判です。
======【引用ここまで】======

年金保険料を払い込み続けて受けられる年金額よりも保護費の方が多い、働いて得られる賃金よりも保護費の方が多い、これは不公平だ、という批判は根強く存在しています。これに対し、
「保護費よりも年金や賃金が低いのが問題であれば、年金や賃金を上げればいい」
という反論がなされますが、これは
「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない」
と同じくらい馬鹿げた主張です。

年金は政府が額を決めていますが、高齢化が進む中で年金額を上げるのは現役世代の首を絞めることになります。保険料をいくら増やして消費税をいくら増やせばいいのでしょうね。

賃金については、政府がその額を直接いじる事はできません。最低賃金法で一定額以下の雇用契約を禁止する事はできますが、これは低額の雇用を市場から駆逐し、その業務内容・強度くらいでしか働けない労働者を駆逐し、結果として失業者を増やし生保受給者を増やす効果しかありません。

また、同じくらい根強く存在する批判が、生活保護とパチンコです。

保護費をパチンコ台に吸い込ませるのは、現行法上、不正受給になりません。この甘さは、ほっとプラス藤田の言う「権利性」、すなわち、生活保護を受け取ることは受給者の当然の権利である、権利として受け取った保護費をパチンコ等の娯楽に消費してもそれは受給者に認められた裁量の範囲内である、といった言説によって守られています。

この甘さの放置・擁護が、生活保護制度への批判を強めている一因です。権利性を強調する側は、
「こうした批判は権利性についての理解が足りないからだ。社会福祉論を勉強しろ」
と一蹴しますが、納税者の側は自分の収入・資産を強制的に収奪されている実感があるわけでして、理解不足の一言で納得させるのは厳しいでしょう。

個人の自由・財産権を制限して徴収した税金を原資として、受給者は保護費を受け取っています。その受け取った現金を権利として自由に消費できるのはアンバランスだと多くの人が感じています。

「生活困窮者を救うため財産権に制限をかけて徴税し保護費を捻出する、そこまでは理解しよう。だが、税金を払う側は制限を受けて負担を強いられているのに、受け取った側がどう消費するかに制限をかけないのは不公平だ。」

こんな声があるからこそ、実際、ケースワーカーがパチンコ店を巡回し、受給者を指導し、それでも改善されない受給者への保護支給を停止する・・・そんな自治体が出てきたわけです。この自治体による支給停止は、後で裁判によってひっくり返されました。現行法上そうなっているので、裁判でこの支給停止が否定されたのは仕方ありません。しかし、裁判で「パチンコ指導→支給停止」を否定されたからといって、納税者の不満が解消されるわけではありません。
むしろ、

「納めた税金が生活困窮者の生活再建ではなくギャンブルに費やされている。これを役所に是正させる事すらできないのか」

と、不満は蓄積する一方です。

民主的に決めたはずの生活保護法の建前と、これに実際のところ同意していない住民と、この間で対応に右往左往する自治体のすれ違いを見ていると、「国民が議論して同意に基づき決める」という同意の擬制を1億2千万人に適用するのは、乱暴な議論だなぁと思わずにはいられません。

ちょっと脱線しました。

ほっとプラス藤田ら権利性を強調する側から、「甘すぎ」の改善策が提示された例をあまり見たことがありません。塚崎氏の現物支給案は、この「受給者に甘すぎる」現状の解消を目指したものと理解することができます。

【住居と食事の現物給付案】

塚崎氏の現物支給案の主な中身は、以下のとおりです。

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/17732?page=2
======【引用ここから】======
生活保護を現物支給にして、専門の福祉施設を作れば良い、と久留米大学商学部の塚崎公義教授は説きます。
======【引用ここまで】======

======【引用ここから】======
筆者は「生活保護の現物支給」を提唱しています。「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するだけの狭い部屋と美味しくない食事を用意し、希望者に無料で提供する
======【引用ここまで】======

そのメリットとして、

======【引用ここから】======
刑務所の独房と同じ広さの公営住宅を建て、刑務所の食事と同じものを無料で提供すれば良いのです。そうすれば、彼ら(引用注:冬に刑務所入りを目指すホームレス)が犯罪を犯す必要がなくなり、冬の間はそこで暮らすようになるはずです。
 その方が、政府にとっては遥かに安上がりです。警察官も裁判官も関与せずに済み、鉄格子も看守も不要なわけですから。

======【引用ここまで】======

======【引用ここから】======
わざわざ家を建てなくても、空き家が多くありますから、それを譲り受けて使えば良いでしょう。監獄を作って犯罪者を住まわせるわけではないので、周辺住民の抵抗も大きくないはずです。
======【引用ここまで】======

等を挙げています。
・・・・これらは、ほっとプラス藤田が主張する
公営住宅や家賃補助を拡充せよ
空き家や廃屋を占拠せよ
と似ています。

ほっとプラス藤田と塚崎氏の違いは、ほっとプラス藤田が、現行生活保護制度の甘やかし・権利性をそのまま温存して公営住宅や家賃補助の上乗せを要求しているのに対し、塚崎氏は、現金給付を施設入居の現物給付に置き換えることで不正受給のインセンティブを無くそうとしている点にあります。

また、現行生活保護の問題点としてよく挙げられる
「働いてい収入を得たら保護を減額、あるいは打ち切られる。受給し始めたら働かない方が得」
と勤労意欲を低下させてしまう点について、

======【引用ここから】======
 最低賃金でしっかり働いている人でも、希望すれば住めるわけですから、「働かずに生活保護を受けている人の方が良い生活をしている」ということにはなりません。
 年金生活者も希望すれば住めるわけですから、「若い時に年金保険料を払わなかった人の方が良い生活をしている」ということにもなりません。
 働いて得た賃金や受け取った年金は、時々美味しいものを食べたりする「ささやかな贅沢」に使えば良いのです。もちろん、孫への小遣いにしても良いでしょう。

======【引用ここまで】======

と、住宅と食事の現物給付なら労働意欲を損なわないとの見込を示しています。
「生保窓口に行ったが申請できずに帰されてしまい、そのまま餓死した・凍死した」
等の事案を防止し、同時に、働こうとする意欲を阻害しないことを考慮したものになっています。

【現物給付の問題点】

いろいろと良さそうな塚崎氏の現物給付案ですが、そこには問題もあります。
一つ思いつくのが、現物給付に伴う手続きの煩雑化と管理コストです。

現行の生活保護制度においても、現金給付と並行して現物給付が存在しています。

医療・介護は、受給者が現金で受け取った保護費の中から通院費や介護ヘルパー代の自己負担分を支払っているのではありません。受給者には医療・介護サービスを現物支給で提供され、役所が病院や施設へ受給者の自己負担分を支払っています。

これを実施するために、レセプト情報や介護サービスの提供情報といった様々な情報を受給者ごとに管理する事務が生じています。
受給者⇔市町村、
市町村⇔病院・施設、
病院・施設⇔受給者
のそれぞれの手続きが必要になり、その為に生産性のない書類仕事が生じます。

これと同様のことが、住宅や食事でも生じます。
誰に何を渡した、どの業者を経由して受け取ったか、の管理事務が増えることになります。

【自己負担ゼロで生じる資源の浪費】

また、現物給付でみかけの自己負担が無料になると、資源の浪費が生じます。

生活保護や自治体独自の子供医療費助成によって医療費自己負担が無料になっている場合、少し体調が悪いかな程度で受診し余裕をもって多めに薬を貰うということが横行します。そして、貰った薬を少し飲んで元気になったら残りは捨ててしまう、なんてことが生じます。

自己負担がそれなりにあれば「病院に行くほどの症状ではない。貰う薬は必要最小限でいい」といった抑制が働きますが、見かけ上無料だと「とりあえず行っておけ、貰えるものは貰えるだけ貰っておけ」に傾きます。介護サービスは介護度に応じた利用上限がありますが、生保受給者のプランは必要に応じたサービスではなく利用上限までヘルパーやデイサービスを盛り込んだものになりがちです。

公営住宅や食事の現物給付においても、同じようなことが起きると考えるのは、決して飛躍のし過ぎではないと思っています。

【現物支給でも不正受給はゼロではない】

さらに、現物給付でも不正は生じます。
現行生活保護制度においても、例えば、受給者と柔道整復師とが共謀してマッサージをしたことにして架空の診療報酬を請求したり、受給者が処方された薬をヤミで流して現金化したり、そういった話は後を絶ちません。

住宅や食事の現物給付であっても、例えば、受給者が修理業者と共謀して公共住宅の窓をわざと壊して自治体が払った修理費用を山分けしたり、米や缶詰といった保存の利く支給食料を食べずに現金化したり、いろいろあり得るでしょう。

また、生保受給者へ支給される食料品の納入業者、生保受給者の入居する住宅の整備・修繕を行う業者の地位をめぐって、あるいはその料金設定をめぐって、自治体と癒着し利益を得ようとする業者も出現するでしょう。

【生活保護こそ分権化すべき】


方法や内容を巡る不満・不公平感こそあれ、貧困対策や救貧政策の存在そのものについては、多くの人が納得するところだと思います。

では、最低限とはどの程度を指すのか、給付水準はどの程度が適切なのか、給付方法はどうあるべきか、現金給付と現物給付それぞれのメリット・デメリットをどう考慮するか、これは単一解が出るようなものではありません。事前に施策の効果、影響を把握しきれるものでもなく、やってみなけりゃ分からない点は残るでしょう。A地域に適した方法がB地域でそのまま上手くいくかと言えばそうではありません。

現行は、法定受託事務として国が全国一律の基準を定めて運用しています。しかし、その地域に適した方法や水準は無数にあります。
空き民家が多い所、公営住宅が多い所、
若者の多い所、高齢者しかいない所、
少し探せば仕事が結構ある所、仕事が全然無い所、
パチンコや公営ギャンブルの多い所、少ない所、
自治会等の地域のつながりの強い所、弱い所、
高所得者が多い所、低所得者が多い所
農業が盛んなところ、漁業が盛んなところ、商店街中心のところ、ベッドタウン化したところ・・・etc

中央政府の定めた全国一律ルールで運営すれば、各地で「帯に短し襷に長し」問題が発生します。あるいは、一律ルールで全国的に同じ弊害が生じます。これを、各自治体が地方税の範囲内で個別にルールを定めて運用していけば、全国一律による弊害は緩和されます。

全国民で議論をした体裁で同意を擬制して、全国に単一ルールを敷くのではなく、自治体Aでは塚崎氏の現物給付案を採用し、自治体Bでは従来通りの現金給付中心、ということもありだと思います。この繰り返しの中で、それぞれの地域に適した方法や水準を手探りでやっていくのがベターでしょう。

自治体によっては、平成の合併、昭和の合併によって住民気質の異なるいくつもの地域が一つの自治体を構成していることもあります。そんな地域では、自治体単位でなく、さらに小さな枠組みで考えるべきです。

いずれにしても、塚崎氏の問題提起したインセンティブの考え方は大いに参考になると思います。少なくとも、ほっとプラス藤田のように現行生活保護への批判に応えず無反省のまま、

「捕捉率を上げろ」
「申請主義でなくプッシュ型にしろ」
「住宅政策が足りないから上乗せしろ」
「要求は当然だし受給は権利だ」

の拡大一辺倒では話になりません。中央政府の支出と権限がブクブクと膨らむだけです。

生活保護制度の今後の在り方を考える際に、ほっとプラス藤田の主張よりも、塚崎氏の今回の記事の方がずっと有用です。これを分権的に解釈し、地域ごとの税収と運用方法で行うことができればいいだろうと思います。

そして、分権化を徹底していくことで、企業や宗教団体、あるいは昔風の村落共同体などを運営単位として寄付と合意に基づき運営される生活困窮者支援が可能になるかもしれません。

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