若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

公共サービス基本法逐条解説(と銘打った、ただの個人的感想)

2009年06月06日 | 政治
景気対策や新型インフルエンザ、民主党代表選などで騒いでいた5月の中頃に、
「公共サービス基本法」という法律が成立していたことを、皆さんはご存知だろうか。


「公共サービス基本法案早期成立」チラシ:公務労協
 日本では、貧困の拡大や地域経済の疲弊など格差の拡大が進み、いまや雇用の危機が社会全体にひろがっています。その背景には新自由主義による市場万能論や「小さな政府論」にもとづいて、財政再建を最優先した諸政策が進められ、国民の生活と安心を支える公共サービスが著しく劣化してしまったことがあります。雇用を守り、地域社会を支え、国民生活に安心と安全を取り戻すためには、いざというときに頼れるセーフティネットを国や自治体が責任をもって整備しなければなりません。そして、超高齢化社会への転換期にあたり、誰もが生きがいのもてる社会を実現するためには、市民の参画で公共サービスを国民のニーズに応えるものに改革する必要があります。
 そのために、わたしたちは次のような内容をもりこんだ “ 公共サービス基本法” の制定を目指して運動をすすめています。



民主党や公務労協(自治労や日教組などの集まり)は、「公共サービス基本法」を
成立させようと長いこと活動していた。上のサイトからは、小泉構造改革に対抗すべく
2004年頃から公務労協が公共サービスのキャンペーンを行っていたことが窺える。
「公共サービス基本法」でググると、自治労や日教組の関係するサイトがやたらと
ヒットする。この法律の成立は、彼らにとっていわば宿願。


私は、この、目論見は上手くいかないだろうと思っていた。
上手くいったら大変なことになると思っていた。
参院で民主党が第一党になっているとはいえ、衆院では通らないだろう、と。

ところが、変質した(本来の姿に立ち戻った?)自民党は、歯止めを利かすことなく、
全会一致で法案が可決。
何の争点にもならず、ほとんど報道されることもなく、まさに寝耳に水。
まぁ、法律というのは国民が決めるものではなく
官僚と国会議員が決めるものなので、寝耳に水になるのは仕方ない。



と、なげやりになってしまったところで、法律の中身を見ていきたい。


公共サービス基本法(2009.5.13 成立)
第一章 総則
(目的)
第一条 この法律は、公共サービスが国民生活の基盤となるものであることにかんがみ、公共サービスに関し、基本理念を定め、及び国等の責務を明らかにするとともに、公共サービスに関する施策の基本となる事項を定めることにより、公共サービスに関する施策を推進し、もって国民が安心して暮らすことのできる社会の実現に寄与することを目的とする。



第一条は、お決まりの目的規定。
書き方も、

(背景)にかんがみ、
(手段)することにより、
(直接的な目的)し、
もって(高次の目的)を目的とする

という、お約束のパターン。


そして、こうした基本法の目的規定はその通りに実現しない。
むしろ逆効果となる・・・というのもお約束。
おそらく、この「公共サービス基本法」も同じ道を歩むに違いない。

ミルトン・フリードマン著『政府からの自由』(中公文庫)152頁
価値ある目的のための社会政策の数々、その実施結果やいかに。その疑問をもつ方々に、絶対間違いのない予測方法をお教えしよう。何でもいい、ある政策を強く推している公共心旺盛な善意の人のもとを訪れ、政策に何を期待しているかを尋ねるのである。そして、その人の期待と反対のことを言ってみる。実際の結果とピタリと一致することは、驚くばかりである。



続いて。



(定義)
第二条 この法律において「公共サービス」とは、次に掲げる行為であって、国民が日常生活及び社会生活を円滑に営むために必要な基本的な需要を満たすものをいう。
一 国(独立行政法人(独立行政法人通則法(平成十一年法律第百三号)第二条第一項に規定する独立行政法人をいう。)を含む。第十一条を除き、以下同じ。)又は地方公共団体(地方独立行政法人(地方独立行政法人法(平成十五年法律第百十八号)第二条第一項に規定する地方独立行政法人をいう。)を含む。第十一条を除き、以下同じ。)の事務又は事業であって、特定の者に対して行われる金銭その他の物の給付又は役務の提供
二 前号に掲げるもののほか、国又は地方公共団体が行う規制、監督、助成、広報、公共施設の整備その他の公共の利益の増進に資する行為



定義中の「社会生活」とは何なのか、そしてこれは「日常生活」とどう違うのか、
どうにも理解できない。とりあえず「日常生活」に一本化して把握。

この法律で、公共サービスとは、

日常生活を円滑に営むために必要な基本的需要を満たすもののうち、
国又は地方公共団体の行う金銭の給付、役務の提供
規制、監督、助成、広報、公共施設の整備

とされている。

公共サービスに該当するためには、それが国又は地方公共団体の実施するもので
なければならない。例えば、電気やガスの供給は、日常生活を円滑に営むために
不可欠のものだが、国や地方公共団体が実施しているものではないため、
この法律の定義からは公共サービスには該当しない。

また、国又は地方公共団体の実施する事務事業であっても、基本的需要を満たすもの
でなければ、公共サービスには該当しないとされている。
基本的な需要か、そうではない高度・特殊な需要なのかは
どのように判断するのだろう。
基本的需要の中身については、霞ヶ関の中の人の解釈次第ということか。

あと、国の規制や監督はサービスの枠内に入れて良いものかどうか。
普通の言葉の意味からして、金銭の給付や役務の提供をサービスと呼ぶのは分かるが、
規制や監督は、サービスという言葉からは程遠い。
どのような意図で、規制や監督を公共サービスとしたのか、気になる。


(基本理念)
第三条 公共サービスの実施並びに公共サービスに関する施策の策定及び実施(以下「公共サービスの実施等」という。)は、次に掲げる事項が公共サービスに関する国民の権利であることが尊重され、国民が健全な生活環境の中で日常生活及び社会生活を円滑に営むことができるようにすることを基本として、行われなければならない。
一 安全かつ良質な公共サービスが、確実、効率的かつ適正に実施されること。
二 社会経済情勢の変化に伴い多様化する国民の需要に的確に対応するものであること。
三 公共サービスについて国民の自主的かつ合理的な選択の機会が確保されること。
四 公共サービスに関する必要な情報及び学習の機会が国民に提供されるとともに、国民の意見が公共サービスの実施等に反映されること。
五 公共サービスの実施により苦情又は紛争が生じた場合には、適切かつ迅速に処理され、又は解決されること。



>二 多様化する国民の需要に的確に対応する
>三 国民の自主的かつ合理的な選択の機会が確保される


人々の需要は多様であり、人々が自分の需要に合ったサービスを選ぶことができれば、
素晴らしいことだ。
ただ、これを公共サービスに求めるのは無謀だ。

例えば。

私の携わる国保の場合、住む場所で強制的にどこの国保に加入するかが決まる。
そして、75歳になれば後期高齢者医療に強制的に切り替わる。
国保だと現役世代の自己負担は3割だが、これを
「国保税をもう少し払ってもいいから、自己負担を2割にしてくれないか」
という申し出を受けることはできないし、
「国保なんていらないから、保険証を返す。国保税を勝手にかけるな」
という申し出を受けることもできない。
(※ 後者の申し出は、少なくとも月1度は耳にする)

国民健康保険は公共サービスであり、選択には馴染まない。

個々の需要に合わせた選択肢を提供できればよいが、これをすると国民皆保険という
公的医療保険の大前提が崩れることになる。
強制加入の国民皆保険には、離脱という選択肢は原則として認められない。

多様化する需要に合わせた多様な選択肢を提供できるのは、政府ではない。
市場経済だ。


さて。

この基本理念には、公共サービスを実施する側、公共サービスの提供を受ける側に
ついての記述がいくつか有るものの、大事な視点が完全に欠落している。

公共サービスを支える人の視点。納税者の視点だ。
公共サービスを実施するということを当然の前提とし、
公共サービスの提供を受ける 者の便宜を図っているが、
公共サービスが手厚くなればなるほど納税者の負担は増える。
このような納税者の負担増に対して歯止めとなるものが、この基本理念にはない。


(国の責務)
第四条 国は、前条の基本理念(以下「基本理念」という。)にのっとり、国民生活の安定と向上のために国が本来果たすべき役割を踏まえ、公共サービスに関する施策を策定し、及び実施するとともに、国に係る公共サービスを実施する責務を有する。
(地方公共団体の責務)
第五条 地方公共団体は、基本理念にのっとり、公共サービスの実施等に関し、国との適切な役割分担を踏まえつつ、その地方公共団体の実情に応じた施策を策定し、及び実施するとともに、地方公共団体に係る公共サービスを実施する責務を有する。



国民生活の安定と向上のため、国が本来果たすべき役割?

大抵のことは民間で出来る。
民間でこそ、個々の需要に合った多様なサービスを提供できる。
百歩譲って公的機関で行うべきことが何かあるとしても、
それは地方公共団体で行うことができるはずだ。
国が行うということは、全国一律の公共サービスを展開するということであり、
多様化する国民の需要に応えることは決してできない。


(公共サービスの実施に従事する者の責務)
第六条 公共サービスの実施に従事する者は、国民の立場に立ち、責任を自覚し、誇りを持って誠実に職務を遂行する責務を有する。



この法律の成立を目指していたのが公務員の労働組合だったということを考えると、
「我々は立派なんだ!エリートなんだ!」
と公務員自身が言っているようで、非常に気持ち悪い。

公共サービスに携わらない者には、責任と誇りがないのか?
そんなわけが無い。
どんな業種、業態であっても、そこに責任と誇りを持って仕事をする人がいるはずだ。

むしろ、公共サービスに携わる者は、誇りを持つべきでない。

「自分の金でもないのに、『申請を受け付ける』『許可する』『発行してあげます』
と、権限を振りかざして申し訳ない。畏れ多い。」

という、身を慎む心構えが必要だ。

公共サービスの責任だ誇りだなんだと偉そうに言っても、結局は
「他人の金を奪い、中間マージンをとり、誰かにばらまく」
だけのこと。


第二章 基本的施策
(公共サービスを委託した場合の役割分担と責任の明確化)
第八条 国及び地方公共団体は、公共サービスの実施に関する業務を委託した場合には、当該公共サービスの実施に関し、当該委託を受けた者との間で、それぞれの役割の分担及び責任の所在を明確化するものとする。



まぁ、これはその通りだ。
委託をすると、その結果や責任がどこに帰属するのか曖昧になりがちだ。


(国民の意見の反映等)
第九条 国及び地方公共団体は、公共サービスに関する施策の策定の過程の透明性を確保し、及び公共サービスの実施等に国民の意見を反映するため、公共サービスに関する情報を適時かつ適切な方法で公表するとともに、公共サービスに関し広く国民の意見を求めるために必要な措置を講ずるものとする。
2 国及び地方公共団体は、前項の国民の意見を踏まえ、公共サービスの実施等について不断の見直しを行うものとする。



ここに、家庭を持つサラリーマンがいる、とする。
このサラリーマンは、給料から税金を天引きされている。
その税金からどこかの誰かに母子手当が支給されるわけだが、このサラリーマンは
母子手当のことに意見をするほど詳しくないし、興味も無い。
自分の仕事と家族のことで精一杯なので、母子手当を考える余裕はない。
母子手当に関する意見募集があっても、応募することはまずない。

一方、母子手当を受けている人は、母子手当のことについて高い関心がある。
母子手当に関する情報が提供されれば、これを注意深く読むであろうし、
母子手当に関する意見が募集されれば、待ってましたと意見を述べるであろう。
「もっと母子手当を増やしてほしい」と。

「広く国民の声を求める」といえば聞こえがいいが、そこに集まるのは
利害関係者の声がほとんどだろう。
自分が専門として携わる分野、自分が直接恩恵を受ける分野について、
「この分野のこのサービスをもっと拡充すべきだ」という意見が主に集まる。
このように、国民の声(を偽装した利害関係者の声)が集まり、
これを大義名分として役所は予算を増やす。

世の中、上手くできてるなぁ。


(公共サービスの実施に関する配慮)
第十条 国及び地方公共団体は、公共サービスの実施が公共サービスによる利益を享受する国民の立場に立ったものとなるよう、配慮するものとする。



公共サービスを行うための負担をする、納税者の立場も配慮してください。


(公共サービスの実施に従事する者の労働環境の整備)
第十一条 国及び地方公共団体は、安全かつ良質な公共サービスが適正かつ確実に実施されるようにするため、公共サービスの実施に従事する者の適正な労働条件の確保その他の労働環境の整備に関し必要な施策を講ずるよう努めるものとする。



・・・・・


・・・・・


いろいろ書いてあったが、おそらくこれが公務労協の「本音」だろう。
「日常生活を円滑に営むことができるよう」
とか、
「国民生活の安定と向上のため」
とか、
「国民の立場に立ち」
とか、偉そうなお題目を並べたところで、結局は
「もっと楽な職場で、給料たくさんほしい」
なのだ。


公務員の労働条件を今より下げて、公共サービスの質は低下するか?
逆に公務員の労働条件を今より上げて、公共サービスの質は向上するか?
そんなことはないだろう。
もし、労働条件を今より下げて、質を低下させるような輩がいれば、
その人には辞めてもらえば良いだけの話。
そして、公務員採用試験での倍率が1倍を切るくらいになって、
初めて「ちょっと労働条件を下げすぎたかな。」で良いのだ。

鹿児島県阿久根市のように、市民と市職員との「官民格差」が
選挙の争点になるご時勢。
公共サービスには、低所得層を対象としたものが比較的多い。
公共サービスの提供を受ける者を基準として考えるのが、この法律だ。
ならば、公務員の労働条件も、低所得層のそれに合わせた形で定めるべき。
「地方公務員は国家公務員の給与体系に準じ~」って、何それ?

阿久根市のように給与明細を公開し、その給与が仕事内容に見合ったものかどうか、
納税者に判断してもらえば良い。
この法律は、公共サービスに関する情報を公開するよう定めているが、
公共サービスに携わる者の給料がいくらか、ということは、
公共サービスに関する情報として最も基本的なことだろう。

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