あの大学時代の、馬鹿なオレ。その9 【 ちり 】そして人生はつづく

2023-08-16 06:04:50 | 馬鹿なオレ

その後、オレは、

カヌーをやりたいと言った手前、

奥多摩にある大学のカヌー部の練習場に、

2回程、行った。

 

しかし、奥多摩の練習場が、遠いのと、

川下に下ったカヌーは、当然、川上の合宿小屋まで、

自分で持って、上がらなければならない、という、

馬鹿でも、分かる、事実を、理解せざるを得なかった。

そんな単純な物理すら想定することが出来なかった。

かなり、馬鹿が、オレを、侵食し、

馬鹿前線は、オレに停滞して、

オレから、抜けなくなっていた。

気象情報でいえば、なかなか去らない、

迷惑な台風である。


カヌー部で、

使っていたカヌーって、そんなに、軽くないんですよ。

野田知佑さんが、

使っていた折りたたみ式じゃなくてね。

今は、知らないけど、当時は。

 

あそびで、腰に負担を、もう抱えたくない、

という思いと、

からだを、当分、休めたかった。



建前の体裁としは、

一応、カヌーをやってみたけど、

実際は、腰の悪いオレには、負担が大きく、

合わなかったという、既成事実で、

同期からの、なんなんだよって、批難を浴びても、

実際に、カヌーを体験した

オレを責めることも出来ないことは、

分かっていたし、事実、誰も非難はしなかったようだ。

そして、オレは、静かに、カヌーも辞めた。


そうなると、先のことを、よく考えていない、

馬鹿な阿呆のデマカセで、

クチからでた、カヌーの動機は、もとよりなくなり、

急に、毎日、やることも、なくなった。

(学業に専念しろよ)



すべて、辞めることだけを、

優先して、目的化していた。

 

その先を、考えるチカラは、

すでに、残されていない、馬鹿だった。

 

なにかが、これから、あるんだろうな、と、

漠然と思っていた。

 

大学に、戻って、

キャンパスに、通うという選択肢は、

からっぽのアタマには、なかった。

 

そもそも、からっぽのアタマを、

大学の講義で、埋める前に、

からっぽのココロの方を、なにかで、埋めたかった。

 

オレは、

ニンゲン並みに、急に、無気力な状態に、陥った。

 

ニンゲン並みの無気力状態から、

人間並みになる為の、リハビリ期間は、長かった。

1年と半年、いや、2年近く、か。

下宿のアパートから、

歩いて15分から20分位の大きな池のある公園に、

基本的に、雨の日以外は、毎日、通った。

 

途中の酒屋の自販機で、缶ビールを買い、

文庫本を持って、ベンチに、向かった。

 

酔って、本に疲れたら、昼寝をして過ごした。

 

オレ専用のベンチが、その公園に、出来上がったのだ。

 

月末、管理人のおばさんに、家賃を持って行ったら、

夢遊病者みたいに、

毎日、管理人の部屋の前を通るけど、

大丈夫?って、心配された。

 

夢遊病者だったんだ、

オレは。

 

週に、何回か、入学当時の、

同じクラスの同級生からの誘いで、

肉体労働系の日雇いのバイトもしたが、

腰の調子が、悪い時は、断った。

 

ワンゲルを、退部してから、

大学には、一切、行った記憶がない、のだが、

どうやって、卒業が、出来たんだろうか。

 

何故か、リハビリ期間を含めると、

大学にいたのが、四年間を、超えていることになる。

 

なにかを、

夢遊の中に、忘れて来ている気がする。

 

名画座が、あった。

当時、千円ちょっとで、

3本、映画が観ることが出来た。

お尻の痛さを、忘れたついでに、

暗闇で、投影される光の中に、

なにかを、忘れて来たのか。

 

いつもの、公園のベンチの、惰眠の中に、

なにかを、忘れて来たのか。

 

ママチャリで、訳もなく、3時間、ペダルをこぎ、

たまたま、たどり着いた、大きな河の流れを見て、

3時間、ペダルをこいで、戻る。

その、汗と、河の流れに、流された、

真空のアタマの中に、なにかを、忘れて来たのか。


あの頃に、落語に出会っていたらなぁ、

もう少し、違った学生時代に、

なっていたかも知れない。

 

キラ星の昭和の名人たちにも、間に合っていた筈だ。

 

あの時に、

落語の神様が、いてくれたらなぁ、

 

歴史に、「もしも」、が、ないように、

いちおう、大学時代の、馬鹿なオレのようなものにも、

「もしも」は、ないと、思うんだけど、

もしかしたら、夢遊の中に、

忘れてきた、なにかが、

まだ、なにかが、あったのかも、知れない。



友がみな 我よりえらく 見ゆる日よ

花を摘み来て 妻としたしむ



本来なら、

昔の馬鹿なオレのワンゲルの経験から、

花を摘み来て、じゃなく、

雉( きじ )を撃ち来て、が、

正しいと思われるのだが、……



友がみな 我よりえらく 見ゆる日よ

雉を撃ち来て 妻としたしむ




「石川や 浜の真砂は 尽きるとも

 世に盗人の 種は尽きまじ」(石川五右衛門)

 

オレは、

小せえェ、小せえェ、

「・、」(てんチョン)、

つまり、世間の(ちり)で、

ございます。

 

啄木さん、五右衛門さん、

おふたりの石川さん、ホントに、申し訳ありません。



「友がみな我よりえらく見ゆる日よ

 花を買い来て妻としたしむ」(石川啄木)

 

これが、ホントの石川啄木の短歌です。

 

「はたらけど はたらけど

 猶(なほ)わが生活(くらし) 

 楽にならざりぢっと手を見る」

 

「何もかも 行末の事みゆるごとき 

 このかなしみは拭(ぬぐ)ひあへずも」

 

 

ホントは、

オレって柄じゃないんだけどね。

 

 

そして、

この道のりは、これで、終わる。

が、しかし、

人生の道のりは、まだまだ、つづく、

 

 

初出 17/09/10 07:52 再掲載 一部改訂