『腹がへったあ!』 Si vis pacem,para bellum. 大杉栄

2023-09-28 19:57:12 | 本を読んで

 或日(あるひ)。

A、お互いに仲善く暮してるんで嬉しいよ。見給え、今日こんな善い棒を買った。

b、本当に善い棒だ。頭あぶち破るには持って来いだ。お互いに仲の善いのはお目出度いよ。俺も一ツそんな棒を買って来よう。

 数日後。

A、あの棒は野蛮人に遣っちゃった。考えて見りゃ、棒で殴り合うなんて、あんまりひどいからなあ。その代わりこんど剣を買って来た。棒よりゃ振り回すのにも楽だし、見た処もよっぽど立派だ。こうして皆んな仲善くして暮してるんで何によりだよ。

B、成程こりゃ善い剣だ。俺れも早速買って来るとしよう。尤もウチには金が無くって困ってるんだが‥‥‥

 また数日後。

A、オイ、早く見に来いよ。こんどは鉄砲を買って来た。剣なんかより何(ど)れ程有力(まし)だか知れやしない。しかしまあ蔵(しま)って置こう‥‥‥お互いに平和に暮してるんだからねえ。

B、善い鉄砲だなあ。俺れも一つ買って来よう。

 B家に帰り、その妻に向かい、

B、鉄砲を買うんだから少し金をくれい。

妻、鉄砲?お前さん、気でも狂いやしないかえ。ウチにゃ子供の着物を買う金もありゃしないんだよ。

B、じゃ少し借りて来いよ。

妻、だって、もう質に置くにも、何んにも剥ぐものあないんだもの。

B、今に子供共が大きくなったら、俺達の借金を返してくれらあ。早く何処かへ行って借りて来い。

 子供等泣き叫ぶ。

腹がへったあ!

B、黙れ、餓鬼共!手前達ゃ餓死するまで腹減らしていりゃ善いんだ。愚図愚図ぬかすとぶち殺すぞ。

 母と子供等と相抱いて泣く。

腹がへったあ!

 

(『腹がへったあ!』大杉栄 『近代思想』第一巻第七号、一九一三年四月一日 )


会長からの威迫、カツラのカシラの酷薄、そして馬鹿なオレの浮薄で蒼白

2023-09-24 19:59:42 | 馬鹿なオレ

オールバックのカツラのカシラ(社長)がいた。

その社長の映像制作プロダクションにいた頃、

オレがプロデューサーとして

担当した作品の話の顛末。

 

その作品は、アニメーションを作って

Webで配信する企画であった。

さらに、その映像作品をも販売して、

キャラクター関連グッズを

配布もしくは販売できればと思っていた。

そういった企画を、発注元の小さな代理店とも

話をして取り組んでいたんだ。

 

もう、30数年以上も前で、

当時では、ちょっと画期的な試みだった。

小さな代理店だったので、

フットワーク軽く、新しい挑戦をしたのだ。

 

そのチャンスを掴むために馬鹿なオレは、

代理店から任されて、万全を期すため

アニメーターとの著作権等の契約書を作りたかった。

 

そういう契約に不案内だったオレは、

映画製作の経験のあるカツラのカシラに

契約書の雛形やら弁護士の紹介の相談した。

代理店が小さかったから軽くみたのか、

オレが取り組む新しい試みを軽視したのか。

カツラのカシラは鼻で笑い、

大丈夫だろう、そんな大袈裟な契約書は

要らないだろうと言った。

 

カツラのカシラは、自分ごとでないからか、

制作物に関して、のんきで、牧歌的でいたんだ、のか。

本当に、カツラのカシラを信じていいのか、

何かあったらの保証は何もなかった。

そんな映像制作の仕事の進め方などあるのか。

疑心暗鬼で不安を抱えたままプロジェクトを進めた。

 

そして、その時がやってきた。

 

映像の完成に漕ぎ着けたところで、

すべてが出来上がったタイミングで、

映像制作を依頼したアニメーター兼ディレクターが

所属するプロダクションの会長から呼び出された。

 

その会長は業界では訴訟事件で死神のように畏れられた

強談威迫の会長だったのだ。

 

馬鹿なオレはその世間を事実を知らなかった。

 

依頼したアニメーター兼ディレクターとは、

以前の作品のキャラクターやスタッフィングの類似性を

考慮して、新しいスタッフと新しい制作の試みを

提案したが、自分はもうフリーだし、自分が作った

自己流の前例の制作体制に拘った。

 

【明明白白1】

やはり、カツラのカシラの言う事を鵜呑みにしないで、

フリー宣言しているアニメーター兼ディレクターとの

契約書は必須条件だった。

 

 

呼び出された死神会長からは、

著作権侵害を突きつけられ裁判も辞さないと脅された。

アニメーター兼ディレクターは子飼いで、

フリーなんてとんでもない、と。

自由に作業ができる作業場を

こちらで用意して与えただけだと主張し、

それを独立したと勘違いしてるだけだと訴えられた。

 

アニメーターが今回オレとつくったキャラクターは

以前のキャラクターの作風と類似しており、

以前の作品は、会長がスタッフィングもし、

アニメーターに指示を出し、

作ったキャラクターだし制作方法だったと強談され、

アニメーターにはなんの権利はないのだと明言された。

全て映像が出来上がってから、

完成を待っていたかのように、直ぐにの事だった。

 

全ての話が違いすぎるし、シナリオがあるかのようだ。

 

さらに、強烈な事実だったのが、

契約書作成を鼻で笑ったカツラのカシラと、

裁判沙汰をぶつけてきた会長はカツラのズラ繋がりで

実は、旧知な仲だったことがわかった。

 

易々と馬鹿なオレの立場は置き去りにされて、

早速の手打ちの話になった。

 

結果、

キャラクター使用料の請求とニ次使用の禁止が条件で

カツラのカシラとズラの会長は手を握った。

その話には、オレの立場はともかく、

受注先の代理店の立場は加味されなかった。

 

当然、窮地に陥ったのは馬鹿なオレだ。

受注した代理店に対して、謝罪しても仕切れないが、

映像販売等のニ次使用も

キャラクターのグッズ化も出来なくなったことを告げ

全て悪いのは契約書を作成しなかった

馬鹿なオレである事、出来る償いをさせてもらうことを

話させてもらった。

 

そのアニメーター兼ディレクターは、

まだ若く、これからが楽しみなクリエイターだった。

彼に責任を押し付けることはできなかったし、

何も知らない彼を巻き込みたくはなかった。

そのことは、代理店の担当者も同意してくれた。

だからこそ、全てが馬鹿なオレの責任なのだ。

 

もう、プロデューサー失格である、致命傷だ。

 

カツラのカシラは、そんな重要な企画に本心から

契約書なんて必要がないなんてと、

軽薄に鼻で笑っていたのだろうか。

だとしたら、カツラのカシラは

プロダクションの社長としても

プロデューサーとしても失格で残念である。

 

いや、しかし、本当にそうだったのだろうか。

 

実は、鵜呑みにしてそれを信じた馬鹿なオレを、

試すのか、初めから、そうなる道を歩ませたと

考えてみたらどうだろうか。

 

先走って発注元の代理店は、

大量のキャラクターグッズを作り、

それは、そのまま大量のゴミ屑となった。

 

カツラのカシラは、一切、オレの担当した代理店には

接触することなく、その事を心配することも

何もなかった。

小さな代理店の立場の話には触れなかった。

オレと代理店との関係性の話もなかった。

カツラのカシラが契約書が要らないと

鼻で笑った話についても何もなかった。

全ての責任はオレが負った。

 

話したことは、

大量のキャラクターグッズの在庫を、

カツラのカシラの会社の倉庫に一時置き、

時間を切って、産業廃棄物として処分をする事、

と言うことだけだった。

 

それに対して代理店は、

アニメーター兼ディレクターの事、

会長とカツラのカシラの事の経緯を理解してくれて、

裁判や訴訟にはならなかったが、

キャラクターグッズの制作費は

こちらが払うことを条件に、オレは信用をなくして

ゴミ屑とされた。当然の結果である。

 

その後、その代理店の担当者もその会社を離れ、

古巣の大きな代理店に籍を移した。

 

カツラのカシラは、しばらく、オレを放置したが、

やっぱりゴミ屑として放り出した。

 

このプロジェクトがこのような末路をたどっても、

カツラのカシラの会社には何ら支障はなかった。

あったのは大量のキャラクターグッズの一時保管と

産業廃棄物としての廃棄処分料だ。

 

合わせて、これは、支障ではなく、順調に、

燃えるが合法的に燃やせないゴミとして、

馬鹿なオレの廃棄処分が出来た事だった。

 

契約書をきちんと交わし、

このプロジェクトが成功したことを

愚かにも夢想もした。

握りしめた手のひらに爪が食い込んだ痕はなかった。

爪さえもがれていた。すべてがあまかった。

 

しかし、現実は、

オレはカツラのカシラのプロダクションから

ズラかったカタチを取らされた。

 

まさか、全てが仕組まれていたとは思いたくはない。

だとしたら、本当の死神は、カツラのカシラだ。

 

しかし、不条理にも、

これは、貧乏神の馬鹿なオレのひとり言である。

 

その馬鹿なオレが処分された後日談。

 

会長は広く世界進出を果たし、

次々と新たなクリエイターを生み出し、

著作権ビジネスで成功した。

そこでは、多くの血が流れたと聞く。

しかし、会長にとって、一番革新的であったのは、

世界中で言語を使わないで、

人と人のコミュニケーションが出来る

システムを開発し、グローバル企業へと大成長した事。

そして、世界中が全員、

そのコミュニケーションシステムで結ばれるのだ。

そこに、血はなく平和が生まれるのだろうか。

次は、人と動物とのコミュニケーションに

取り組んでいると言う。

しかし、このシステムには科学的根拠はなく、

イマジネーションでそう思い込ませる「システム」と

彼らが勝手に呼ぶ思念というか、根拠がない分、

妄想に近いものか。ただ、「システム」に繋がることで

お互いが理解できているようだ。

会長は企業を隠れ蓑にして、顧客を信者として、

この思想を持って新しい宗教法人を立ち上げ信者を

獲得しているが、全貌は解明されてはいない。

 

カツラのカシラはカツラから植毛にし色も染め、

TPOで、逆に丸坊主のズラを被っている。

そんなことは下世話なちっちゃな出来事である。

前カツラのカシラ、改めて植毛のカシラは、

映像制作からアパレルにも進出し、

そこで生まれた土偶のキャラクターで大ヒットした。

縄文土器の時代には、

ヒトを殺める武器は無かったという説から、

現代を縄文時代に引き戻すために、

土偶たちの実際行動と思念行動の働きで、

世界中を超近代資本主義から縄文時代に、

ラディカルに、破壊と復活の創造へと変えていく物語。

そして、その方法は、人類にとって、幸か不幸なのか、

善なのか悪なのか、必要悪なのか、その方法論も含め、

賛否両論、物議を醸し出し、

本当の人類の平和とはをテーマに訴えた映画を当てて、

ハリウッドでもリメイクされると聞く。

 

アニメーターは会長から完全なフリーとなり、

東洋のバスキアと

世界各地で問題作を作っているらしい。

 

会長は彼を育てた事を自慢のひとつにしていたそうだ。

百合子や文雄はともかく、バイデン、ゼレンスキー、

習近平、プーチン、金正恩にも、

当時の彼の原画を贈呈したそうだ。

現代を風刺する彼の過去の原画が現代の為政者に、

どう受け入れとめられたのかは、

国境を越えた世界の新興宗教家には、

そもそも矛盾を超え関係もないことなのだろう。

権力をもつ為政者との一緒の写真を

欲しているだけなのだから。

ただ、都市伝説として、

クリエイターたちが、合成や特殊メイクで、

作成したとの噂もあるらしい。

そもそも、コレクションの嗜好自体が、の話もある。

 

 

【事理明白】

会長とカツラのカシラの共通点は、

アナーキーを自称していること。

誰にも縛られない自由を手にすることを希求している。

しかし、

ただただ、己のことのみを好み、愛し、邁進する。

そこには、不思議と「相互扶助」や「自治」と言う

アナキズム特有の語彙との結び付きは見られず、

むしろ、専制や独裁に近いように見える。

そして、国家や政府と政治との親和性を

見ることが出来る。

最近では、会長も植毛のカシラも、

「宇宙から見たら、国境線なんてない」と、

世界から意識は宇宙視点に向かっているようだ。

国家、政府から自由になろうとしているのか。

しかし、会長や、植毛のカシラがトップに拘るところ、

そこに、また、いくつかの自己矛盾を抱える事を超えた

強い自己愛と聖ならざる欲望を強く感じざるを得ない。

 

 

【教訓】

馬鹿は同じ轍を何度も踏む。

宇宙レベルでなく、この世で「・」塵だ。

 

【虞・懸念】

(落語のように)死神に取り憑かれたくはない。

もう、関わりたくもない。

出来れば呪文で枕の位置を変えたいが、

ロウソクとも関わりを持ちたくもない。

 

※ この物語は全てまったくのフィクションであり、

 登場する人物・団体・名称・出来事等は

 全てまったくの架空であり、

 実在の人物・団体・出来事とは一切関係ありません。

 

 

 

 


選挙で裁判官を⭕️❌で選ぼう、ボクらにはそれが出来るんだ。

2023-09-13 21:33:05 | よのなか

2017年、安倍内閣が、

森友学園、加計学園を巡り

疑惑追及するため

野党の臨時国会の招集に

約3ヶ月応じなかった。

 

そのことを、

憲法違反として野党国会議員が国に損害賠償を求めて

3件の訴訟に上告したが、

12日、

長嶺安政裁判長、

林道晴、

渡辺恵理子、

今崎幸彦、

各4名の裁判官

原告側の上告を棄却した。→

 

宇賀克也裁判官のみひとり

上告棄却に反対意見を付けた。→⭕️

 

※ 但し、憲法53条は、

招集までの期限についての具体的な規定はない。

政府は「合理的期間内」に招集を決定することが

義務と解釈している。

 

ちなみに、21年、菅政権は

80日間「憲法に招集時期の規定がない」など反論して、

招集の遅れを正当化した。

 

私たちは、裁判官の判断が、

私たちのために判断をしていないと思えば

選挙の時に、その裁判官を⭕️❌で選択出来るんです。

 

安倍晋三の森加計問題解明の即刻臨時国会の招集を

望んだ野党(国民)の追求の場を奪い、

(忖度・隠蔽時間を与え)(わたしの主観)

質問権や討議権の行使が不能となった訴訟に関して

上告を棄却した

長嶺安政裁判長、

林道晴、

渡辺恵理子、

今崎幸彦、

各裁判官が

国民のために三権分立として、

司法として、我々国民のために

判断が機能していないと思えば

❌印をつけて、

ダメだしが出来るんです。

 

⚫︎ 裁判官も人なり。

⚫︎ 疑惑の釈明をしない政治家も

 我々が選んだ人なり。

⚫︎ それを問い正す政治家も

 我々が選んだ人なり。

⚫︎ その政治家や裁判官を選挙で

 投票するのも我々人なり。

 

選択の時期は選挙時にある。

 

ぼーっと生きてる私としても、

ちょっと考えざるを得ない。

 

ひとりのひとには限りある時間しかない。

 

マスコミが選挙前に、

各裁判官の下馬評を

出してほしいと思うのは甘えてますか?

えっ、やってる、

えっ、出すことに何か問題があるんですか?

 

(2023年9月13日 東京新聞朝刊 ①⑤⑥ 面 参照)

 

 

 

 

 


なぜだか盗人猛々しい田舎坊主にも三分の理

2023-09-02 01:21:14 | 馬鹿なニッポン

お墓を掃除し、花を手向ける。

おふくろは嫁いだときから延々と墓守をして来た。

 

ふたり姉弟のばか息子のオレの姉は既に鬼籍に入り、

ばか息子ひとりとなっている。

そのばか息子には子どもはいない。

 

おやじは、もう真っ先に鬼の籍に入っていた。

おふくろは長年の苦労を過ごした故郷地元を全て棄て、

都内の亡くなる前の姉を頼りに上京して来た。

 

その為におやじとふたりで続けた稼業の金物屋を廃業し

大量の在庫の雑貨をひとりでコツコツ処分した。

並大抵の作業ではなかったと思う。

 

オレは映像制作会社にいて、忙しぶってた。

いつでも手伝いに帰ると伝えはいたが、

おふくろは遠慮してか、

稼業のことを知らないオレを呼び、

逐一訊ねられる煩わしらより

自分の手でひとつひとつ片付ける苦労を選んだ。

稼業を畳むのも一大事だ。

 

そして、頼りないオレは

おふくろの思いやりで店じまいの蚊帳の外にされた。

稼業の事情はここまでで良しとしよう。

 

この難題は永年のしがらみと言って良いだろう、

そう、先祖代々のお墓の処理の問題である。

 

おふくろにお墓の処分を当時、

以前から何度も相談されていた。

 

オレには子どもがいなかったので、

先祖代々の家を締めくくる、そうThe Endの役目だ。

 

相談される都度、複雑な気持ちに

思わされることはあったが、

子どもがいないことには変わりはなかったし、

いたところで遠く離れた故郷のお墓のことは

思案のしどころである。

オレにははじめから決まっていた。

故郷のお墓は処分する、処分せざるを得ないと。

歴史の重みは閉じることは、

随分とこころを痛めたところである。

なにせ打ち止めにとどめを刺すのはこのオレだ。

江戸から永く長く続く墓跡を失くすのだ。

 

おふくろの墓のことは考えた。

歴代の墓には入りたくないとおふくろは言った。

 

それでオレの中では話は決まった。

オレの骨はとは言えば、

そもそも、オレは「・」塵である。

綿々と繋がる歴史を「・」塵でとじる。

あとはないので、墓は要らない。

残したところで風が吹けばいつかは失くなるだろう。

それまでだれが面倒をみるんだ。

墓はなくし永代供養をして貰おうと言うのが

オレ「・」塵からの望みであり主張だった。

 

先祖という歴代の性根(しょう)というものを抜く。

世代交代した檀家の若い田舎坊主が

拙いながらお経をあげてそれなりの手続きに

それ相応のお布施がかかったそうだ。

 

田舎坊主は、そこで仕事を終いにすれば良かったのだ。

しかし、田舎坊主の欲の皮が張った。

 

奴は、専業坊主では食べていけず副業も抱えていた。

残念ながら、田舎坊主は破廉恥、助平にも、

いや、自分の実生活に正直にも重きを置いた。

 

「これは貰って行きます」と、仏壇の観音様、

おふくろが言うには純金の観音様を

手掴みで一方的に袈裟の胸元に入れて帰ったそうだ。

 

田舎坊主は、俗な「・・・〜」塵の繋がりだった。

つまり「ぽくぽくぽく、チーン」だ。

 

奴は自分の生活を思い、塵が積もり塊となり、

埃となり澱みとなった。

我が家との永年の付き合いの伝統や歴史性は、

お互い檀家制度から離れると同時に、

金の切れ目が縁の切れ目と、

奴自らから世俗生活のゴミ箱に

両足を突っ込んで入って行った。

 

まだ若い田舎坊主には、墓じまいという

檀家の哀しみと複雑な感情事情より、

自ら自身の生活を優先して、

人の家の仏壇の観音様を、自分の取り分として、

勝手にむしり取り懐に入れたのだ。

坊主にも三分の理として、

観音様とともに、自ら深く墓穴を掘ったのだ。

盗人田舎坊主の最後の所業は、

墓穴くらい業の深いことだった。

 

南妙法蓮華経、南妙法蓮華経、南妙法蓮華経。

 

 

それでも坊主は俗に生きて行かねばならないのだろう。

往生するのだろうか、田舎坊主は。

 

「善人なをもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」

 

南無阿弥陀と、宗旨替えでもするだろうか。