右端に、黒いポチっと写っているあのかたをお見逃しなく~
「毎朝、朝の穏やかな恵みの多い呼吸のなかで
産み出される善への回帰は、善を愛し悪を憎む
という点で、切り倒された森の新芽のように、
人をわずかでも人間の本性へ近づけさせる。」
―― ヘンリー・D・ソロー著『森の生活』より
本の紹介がしたいわけではないのです。
この名著を引き合いに出すとおこがましいですけど、
楽しそうですね、とこのごろ言われることが多いので
ちょっと、う~ん、楽しいのは楽しいがラクではないのね。
と言いたい。でも言わない。そうでしょうね、大変ですよね、
と言われるのもいやだからね。
なぜなら、たいへんじゃないもの。
苦でもないし。
森に家を建てるという発想をし、それを実行に移す。
ま、変人と言ってくれれば、よほどすっきりするが、
アウトドア志向とか自然愛好家とかいう言葉で表されると
ちょっと違う。
エコ雑誌に掲載される写真は、美しすぎる。
プロ写真家が撮影するんだから、写真はいいです、たしかに。
でも生活するというのは、景色を見ることではないから。
地吹雪や大風の日を撮っても雑誌には使えないでしょ。
きらきらした緑を切り取って自然というわけ?
風景を切り取った写真は、たとえば天気のいい日にたまに行く森。
生活は、どちらかといえば、嵐の日が多いんだな。
たまに行くだけだと、嵐に洗われた空や木を見ることも
ひそかに育つ木を、そっと撫でたりはできない。
すごい! きれい! という大感激じゃなくて、
小さな小さな喜びに、くふっと小さくうなづいて歩く。
愛犬家が増える一方だけど、愛?
そうかなあ。
捨てられる犬も増える一方なのだからなあ‥‥
飼ってみて、
「こんなに大変だとは思わなかった」
「出かけられないから、困る」
「部屋が汚れて掃除が大変」
「赤ん坊が産まれたから、アレルギーが‥」
なんて言う人は、犬のウンチを拾わない人ではないかと
思うのである。あるいは拾ったウンチをよく見ないのではと。
森の生活と犬のウンチがどうつながるか。
それはですね、マイベイビーのウンチを毎日、
朝に晩にキャッチして手ざわり、色、などをしかと確認して
「よし!」とうなづくというのを何年もやっていると、
それは他人には任せられないことなわけで、もっとも大事な
ことなわけです。(健康管理が、なんて言いませんよー)
それは、絆って感じ。
ウンチのぬくもりを手に感じるっていうのは、エロスです。
このエロスって究極の愛ってことなんですけど。
愛犬とかいうのとは、違うね。
だからさあ、森の暮らしがアウトドアっていうのと違うっていうこと
言いたいわけさ。
(犬をペットにするのと、犬と暮らすというのは違うんじゃなかってことね)
アウトドアで生きてる刺激を得たい人は、それはやればいいじゃん。
でもおうちにさっさと帰らないで、星野氏みたいに熊の神様になるまでやれよ!な。
怒濤と混乱の一日。
やっぱ、この笑顔があればすべてが、グー!
ふきのとう、めっけたぜ。
この方の写真は、日々、くふくふなのですね。
「毎朝、朝の穏やかな恵みの多い呼吸のなかで
産み出される善への回帰は、善を愛し悪を憎む
という点で、切り倒された森の新芽のように、
人をわずかでも人間の本性へ近づけさせる。」
―― ヘンリー・D・ソロー著『森の生活』より
本の紹介がしたいわけではないのです。
この名著を引き合いに出すとおこがましいですけど、
楽しそうですね、とこのごろ言われることが多いので
ちょっと、う~ん、楽しいのは楽しいがラクではないのね。
と言いたい。でも言わない。そうでしょうね、大変ですよね、
と言われるのもいやだからね。
なぜなら、たいへんじゃないもの。
苦でもないし。
森に家を建てるという発想をし、それを実行に移す。
ま、変人と言ってくれれば、よほどすっきりするが、
アウトドア志向とか自然愛好家とかいう言葉で表されると
ちょっと違う。
エコ雑誌に掲載される写真は、美しすぎる。
プロ写真家が撮影するんだから、写真はいいです、たしかに。
でも生活するというのは、景色を見ることではないから。
地吹雪や大風の日を撮っても雑誌には使えないでしょ。
きらきらした緑を切り取って自然というわけ?
風景を切り取った写真は、たとえば天気のいい日にたまに行く森。
生活は、どちらかといえば、嵐の日が多いんだな。
たまに行くだけだと、嵐に洗われた空や木を見ることも
ひそかに育つ木を、そっと撫でたりはできない。
すごい! きれい! という大感激じゃなくて、
小さな小さな喜びに、くふっと小さくうなづいて歩く。
愛犬家が増える一方だけど、愛?
そうかなあ。
捨てられる犬も増える一方なのだからなあ‥‥
飼ってみて、
「こんなに大変だとは思わなかった」
「出かけられないから、困る」
「部屋が汚れて掃除が大変」
「赤ん坊が産まれたから、アレルギーが‥」
なんて言う人は、犬のウンチを拾わない人ではないかと
思うのである。あるいは拾ったウンチをよく見ないのではと。
森の生活と犬のウンチがどうつながるか。
それはですね、マイベイビーのウンチを毎日、
朝に晩にキャッチして手ざわり、色、などをしかと確認して
「よし!」とうなづくというのを何年もやっていると、
それは他人には任せられないことなわけで、もっとも大事な
ことなわけです。(健康管理が、なんて言いませんよー)
それは、絆って感じ。
ウンチのぬくもりを手に感じるっていうのは、エロスです。
このエロスって究極の愛ってことなんですけど。
愛犬とかいうのとは、違うね。
だからさあ、森の暮らしがアウトドアっていうのと違うっていうこと
言いたいわけさ。
(犬をペットにするのと、犬と暮らすというのは違うんじゃなかってことね)
アウトドアで生きてる刺激を得たい人は、それはやればいいじゃん。
でもおうちにさっさと帰らないで、星野氏みたいに熊の神様になるまでやれよ!な。
怒濤と混乱の一日。
やっぱ、この笑顔があればすべてが、グー!
ふきのとう、めっけたぜ。
この方の写真は、日々、くふくふなのですね。